もんどすとらの
| 名称 | もんどすとらの |
|---|---|
| 英名 | Mondostrano |
| 起源 | イタリア王国時代の北西部港湾都市 |
| 成立 | 1870年代後半 |
| 主要使用者 | 倉庫労働者、海運歌唱団、政治集会の呼びかけ係 |
| 関連分野 | 音楽学、労働史、都市民俗学 |
| 特徴 | 一語を三回ずつ変調して返す |
もんどすとらの(英: Mondostrano)は、の港湾都市で発達したとされる、同調・反復・誇張を重ねて合唱を成立させる集団的発声技法である。後半にの倉庫労働者の間で体系化されたとされ、のちにとの双方から注目を集めた[1]。
概要[編集]
もんどすとらのは、単独の歌唱ではなく、複数人が異なる高さで同一の語句を遅延して反復することで、聴衆に広がりのある合唱感を与える技法である。一般にはの港で発達したとされるが、やでも類似の実践が確認されたという記録がある。
名称は、港湾の荷役現場で使われた合図語「mondo」と、旋回する手振りを意味した方言形「strano」が結合したものと説明されることが多い。ただし、の紀要では、語源はむしろ計量の失敗を隠すための掛け声に由来するとされており、学説は一致していない[2]。
成立史[編集]
港湾労働者の合図から[編集]
最初期のもんどすとらのは、頃、方面へ向かう荷船の積み替え作業で生じたとされる。荷役監督のが、縄の緩みを防ぐために「一拍遅れで返せ」と命じたことが契機となり、作業班が同じ語を三層に重ねて返答した記録が残る[3]。
この方式は、遠くの作業員にも指示が聞こえやすいことから急速に広まったが、同時に無関係な見物人が拍子に乗って加わるため、作業効率は必ずしも向上しなかった。『』には、荷下ろしの予定が三十分で済むはずが、歌声の掛け合いが延びて二時間半に及んだ例が記されている。
歌劇との接触[編集]
に入ると、巡業中の歌劇団がこの発声法を取り込み、舞台裏の合唱練習に応用した。とりわけ率いる地方劇団は、もんどすとらのを使うことで、わずか12名の合唱でも38名分の厚みがあるように聞こえるとして話題になった[4]。
一方で、の批評家たちは「港の喧噪を劇場へ持ち込んだ粗暴な様式」と非難したが、座での上演後、観客の一部が終幕後に同じ旋律を駅まで口ずさみ続けたため、批判は次第に後景へ退いた。なお、この頃に手拍子の回数を奇数で揃える慣行が生まれたとされる。
政治集会への転用[編集]
初頭には、労働組合の街頭演説で用いられ、スローガンの浸透率を高める技法として再解釈された。のでは、印刷工組合が「パン」「賃金」「尊厳」の三語を反復するもんどすとらのを採用し、参加者が一斉に語尾を上げることで群衆の統一感を生み出したとされる[5]。
ただし、の記録では、演説の熱量が上がりすぎて周辺の露店商まで同調し、最終的に抗議集会が市民祭の行列と区別できなくなった事案がある。これが「政治的もんどすとらのは、成功すると騒乱と祝祭の区別を失う」と言われる所以である。
技法[編集]
もんどすとらのの基本は、先唱者が短い語句を提示し、第二唱者が半拍遅れて同形反復し、第三唱者が語末を引き伸ばして締める三層構造にある。理論上は4人以上で成立するが、の民俗音声研究班は、7人編成が最も残響が安定するとの報告を行っている[6]。
特徴的なのは、音高ではなく子音の摩擦音を強調する点である。これにより、屋外や船上のような雑音環境でも意味が崩れにくいとされる。また、指揮者は棒ではなく帽子のつばを使って拍を示すのが慣例とされ、帽子がない場合は新聞紙を三角に折って代用する地方もあった。
一部の古い指導書には、発声前に塩をひとつまみ舌の下へ置くと「声が潮目を得る」と記されているが、はこれを衛生上推奨していない。
社会的影響[編集]
もんどすとらのは、港湾労働の指示法としてだけでなく、都市部の連帯感を象徴する民衆芸能として定着した。特にでは、結婚式や商店の開店祝いにまで用いられ、祝いの席で同じ句を三度返すと商談がまとまりやすいという俗信が広まった。
にはで開かれた「声と群衆の博覧会」において、もんどすとらのの実演が行われ、来場者数は初日に4,800人、最終的に延べ31,200人を記録したとされる。ただし、展示場側の報告書では、半数近くが隣接する靴売り場目当てで入場した可能性がある。
戦後になると、テレビの公開収録でこの技法がしばしば再利用され、視聴者参加型のクイズ番組における「復唱コーナー」の原型になったと主張する研究者もいる。一方で、音響工学者からは「群集心理を音響で増幅する危険な旧弊」との批判も根強い。
批判と論争[編集]
もんどすとらのをめぐる最大の論争は、その起源が労働民謡なのか、あるいは演出を目的とした都市の即興芸なのかという点にある。の会議では、倉庫記録を重視する学派と、劇場プログラムを重視する学派が激しく対立し、会場の廊下で実演合戦に発展した[7]。
また、にはが「もんどすとらの保護指針」を採択したが、その定義文に「反復の過剰は共同体の自我を曇らせる場合がある」との一文が含まれ、逆に保存対象なのか規制対象なのか判然としないとして批判された。
なお、以降は観光商品化が進み、港町の土産物店で「三回唱えると幸運が来る」と書かれた鈴が販売されるようになった。学術的には慎重な扱いが求められているが、実際には最も普及したのはこの土産物版であるという指摘がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ A. Bianchi, "The Three-Layer Refrain in North Italian Port Chanting," Journal of Maritime Folklore, Vol. 12, No. 3, pp. 114-139, 1968.
- ^ 渡辺精一郎『港湾反復歌の民俗音声学的研究』東海民俗出版, 1974年.
- ^ L. Moretti, "Mondostrano and the Acoustic Discipline of Dock Labor," Rivista di Etnomusicologia, Vol. 7, No. 1, pp. 22-51, 1982.
- ^ 石原由紀子『都市の掛け声と連帯の技法』港都研究社, 1991年.
- ^ G. Ferrara, "From Choir to Crowd: Political Appropriations of Mondostrano," Studies in Southern European Sound, Vol. 18, No. 2, pp. 203-228, 2004.
- ^ 高橋真也『声の行進とその社会史』明窓書房, 2007年.
- ^ P. Conti, "帽子のつばと拍の可視化についての一考察," Quaderni di Prosodia Applicata, 第9巻第4号, pp. 77-93, 2011年.
- ^ N. Sarti, "A Curious History of Mondostrano in Broadcast Entertainment," Media and Ritual Review, Vol. 5, No. 4, pp. 301-320, 2015年.
- ^ 木下晴彦『もんどすとらの演習帳』北海声学館, 2018年.
- ^ M. Rinaldi, "When Salt Meets Chorus: A Problematic Note on Oral Tradition," Journal of Alpine and Maritime Studies, Vol. 21, No. 1, pp. 1-19, 2020年.
外部リンク
- ジェノヴァ港湾民俗資料室
- 国際もんどすとらの研究会
- リグーリア声文化アーカイブ
- 港町音声遺産デジタル博物館
- トリノ都市労働歌資料館