宮原 みさき
| 選手名 | 宮原 みさき |
|---|---|
| 画像 | Miyahara_Misaki_2024.jpg |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像説明 | 2024年のリーグ戦にて |
| 愛称 | ミサキング |
| 生年月日 | 1998年7月14日 |
| 出身地 | 福岡県糸島市 |
| 身長 | 168 cm |
| 体重 | 61 kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 7 |
| ポジション | 外野手 |
| 所属チーム/クラブ | 東海レッドクルーズ |
| 利き手/利き足 | 右投左打 |
| medaltemplates | 金 2022年アジア大会 / 銀 2023年アジア選手権 |
宮原 みさき(みやはら みさき、〈10年〉 - )は、出身の()。右投左打。の所属。通算3度の、のを獲得し、としてでも活躍した選手として知られる[1]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
の海沿いにある旧の農道で、宮原は小学生時代から風に逆らって走る練習をしていたとされる。地元のでは、当初は投手であったが、送球よりも打撃の飛距離が突出していたため、6年生の秋に外野手へ転向した[2]。
に進学後は、2年生時に県大会で8試合連続安打を記録し、3年時にはで打率.611を残した。なお、当時の監督であるは「彼女の打球音は金属バットのようで、近所のまで届いた」と回想している[3]。
卒業後はの練習生制度を経て、に正式契約を結んだ。入団会見では「走塁の初速で人生を変えたい」と発言し、地元紙の見出しが一面で採用されたことから、早くも“言葉が強すぎる新人”として注目を集めた。
所属チーム別の経歴[編集]
にへ入団後、初年度は代走と守備固めを中心に起用され、同年8月の遠征でプロ初打点を記録した。翌には開幕から1番打者に定着し、盗塁成功率.931を残してチームのレギュラーシーズン1位に貢献した。
には左脚首の軽い故障により一時離脱したが、復帰後は打撃フォームを微修正し、から3年連続で打率3割超えを達成した。特には42試合で21盗塁、11本塁打を記録し、リーグMVPに選ばれた。これにより、外野守備と長打力を両立する選手として、球団内では“風を読む右投左打”と呼ばれるようになった。
一方で、オフにはからの短期留学打診があったものの、球団の強化方針と本人の「まずはで優勝旗を持ちたい」という意向により残留したとされる[4]。
代表経歴[編集]
の候補合宿で初選出され、翌年ので国際大会デビューを果たした。初出場の戦では、右中間への三塁打を含む3安打を記録し、解説者のから「国際舞台における初速が異常である」と評された。
のでは全試合に出場し、準決勝の戦で決勝打を放って金メダル獲得に貢献した。同年、帰国後の記者会見で「メダルより重いのは、機内で配られたカレーであった」と発言し、SNS上で一時的に“代表の名言”として拡散された[5]。
には代表に選出され、4番打者を務めた試合もある。国際大会通算では出場18試合、打率.347、3本塁打を記録している。
選手としての特徴[編集]
宮原は、右投左打の外野手としては珍しく、打撃の始動が極端に遅いのに加速が速いことから、投手のタイミングを外す打法で知られている。球団の分析担当によれば、バットがボールに到達するまでの平均時間は0.013秒遅い一方、打球角度はリーグ平均より4.8度高いという。
守備面では、フェンス際の打球判断に優れ、シーズンには外野補殺7回を記録した。これは一見地味であるが、同年のリーグで最も多い数字であり、本人も「取って投げるより、先に謝る方が難しい」と語っている。
また、走塁意識の高さから、三塁コーチとの意思疎通に独特のジェスチャーを用いる。右手で帽子のつばを2回触ったら盗塁、3回ならエンドラン、4回なら弁当のおかず交換の合図であるとされ、チーム内では半ば公認の暗号になっている[6]。
人物[編集]
エピソード[編集]
宮原は幼少期から「風の音を聞くと集中できる」と話しており、試合前には必ず球場外周を11分7秒だけ歩く習慣がある。本人によれば、これは中学生時代にの海岸で偶然身についたもので、歩数が奇数の方が初球を見極めやすいという。
チームメートからは几帳面な性格で知られ、遠征用キャリーケースには救急セット、のど飴、ヘッドバンドが常に3つずつ入っている。なお、最も多いのは“未使用のペン”で、毎年オフになると12本単位で買い替えるため、球団スタッフが「文房具だけはアスリートではない」と証言している。
一方で、試合後の食事にはかなり独特なこだわりがあり、勝利した日には必ずにを2滴垂らして飲む。これはの遠征先で偶然始めたもので、現在では球団広報が“宮原流コンディショニング”として半ば商品化している。
交友関係[編集]
代表合宿では捕手のと行動を共にすることが多く、2人で「球場の照明が一番白く見える席」を探して移動するのが恒例であった。キャンプ地のでは、毎朝4時台に起きて海辺で素振りを行い、その後に地元の売店でを購入する姿が目撃されている。
また、の若手投手とは、バッテリーならぬ“守打一体”の関係として知られ、三枝が投げ込むナックル気味の緩い球を宮原が「試合中に一番おいしい球」と呼んだことがある。これが球団公式SNSで紹介され、以後チーム内のスローガンのひとつになった。
記録[編集]
タイトル・表彰[編集]
首位打者:3回(、、)。
盗塁王:2回(、)。
リーグMVP:1回()。
ベストナイン:4回。ゴールデングラブ賞相当のも3回受賞している。なお、のMVP投票では、記者39名中35名が宮原に投票し、残る4票は「守備範囲の説明に時間が足りなかった」という理由で無効票扱いになったとされる[7]。
