ゆるゆり
| 名称 | ゆるゆり |
|---|---|
| 読み | ゆるゆり |
| 英語名 | Yuru Yuri |
| 起源 | 1920年代の東京女学生文化 |
| 中心人物 | 赤座あかり、歳納京子、船見結衣、吉川ちなつ |
| 初期伝播地 | 東京都、京都府、愛知県 |
| 主要媒体 | 同人誌、学内演劇、短冊型週刊誌 |
| 定着年 | 1978年頃 |
| 特徴 | 低密度の事件、過密な感情、異常に長い間 |
| 関連機関 | 日本百合文化保全協会 |
ゆるゆりは、末期にの女学生文化から派生したとされる、日常の緩慢な対話と百合的情緒を同時に記録するための表現様式である。のちに系の研究者らによって再定義され、現在では「沈黙の間合いを可視化する日本的な軽量叙情装置」として知られている[1]。
概要[編集]
ゆるゆりは、少女同士の親密さを過度に説明せず、むしろ説明不能なまま維持することに価値を置く文化現象である。形式としてはの一種に分類されるが、通常の恋愛叙事よりも、茶碗の置き位置、廊下での立ち止まり、消しゴムの貸し借りといった微細な接触の反復を重視する点で異なる[2]。
この概念はしばしばと混同されるが、厳密には「何も起こらないこと」ではなく、「起こりそうで起こらないこと」を長期間にわたり精密に運用する技法であるとされる。なお、初期の研究者の間では、ゆるゆりを「四人以上の女子が一つの机を囲んだ際に発生する情緒的気圧配置」と定義する説が有力であった[3]。
成立史[編集]
女学校の余白文化[編集]
ゆるゆりの起源については、期の女学校で流行した「余白を読む」作法に求める説がある。これは、授業の合間に交換される紙片、押し花、貸し借りの栞などから、相手の感情を推測する半ば儀礼的な読解行為であり、の関東大震災後に一部の私立女学校で急速に洗練されたとされる[4]。
とくにの洋裁学校で使われていた「二秒遅れの返事」が、のちのゆるゆり会話術の原型になったという記録が残る。ただし、当時の校務日誌はの戦災焼失により欠損が多く、実証にはなお議論がある。
編集工学としての再発見[編集]
戦後になると、ゆるゆりは一度忘れられたが、にの渡辺精一郎が、学園小説の余白に注目して再発見した。渡辺は、登場人物の台詞が短いほど読者の補完量が増大することを「感情の省令」と呼び、これをの論文『低刺激叙情の構文』で体系化した[5]。
この理論は、のちに編集部の若手、佐久間理恵子によって実務化され、2ページに1回だけ軽い衝突を入れるという編集規範へ発展した。これにより、ゆるゆりは「事件が少ないのに続きが気になる」形式として出版界に定着したとされる。
作品化と普及[編集]
1980年代に入ると、ゆるゆりは同人サークルや学園祭演劇の定番フォーマットとなり、の貸会議室で開催された「第3回ゆるい情緒研究会」では、参加者214名中173名が「会話の間に幸福を感じる」と回答したとされる[6]。この数字は後年やや誇張である可能性が指摘されたが、少なくとも当時の熱量を示す資料としてしばしば引用される。
1990年代には系列の深夜帯で「会議室の片隅に立つ少女」を扱う番組群が増え、ゆるゆりは一般家庭にも浸透した。特に内のレンタルビデオ店では、恋愛作品の棚ではなく「会話観察」の棚に分類されることが多く、店員が手書きで「静かに笑う用」と補記した伝票が残っている[7]。
21世紀に入ると、SNS上で「#ゆるゆり」というタグが使われ始め、投稿の多くが「今日は何も起きなかったが尊い」といった報告で占められた。これにより、ゆるゆりは単なる作品類型ではなく、生活感を伴う感情の共有様式として再評価されている。
主要構成要素[編集]
赤座あかり型[編集]
赤座あかり型は、存在感が薄いにもかかわらず場の温度を支配するキャラクター配置を指す。会話の中心にいないのに、全員がその不在を前提に動く点が特徴で、の社会心理学講座では「準中心人物」として分析された[8]。
歳納京子型[編集]
歳納京子型は、場を攪拌するために過剰な提案を連発する触媒である。ゆるゆりの長期安定性は、この型の人物が三話ごとに無茶を言い、残りの人物がそれを半ば許容することで保たれているとされる。
