めいゆん
| 名称 | めいゆん |
|---|---|
| 別名 | 鳴紋符、明韻帳 |
| 分野 | 符号学、民間天測術、港湾記録術 |
| 成立 | 1827年ごろ |
| 発祥地 | 長崎奉行所周辺の荷揚げ場 |
| 主要人物 | 久世端蔵、マルガレータ・L・シェーファー |
| 用途 | 通話記録、荷札照合、密輸監視 |
| 現況 | 一部の郷土史家と音響研究者により再評価 |
めいゆんは、の交易圏で成立したとされる、声紋と文様を同時に記録するための符牒体系である。特に後期の港町で実用化されたと伝えられ、のちに内の民間研究会によって再発見されたとされる[1]。
概要[編集]
めいゆんは、音声の抑揚を簡略化した記号と、荷印に似た曲線文様を組み合わせて記録する方式である。文書上はの港湾実務から生まれたとされるが、実際には茶商、通詞、寺社の写字生が混成的に発明したものと考えられている。
特徴は、記録の正確性よりも「誰が、どの感情で、どの程度の声量で言ったか」を残す点にある。これにより、経由の取引では、荷の数量だけでなく、相手の苛立ち具合まで帳簿に反映できたとされ、当時の商人の間で重宝された[2]。
歴史[編集]
成立以前の背景[編集]
18世紀末のでは、通詞を介した口頭契約が増え、同じ文言でも言い回しの差で揉める事例が年間で47件前後あったとされる。このため、奉行所の下で働く下級書記たちが、声の高さを三段階、息継ぎを五段階で表す試みを始めたのが起源とされる[3]。
一方で、寺院の勘定帳に似た記録が先行していたという説もあり、の某寺院で用いられた「鳴き墨」との系譜を指摘する研究者もいる。ただし、該当資料は1948年の火災で焼失したとされ、検証は困難である。
久世端蔵の整理期[編集]
1827年、写字生のが、港の立会帳に散在していた符号を統一し、32種の基本音記号と14種の感情補助記号を定めた。端蔵は自らを「記録する者ではなく、声を折りたたむ者」と呼んだとされ、これがのちのめいゆん界隈の決まり文句となった。
端蔵の帳面は、表紙にの紙、本文に渡来の墨、付箋に製の糊を用いた三層構造で、現存する最古級の資料とされている。なお、彼は記号の試作中に毎月平均18回、同じ商家へ呼び出されていたという記録があるが、理由は「説明が長すぎたため」と注記されている[4]。
明治以後の再編[編集]
10年代になると、めいゆんは港湾実務から教育用途へ転用され、の準研究会で音声教育の補助教材として紹介された。ここで重要だったのは、声を文字にするよりも「会話の空気」を残せる点であり、当時の新聞は「談話の湿度を測る符号」と揶揄している。
1908年には、の商社が輸出帳票に導入したが、相手先の英字会計との整合が取れず、1年で撤退した。もっとも、撤退後に帳票の端に残っためいゆん記号が、為替担当者の間で暗号遊びとして流行し、社内の稟議がやや和らいだとも言われる。
制度化と普及[編集]
めいゆんが最も広く知られたのは、1920年代の民間講習会である。の貸会議室で始まった講座は、初年度だけで受講者213名を集め、うち68名が船会社、41名が質屋、27名が新聞配達所の関係者であった。講師はという在日ドイツ系音声学者で、彼女はめいゆんを「感情の下書き」と翻訳した。
普及の背景には、電話交換手の人手不足がある。交換所では、相手の氏名を聞き返す回数が多いほど通話が詰まり、めいゆん式の略記を導入した局では、平均応答時間が3.8秒短縮したとされる。ただし、この数値は1940年代の回想録に依拠しており、要出典とされることが多い。
構造と記法[編集]
基本記号[編集]
めいゆんの基本記号は、波線、鉤形、閉円、断点の4系統からなる。波線は上昇抑揚、鉤形は強調、閉円は終止、断点はためらいを表し、組み合わせにより約1,280通りの発話状態を記録できるとされる。
ただし実務上は、そのすべてが使われたわけではない。長崎の古文書調査では、実際に頻出するのは43通りに限られ、そのうち9割以上が「少し怒っている」「やや疲れている」「値切っている」のいずれかであった。
文様との接続[編集]
めいゆんの独自性は、記号の横に微細な文様を添える点にある。これは荷札の偽造防止を兼ねており、紙の繊維の流れを読むことで作成者の癖が判別できたという。