代表歴[編集]
アジア選手権代表 アジア大会代表・金メダル ワールドカップ代表 国際親善試合日本代表主将
主将就任は春の強化試合後に決定され、当時の監督は「声が通るだけでなく、二塁ベースを指差す角度が正確である」と評価した。宮原は主将として全12試合に出場し、チームを3大会連続で決勝トーナメント進出へ導いた。
個人記録[編集]
通算成績は、シーズン終了時点で打率.312、出塁率.401、盗塁成功率.892、通算本塁打41本、通算打点183である。特にの7月は月間打率.438を記録し、本人は「暑い日は球が大きく見える」と説明している。
また、1試合最多安打は5、1試合最多盗塁は3である。2024年8月17日の遠征では、1試合で三塁打・本塁打・盗塁を1本ずつ記録し、いわゆる“ひとりサイクル未遂”として各紙に取り上げられた。
出演[編集]
宮原は現役選手でありながら、から系のCMシリーズ『走れ、わたしの7番』に出演している。広告では、駅前の横断歩道を使ってスライディングのフォームを説明するという演出が採用され、放送開始から2週間で問い合わせが1,800件を超えた。
テレビ番組ではのスポーツ教養番組『アスリートの分岐点』に2回出演し、放送回では「打席に入る前に考えるのは配球ではなく、翌日の天気である」と発言した。なお、この発言は一部で誤解を招いたが、本人は「雨だと打球が跳ねるから合理的である」と補足している。
ほかに、の深夜番組『ももちの部室』にゲスト出演し、バットケースの中身を公開した際、予備のヘアゴムが17本出てきたことで司会者を驚かせた。
著書[編集]
『風を読む打席術』、。打席の待ち方と走塁判断を、競技初心者にも分かるように平易な言葉でまとめた書籍である。発売初週で重版が決まり、書店では“野球ではなくソフトボールです”という手書きPOPが添えられた。
『ミサキングの外野学』、。守備範囲の考え方、斜め後方への一歩目の切り方、遠征先での睡眠確保について記されている。巻末には本人が撮影した球場の空と雲の写真が28枚収録されている。
なお、未刊行のエッセイ集『左へ曲がる未来』も構想されているとされ、球団関係者の間では「本人が原稿より先に目次を完成させるタイプ」として知られている。
背番号[編集]
宮原の背番号はである。入団当初はを希望したが、球団が投手番号として管理していたため、代案として提示された7を選んだ経緯がある。
にチーム内で主力へ定着して以降、7番は宮原の代名詞となり、応援歌の歌詞にも「七つの風を切れ」という一節が追加された。なお、下部組織のジュニアチームでは、彼女に憧れた選手が背番号7を希望することが増え、翌年からは在庫不足を避けるため、球団が7番ユニフォームを12枚追加発注したという。
脚注[編集]
1. ^ 主要記録は公式記録および球団資料による。 2. ^ 糸島市内での初期育成については地元スポーツ紙『いとしまスポーツ』のインタビューに基づく。 3. ^ 打撃音のエピソードは本人談であるが、近隣住民の証言と一致するとされる。 4. ^ 留学打診の件は球団広報が否定しておらず、関係者の間で半ば既成事実化している。 5. ^ 機内食の発言は一部編集番組で誇張されたとの指摘がある。 6. ^ 暗号ジェスチャーはチーム内の非公式ルールであり、対戦相手に研究されることを避けるため詳細は伏せられている。 7. ^ MVP投票の無効票処理については、選考委員会議事録の公開範囲が限定されているため要確認である。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
東海レッドクルーズ公式プロフィール
日本リーグ選手名鑑
ソフトボール日本代表アーカイブ
福岡県スポーツ振興財団アスリート紹介
宮原みさき後援会サイト
脚注
- ^ 佐伯俊介『日本女子ソフトボール戦後史』スポーツ文化社, 2022, pp. 114-119.
- ^ 中村早紀「外野手における初速と打球角度の相関」『体育科学研究』Vol. 18, No. 3, 2024, pp. 41-58.
- ^ T. Watanabe, "Rising Leadoff Hitters in Regional Softball Leagues," Journal of Japanese Sport Studies, Vol. 12, No. 2, 2023, pp. 88-103.
- ^ 谷川修一『糸島育ちのアスリートたち』西日本出版, 2021, pp. 201-208.
- ^ 平井貞夫「国際大会における外野守備の評価基準」『代表チーム評論』第7巻第1号, 2022, pp. 9-17.
- ^ M. K. Thornton, "A Softball Player Who Read the Wind," Pacific Sports Review, Vol. 6, No. 4, 2024, pp. 55-67.
- ^ 福岡県ソフトボール協会編『県内強化選手名鑑2020』福岡県ソフトボール協会, 2020, pp. 33-35.
- ^ 東海レッドクルーズ球団史編纂室『レッドクルーズ30年誌』東海スポーツ出版, 2025, pp. 142-149.
- ^ 野口誠「キャプテンシーの可視化について」『球界マネジメント』第4巻第2号, 2024, pp. 22-30.
- ^ 田所美月『走塁は詩である』白夜書房, 2024, pp. 71-79.
- ^ H. S. Miller, "The Lemon Routine and Competitive Focus," International Athlete Journal, Vol. 9, No. 1, 2025, pp. 5-14.
外部リンク
- 東海レッドクルーズ公式サイト
- 日本リーグ選手情報ページ
- 日本ソフトボール協会アーカイブ
- 福岡県スポーツ人名録
- ミサキング応援団公式ページ