ムチョス
| 名称 | ムチョス |
|---|---|
| 読み | むちょす |
| 英語 | Muchos |
| 起源 | 19世紀後半の横浜港周辺 |
| 主な用途 | 共同食・配分儀礼・即席の贈答 |
| 標準単位 | 1ムチョス=7包 |
| 推奨配布人数 | 3人以上 |
| 管理団体 | 東洋配分食文化協会 |
| 関連行事 | ムチョス節分、港湾ムチョス講 |
| 略称 | MCS |
ムチョス(英: Muchos)は、圏のやに起源を持つとされる、即席で複数人に配分される小袋状の調味・軽食規格である。特に後半のにおいて、荷役労働者の間で「一度に多くを回す」慣習として成立したとされる[1]。
概要[編集]
ムチョスは、複数人で均等に分けることを前提に小分け包装された食品群、またはその配布作法を指す名称である。を中心に、末期から初期にかけて広まったとされ、港湾労働の現場で「多人数に少量ずつ配る」ための実用的な知恵として整理された。
一方で、後年の研究では、ムチョスは単なる食品規格ではなく、人数の多い集団に対して優先順位をつけずに配分するための社会技術であったとの指摘がある。これにより、学校給食、祭礼、工場の夜勤、さらには内の一部の町会における会議茶菓子まで、用途が急速に拡張された[2]。
歴史[編集]
港湾語から規格語へ[編集]
ムチョスという語は、の muchísimos に由来するという説が広く流布しているが、実際にはの通関帳簿に記載された「mutios」表記の誤読が定着したものとされる。1907年、スペイン船籍の貨物船《サン・エステバン号》で来航した乾燥果実の余剰分を、の荷役班が七袋ずつ束ねて配ったことが最古の実例とされる[3]。
この時、配分の責任者であった渡辺精一郎は、誰が何袋受け取ったかを覚えやすくするため、七を基本単位にしたとされる。七という数字は、当時の港湾弁当箱の仕切り数と一致していたため、現場に異常なまでに浸透したという。なお、この「七包原則」はの『港湾即席配分心得』で初めて文書化されたが、原本の所在は不明である。
都市化と学校給食への転用[編集]
初期になると、ムチョスは労働者街のみならず、やの小学校で「余り物を平等にする教材」として採用された。とくにの外郭調査班が1929年に実施したとされる試験では、児童84名のうち79名が「ムチョスは公平である」と答え、残る5名は「最初に取る人が決まっていないので落ち着かない」と回答したという[4]。
この頃、ムチョス専用の紙帯が登場し、束ね方によって味の印象が変わると宣伝された。実際には紙帯の太さが0.8ミリ違うだけで内容量は同じであったが、当時の消費者は「細帯は上品、太帯は実用」と受け止めたらしい。東京市内の菓子問屋では、ムチョスを贈答用に装飾するため、金赤・紺・薄緑の三色帯を標準化した。
国際標準化と失われた会議[編集]
戦後のムチョスは、の下部会合において「分配可能な最小単位食品」として取り上げられたとされる。1958年、で行われた第3回小分包食品会議では、日本代表の大野久美子が「ムチョスは量ではなく、関係の設計である」と演説し、拍手が17秒続いたという記録が残る[5]。
ただし、同会議の議事録にはムチョスの記載が一部しかなく、なぜか付属資料の大半が「配膳における沈黙時間」に割かれている。そのため、研究者の間では、ムチョスは本当に食品であったのか、それとも食卓で気まずさを避けるための儀礼だったのかという議論が続いている。
種類[編集]
ムチョスは内容物ではなく「配分思想」によって分類される。実務上は、甘味系・塩味系・乾物系の3系列に大別されるが、祭礼用途ではさらに「先渡し型」「回覧型」「遠慮型」の3類型がある。
最も普及しているのはで、干し果実と塩豆を交互に封入したものとされる。対しては、味噌煎餅を薄紙で3回包み直すため、見た目に対して中身が少ないという批判があった。なお、の商人たちが広めたとされる「返礼ムチョス」は、受け取った翌日に必ず同数を返す慣習があり、家計簿を圧迫したことで一時問題視された[6]。
製法と作法[編集]
ムチョスの製法は、材料そのものよりも束ねる順序に重きが置かれる。まず内容物を7等分し、中央に最も硬いものを置き、残りを時計回りに詰める。この手順を誤ると、受け手が「話しかけてもよい状態」と「黙って受け取るべき状態」を取り違えるとされ、実際にの集会所で配布事故が3件起きたとの記録がある[7]。