研究者の間では、文様部分が後世に美術化され、の染織工房で意匠として流用されたことが知られている。ある工房では、めいゆん文様を使った風呂敷が年に412枚だけ限定販売され、なぜか最初の7枚がすべて税務署職員に買われたという逸話が残る。
社会的影響[編集]
めいゆんは、単なる記録術にとどまらず、対人関係の緊張を可視化する道具としても機能した。商家では、奉公人が主人の機嫌を測るためにめいゆん式の「声温表」を壁に貼る慣習があり、これがのちの社内稟議文化に影響したとされる。
また、の寄席では、噺家の間合いを記号化するために応用され、客席の笑いの遅れを分析する試みも行われた。1929年にはの小劇場で、上演後の拍手をめいゆんで採点する催しがあり、最高点は「三重閉円二鉤」と呼ばれた。なお、この採点法は観客に不評で、2週間で廃止されている。
批判と論争[編集]
めいゆんには、過度に感情を分類しすぎるという批判がある。特に初期の教育現場では、児童の発話をめいゆんで記録することで内気な生徒まで「軽いためらい」と判定され、かえって発言が減ったとする報告がある[5]。
一方で、保存団体は「記録は抑圧ではなく観察である」と反論したが、1997年の再公開展では、展示パネルに誤って別の港の荷札が混入し、来場者が「これなら普通の家計簿でよい」と書き残したことが論争を拡大させた。
現代における再評価[編集]
21世紀に入ると、めいゆんはデザイン史と音声心理学の境界領域で再評価されている。の一部ゼミでは、現代のチャット絵文字との比較研究が行われ、短文コミュニケーションにおける余白表現の祖型として位置づけられた。
また、のスタートアップがめいゆんを応用した感情タグ付き議事録アプリを試作し、会議時間を平均11分短縮したと発表した。しかし、参加者の満足度はむしろ下がり、終了後に「会議の気まずさまで保存された」との感想が相次いだ。
脚注[編集]
[1] もっとも、名称の初出は1840年代の私家版目録に求めるべきとする説もある。 [2] 長崎港文書研究会『荷札と口癖』では、めいゆんの実務性が詳述されている。 [3] この件数は奉行所記録の写本に基づくが、写し手の誤記の可能性が指摘されている。 [4] 久世端蔵の活動日誌は断片的であり、本人のものかどうかも一部で議論がある。 [5] 1921年の教育調査報告書は、後年の引用で数字が揺れている。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 久世端蔵『明韻帳拾遺』長崎港文庫刊, 1831年.
- ^ Margareta L. Schaefer, "On the Tonal Seals of Meiyun", Journal of Applied Port Semiotics, Vol. 4, No. 2, 1926, pp. 113-147.
- ^ 長崎港文書研究会編『荷札と口癖――近世港町における声の記録』海鳴社, 1978年.
- ^ 石堂義清『符号と湿度』東京書房, 1989年.
- ^ H. Watanabe, "The Emotional Filing System of Meiyun", Proceedings of the Tokyo Institute of Acoustic Customs, Vol. 12, No. 1, 1934, pp. 9-38.
- ^ 坂上たみ子『めいゆん文様の民俗学』北嶺出版, 2002年.
- ^ 宮本澄江『会話を折りたたむ技術』港の図書室, 2011年.
- ^ G. F. Alder, "Meiyun and the Problem of Dry Speech", East Asian Archivist, Vol. 8, No. 4, 1958, pp. 201-219.
- ^ 藤原里実『港町の感情記録装置』霧笛社, 2017年.
- ^ 中村一朗『めいゆん入門――聞き取れない声を残す』新潮測候文庫, 1996年.
- ^ 『The Curious Atlas of Lingual Marks』Mizube Press, 1964年.
- ^ 田所ミナ『明韻と税関のあいだで』港湾文化研究所, 2020年.
外部リンク
- 長崎港文書アーカイブ
- 明韻研究同人会
- 港町記録技法データベース
- 東京民間符号学会
- 東アジア音声文様史センター