もちろう
| 名称 | もちろう |
|---|---|
| 別名 | 餅労、モチ労慣行 |
| 分類 | 集団休憩制度・民俗慣習 |
| 起源 | 江戸後期の周辺とされる |
| 成立要因 | 寒冷地の保存食需要と年季奉公の休息調整 |
| 主な普及地域 | 南部、南西部、北部 |
| 関連機関 | 、 |
| 現代的用途 | 商店街イベント、学校の地域学習、観光振興 |
| 象徴物 | 木箱入りの切り餅と赤い腕章 |
| 標語 | 休んでこそ、のびる |
もちろうは、の文化とが結びついて成立したとされる、半儀礼的・半実用的な集団休憩制度である。近代以降はの年末行事やの地域振興策にも組み込まれ、独特の社会制度として知られている[1]。
概要[編集]
もちろうは、共同作業の合間にを配布し、全員が同じ時間に同じ速度で食べることで作業能率と連帯感を調整する慣行である。地域によっては「最初の一口を遅らせる者は、次の一番重い役目を担う」とされ、実務と儀礼が分かちがたく結びついている。
この制度は、表向きには年中行事の一種として扱われる一方で、実際には・・の集合訓練まで横断的に影響したとされる。もっとも、制度の定義そのものが地域ごとに揺れており、研究者の間でも「食文化」であるのか「労務管理」であるのかで意見が分かれている。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
起源は年間、郊外の搗き臼組合で生まれたとされる。冬季に作業が止まりやすい一方、餅だけは大量に保管できたため、親方のが「食べる時間を揃えれば揉め事も減る」と考案したという伝承が残る。
ただし、所蔵の『搗臼覚書』には、初出の「もちろう」は本来「持ち楼」であり、雪避けの仮設小屋を指したとする記述もある。これについては用語が後世に餅食と結びついたとみる説が有力である[2]。
明治期の制度化[編集]
20年代になると、各地のやが冬場の休憩制度としてもちろうを導入した。とくに会津地方では、午前10時と午後3時の二度、直径4寸の丸餅を配る「二度もちろう」が普及し、労働者の離職率が年間17.4%低下したという記録がある。
この時期に制度化を主導したのが、衛生学者のと実業家のである。長岡は「糖質補給による沈黙時間」が職場の衝突を減らすと主張し、渡部は実際に帳簿上の破損事故が月平均2.1件減少したとして、東京の講演会で制度を広めた。
昭和期の普及と変質[編集]
30年代には、もちろうはの福引き、の資金集め、の出初式にも取り入れられた。特に石巻市の「寒中もちろう大会」は、参加者312名が一斉に餅を食べ終えるまでの時間を競う催しとして知られ、最速記録は4分08秒である。
一方で、期の工場では、もちろうが「休憩の名を借りた実質的な残業調整」に変質したとの批判も出た。なお、の1967年調査では、もちろう導入現場の38%で、餅の配分順が年功序列の代替指標として機能していたとされる。
運用と作法[編集]
もちろうの基本作法は、第一に配膳、第二に黙食、第三に手拭いの折り畳みである。餅は奇数個で配られ、受け取った者は最初の30秒間だけ会話を禁じられるとされる。
また、食べる速度が速すぎる者には「のび見」と呼ばれる軽い注意が与えられる。これは「焦ると餅がのびない」という教訓を含むが、実際には作業場の空気を均一化する効果があったとされる。なお、一部の地域では最後の一個を譲った者が翌年のの太鼓係になる習慣があり、これが妙に真面目に運用されていた。
地域差[編集]
宮城方式[編集]
では、もちろうは「食べる前に三度うなずく」作法が重視された。これは臼を回す回数を身体で覚えるための教育法だったとされ、学校行事に転用された例も多い。仙台市内の老舗菓子店では、昭和末期までこの作法を簡略化した「一礼もちろう」を午前の開店前に行っていたという。
山形方式[編集]
では、もちろうは餅ではなくと併用され、汁気の多い食事中に沈黙を保つ訓練として発展した。寒さで箸が遅れがちな冬季に、食事開始のタイミングを合わせることで、作業小屋の暖房効率が1.3倍になったとする記録がある。
もっとも、この地域差は研究者による後付け分類である可能性も指摘されており、実際には方言の違いが制度差に見えているだけではないかともいわれる。
社会的影響[編集]
もちろうは、地域共同体における「同時性」の概念を育てた制度として評価されている。特にやにおいて、食事を揃えることが会話の量を調整し、結果として場の温度を下げる効果があったとされる。
また、が2021年に実施した試験事業では、もちろう体験ツアーを導入した南津軽郡の交流館で、来館者の滞在時間が平均24分延びた。だが同時に、餅の提供量が多すぎて午後のバスが15分遅延し、以後は「食べる量を観光に合わせるべきか」が議論になった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、もちろうがしばしば「地域の伝統」を名目に、実質的な同調圧力を生む点にあった。とくに後期の学校現場では、餅を食べ切る速さで集団への適応を測る運用が問題視され、保健室への搬送件数が増えたとする報告がある。
また、もちろうに関する最古級の一次資料がことごとく期以降の複製であることから、そもそも制度全体が者の創作ではないかという疑義もある。これに対し擁護派は「創作であっても、40年続けば伝承である」と反論しており、議論は現在も平行線をたどっている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 長岡慈舟『冬季労働と澱粉摂取の相関に関する試論』東北民俗研究叢書, 1912年, pp. 14-39.
- ^ 渡部みち『餅配給規範と職場秩序』実業之東北社, 1924年, pp. 61-88.
- ^ 佐々木清隆『もちろうの成立と仙台藩下級職人組織』宮城文化出版, 1978年, 第3巻第2号, pp. 201-219.
- ^ Margaret A. Thornton, “Communal Rice Cakes and Labor Synchrony in Northern Japan,” Journal of Invented Ethnography, Vol. 12, No. 4, 1986, pp. 55-73.
- ^ 庄司源右衛門編『搗臼覚書』仙台古文書刊行会, 1897年, pp. 3-11.
- ^ 日本労働協会編『昭和四十二年 労働休憩制度調査報告』日本労働協会, 1967年, pp. 102-118.
- ^ 金子冬彦『餅と沈黙の共同体論』北上書房, 1999年, pp. 9-57.
- ^ Atsuko Hamada, “Timing the Mochi: Ritual Pause and Productivity,” East Asian Social Studies Review, Vol. 7, No. 1, 2004, pp. 1-26.
- ^ 東北民俗研究会『搗臼と雪囲いに関する民俗誌』同研究会資料集, 2011年, 第1号, pp. 44-68.
- ^ 観光庁地域振興課『食文化体験事業の効果測定 2021年度版』観光庁, 2022年, pp. 77-95.
- ^ 高橋茂『モチ労慣行の比較研究――配膳と年功の境界線』青嶺社, 2015年, pp. 120-149.
- ^ 『餅労の経済学: 休むほど伸びる生産性』東北経済評論, 第18巻第1号, 2020年, pp. 5-22.
外部リンク
- 全国餅文化連絡協議会
- 東北民俗研究会アーカイブ
- 仙台古文書デジタル目録
- もちろう体験推進委員会
- 寒中もちろう大会実行本部