また、配布時には「ひとつ、ふたつ、ムチョス」という掛け声が用いられることがあるが、これは後世の俗説であり、元来は配り手が人数を数え間違えないための業務上の復唱であった。1984年にはの老舗包装店が、音声認識式ムチョス封入機を試作したが、機械が「むちょす」を4拍子と誤認し、完成品が妙に重くなる不具合が報告された。
社会的影響[編集]
ムチョスは、単なる食文化にとどまらず、都市の共同体形成に影響を与えたとされる。町内会、工場、学校、寺院の施餓鬼、さらにはの年末残業用茶菓子まで、ムチョスは「配っても揉めにくい」点で重宝された。
とくにの東京大会の前年、都内の宿泊施設で外国人記者向けの夜食として試験提供されたところ、1箱を6人で分ける設計が「日本の秩序を視覚化している」と評されたという。ただし、アメリカ人記者の一人は「量が少ないのに尊厳だけはある」と書き残しており、この評価がムチョスの国際的イメージを決定づけた[8]。
批判と論争[編集]
ムチョスには、常に「本当に公平なのか」という批判がつきまとってきた。とりわけ後半には、東京都内の中学校でムチョス配布をめぐり、先に手を伸ばした生徒が有利になるとして「先行利得問題」が指摘された。これを受け、教育現場では「無言配布」「目線回避配布」「袋番号ランダム化」が導入されたが、かえって緊張が高まったという。
また、民俗学者の宮園桂子は、ムチョスの起源について「港湾労働者の知恵ではなく、実は仏教寺院の香典返し制度の変形である」と主張したが、の古文書に同名の記載がないことから支持は限定的であった。もっとも、ムチョス研究では一次資料が少なく、伝承・商業宣伝・後年の回想録が混在しているため、議論の収束は見込まれていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『港湾即席配分心得の研究』東洋配分食文化協会, 1931年.
- ^ 宮園桂子『ムチョス民俗誌――七包原則の成立』青嶺書房, 1974年.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton, “Distributed Snacks and Social Cohesion in East Asia,” Journal of Maritime Anthropology, Vol. 12, No. 3, pp. 201-229, 1962.
- ^ 大野久美子『国際小分包食品会議報告』南窓社, 1959年.
- ^ 佐伯一郎『包装帯の美学と実務』港湾出版, 1988年.
- ^ Harold P. Kingsley, “The Sevenfold Parcel: A Comparative Study,” Proceedings of the Geneva Aliment Conference, Vol. 4, No. 1, pp. 44-63, 1958.
- ^ 神崎つる子『東京市児童配布食の変遷』学林出版, 1934年.
- ^ 中野修『ムチョスの社会技術』群青社, 2001年.
- ^ Luis Fernández, “Mutios, Muchísimos, and the Problem of Partial Distribution,” Iberian Foodways Review, Vol. 8, No. 2, pp. 77-91, 1971.
- ^ 東條信吾『配ることの倫理――町内会とムチョス』河岸書店, 2010年.
- ^ 『港湾即席配分心得 別冊附図』横浜税関資料室, 1921年.
- ^ Eleanor M. Price, “The Quiet Seconds of Serving: A Note on Japanese Parcel Etiquette,” Culinary Systems Quarterly, Vol. 6, No. 4, pp. 15-19, 1987.
外部リンク
- 東洋配分食文化協会アーカイブ
- 横浜港民俗食品研究所
- ムチョス資料館デジタル目録
- 港湾包装技術史センター
- 世界小分包規格連盟