よく分からない日本語
| 分類 | 曖昧表現・準制度語 |
|---|---|
| 成立 | 1968年頃 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎ほか |
| 主な拠点 | 東京都千代田区・神田周辺 |
| 用途 | 会議、通知、謝罪文、自己紹介 |
| 特徴 | 意味が通るが焦点が定まらない |
| 関連機関 | 内閣文言調整室(廃止) |
| 別名 | 保留語、ぼかし日本語 |
よく分からない日本語(よくわからないにほんご、英: Ambiguous Japanese)は、において意味の確定が意図的に保留されたまま流通する、曖昧記述の総称である。後期ので体系化されたとされ、官公庁文書から若者言葉まで幅広く用いられている[1]。
概要[編集]
よく分からない日本語とは、文法上は破綻していないにもかかわらず、意味の輪郭だけが異常に薄い表現群を指す用語である。一般には「言っていることは分かるが、結局何も言っていない」状態を指して用いられるが、末には逆に、対人衝突を回避するための高度な社会技術として再評価された[2]。
この概念は、の会議記録を整理していたが、異なる省庁の文体が互いに干渉しあう現象を「意味の雲」と呼んだことに由来するとされる。ただし、当時の記録の多くは焼失しており、実態は半ば伝説化している。なお、の前身に相当する組織が、これを「行政的あいまいさの標準形」として採用したという説もある[3]。
歴史[編集]
成立と初期研究[編集]
、の貸会議室で開かれた「文言整序懇談会」において、各省庁の通知文に共通する不思議な言い回しが分析対象となった。参加者の一人であった言語学者は、これらの表現が「伝達効率を落とさずに責任を希釈する」と述べ、翌年に私家版『意味未定義語彙集』を刊行したとされる[4]。
初期の研究では、よく分からない日本語は単なる悪文ではなく、期の合意形成文化から生まれた「不作為の技術」とされた。特にの「第三回省庁文体比較調査」では、27機関中19機関が同系統の曖昧表現を使用していたことが報告され、調査班は「偶然にしては整いすぎている」とコメントしている。
普及と制度化[編集]
に入ると、よく分からない日本語は公的文書だけでなく、学校通知、町内会報、百貨店の案内文にも浸透した。の一部商店街では、苦情処理の成功率が3割上昇した一方、利用者アンケートでは「結局どうすればいいのか分からない」が最多回答となった[5]。
には系の内部研修で「曖昧性の三原則」——断定しない、責任を残す、しかし失礼にはしない——が整理され、以後、自治体の広報紙に広く応用されたとされる。またの番組制作現場では、出演者の発言修正にこの技法が用いられ、局内では「角が立たず、芯も立たない」文章として知られた。
デジタル時代の変容[編集]
以降、電子メールとSNSの普及により、よく分からない日本語はむしろ高密度化した。短文のなかに「一旦」「念のため」「適宜」「なるべく」を過剰配置することで、責任の所在を細かく霧散させる手法が普及し、には一般家庭の連絡網でも観測されている[6]。
一方で、の仮想言語工学研究班が行ったとされる実験では、曖昧表現を3語以上含む文は、受け手の満足度が12%低下する反面、返信速度が平均1.8倍に上がったと報告された。研究班はこの現象を「了解の先送り効果」と名づけたが、論文末尾の謝辞にある『文言がなければ現場が回らない』という一文が広く引用された。
分類[編集]
行政型[編集]
行政型は、最も古典的な形式である。「差し支えなければ」「必要に応じて」「所要の手続きをお願いします」など、行為を求めているようでいて、具体的期限を最後まで隠す。特にの会議資料では、1文あたりの実質情報量が0.7語分まで圧縮されることがあるとされる[7]。
謝罪型[編集]
謝罪型は、責任の所在を明示せずに丁寧さだけを残す形式である。「ご迷惑をおかけした可能性があります」「不快に感じられた方がいらっしゃるかもしれません」といった文が典型例で、の店頭貼り紙からの不祥事コメントまで用途が広い。なお、最も完成度が高い文例は1987年の冷蔵庫納入遅延通知に見られるとする異説がある。
若者型[編集]
若者型は、文の終点が会話の空気に吸収されるのが特徴である。「それな」「とりま」「ワンチャンある」などが含まれ、意味よりも同調確認を優先する。東京・の高校生を対象にしたとされる1989年の聞き取りでは、1会話中の曖昧語数が平均14.2語に達し、調査者が途中で記録を断念したという。
社会的影響[編集]
よく分からない日本語は、しばしば悪癖として批判される一方、対立を避けるための潤滑油として機能してきた。自治会の会合、病院の説明書、学校の「ご家庭でご確認ください」など、強い断定がかえって危険を生む場面では、この種の表現が重宝された。
また、の大規模な広報文改善運動以降、企業の社内文書は一時的に平易化したが、翌年には「平易すぎて責任が残らない」との苦情が相次ぎ、再び曖昧表現が復権した。言語社会学者のは、これを「日本語における責任のクッション化」と呼び、で講演を行ったとされる[8]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、よく分からない日本語が「理解可能性」を装いながら、実際には判断を先送りする点にある。とくにの「自治体広報文・意味不明選手権」では、優勝文が『速やかに、しかるべく、適宜ご対応願います』であったため、住民から「誰が何をするのか不明」との抗議が寄せられた。
一方で擁護派は、社会の摩擦を減らす装置として不可欠であると主張する。なお、の最終報告書には、曖昧さをゼロにした文章は「短くはなるが、血の気が増える」と記されており、引用の真偽をめぐって今なお論争がある[要出典]。
研究と応用[編集]
以降、いくつかの大学でよく分からない日本語の定量研究が行われた。特にの「曖昧語密度指数」では、1,000字あたりの保留表現の数が15を超えると、受信者の再読率が急増することが示されたとされる。
応用面では、観光案内、企業研修、議事録自動生成、恋愛相談の定型返信などで活用が進んだ。とりわけのある自治体では、住民向けアプリに「すぐに対応する場合があります」機能が搭載され、通知の不満率が下がった反面、対応完了率の記録が曖昧になった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『意味未定義語彙集』神田言語研究社, 1969.
- ^ 佐伯良介『行政文体の霧化現象』日本文体学会誌 Vol.12, 第3号, 1974, pp. 41-58.
- ^ Margaret A. Thornton, "Ambiguity as Bureaucratic Friction," Journal of Comparative Phraseology Vol.8, No.2, 1981, pp. 114-139.
- ^ 内田和夫『保留語の社会史』中央言語出版, 1986.
- ^ 田中みどり『やや分からない日本語入門』青木書店, 1992.
- ^ Hiroshi Kanda, "The Soft Edge of Apology in Modern Japanese," East Asian Communication Review Vol.19, No.1, 2003, pp. 9-33.
- ^ 鈴木修一『曖昧さの政治学』東京文化研究所, 2007.
- ^ K. A. Bell, "Deferred Meaning and Public Trust," Bulletin of Civic Linguistics Vol.4, No.4, 2011, pp. 201-219.
- ^ 小林恵子『返事は後でよい—日本語保留表現の実務』港区実務出版, 2016.
- ^ 渡辺精一郎・他『文言調整室最終報告書 付録B「血の気が増える」』内閣資料館, 1999.
外部リンク
- 日本曖昧表現学会
- 文言調整アーカイブ
- 神田近代文体資料室
- 保留語データベース
- 全国曖昧文連絡協議会