船見結衣型と吉川ちなつ型[編集]
船見結衣型は、過剰な騒ぎを最小限の眉の動きで制御する抑制装置であり、吉川ちなつ型は、その抑制に対してだけ異様に感情が増幅する受容体である。両者の組み合わせは、の私設演劇研究所で「静動反射」と名付けられ、以後のゆるゆり作品の基本方程式になった。
社会的影響[編集]
ゆるゆりは、会話の密度を下げることでかえって関係性の強度を上げる、という逆説を一般社会に持ち込んだ。これにより、の地域番組では、過度に説明的な司会進行を避けるための参考事例として引用されたことがある。
また、やの現場では、子どもが互いに距離を保ちながら同じ空間に留まる遊びを「ゆるゆり的である」と評する職員が増えたという。もっとも、この用法は本来の意味からやや逸脱しており、文化庁では2011年の報告書で「用途拡大による概念疲労」と表現した[9]。
批判と論争[編集]
ゆるゆりに対しては、あまりに平穏であるために物語進行を拒否しているという批判がある。一部の評論家は、これは「少女たちの青春を丁寧に描く」のではなく、「青春が始まる直前で永遠に止める装置」であると断じた[10]。
一方で、支持者はその停滞こそが重要であり、感情を急がせないことが現代の対人関係に対する穏やかな反抗だと主張している。なお、の公開討論会では、ゆるゆりを「会話の中にある空白税」と呼ぶべきだという提案が出たが、議事録には残っていない。
主要な受容史[編集]
同人誌文化との接続[編集]
同人誌におけるゆるゆりの受容は、ページ数の少なさと感情の多さが両立する点で高く評価された。とくにでは、12ページの冊子に「2年分の気持ち」を詰め込む形式が流行し、頒布前から完売が予測されるジャンルとして知られていた。
国際的解釈[編集]
海外では、ゆるゆりは「Slow Bloom Affective Drama」として紹介されることが多かった。だが、の批評誌『Cahiers de l’Intervalle』は、これを単なる百合作品ではなく「沈黙を翻訳しない勇気の体系」と評価している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『低刺激叙情の構文』京都文學社、1964年、pp. 41-68.
- ^ 佐久間理恵子『会話の間隔と読者補完』芳文社研究叢書、1979年、第2巻第1号、pp. 12-29.
- ^ 北村紗月『女学生文化における親密圏の編集』東京出版会、1988年、pp. 103-117.
- ^ Harold P. Ellison, "Interval-Based Affect in Japanese School Fiction," Journal of Modern Narrative Studies, Vol. 14, No. 3, 1992, pp. 201-224.
- ^ 山根みどり『ゆるい連帯の社会学』新潮学術選書、2001年、pp. 55-90.
- ^ Eleanor V. Marsh, "The Aesthetics of Almost-Events," East Asian Pop Culture Review, Vol. 8, No. 1, 2007, pp. 4-19.
- ^ 文化庁文化芸術局『情緒表現の用途拡大に関する調査報告』2011年、pp. 77-81.
- ^ 中西芳雄『沈黙の少女たちとその周辺』白水社、2013年、pp. 9-34.
- ^ 松原照子『会話が終わらない技法入門』河出書房新社、2016年、pp. 120-149.
- ^ Anita K. Roswell, "Slow Friendship and the Micro-Politics of Waiting," Studies in Serialized Media, Vol. 22, No. 4, 2019, pp. 300-326.
- ^ 『ゆるゆり概論:二秒遅れの倫理』東京大学出版会、2020年、pp. 1-27.
外部リンク
- 日本百合文化保全協会
- ゆるゆりアーカイブス
- 間合い研究センター
- Cahiers de l’Intervalle
- 女学校余白資料館