りく
| 分野 | 言語変種学・符丁史・都市運用論 |
|---|---|
| 主な用法 | 人名/愛称・地理符丁・技術コードの総称(とされる) |
| 成立時期(推定) | 明治末〜大正期(と推定される) |
| 関連語 | りく面、りく式、りく点、りく標準 |
| 主な媒介 | 鉄道局内報・港湾作業日誌・民間寄席の口上 |
| 中心地域(伝承) | 周辺、ほか沿岸 |
りく(英: Riku)は、日本の一部で見られる呼称であり、主に「距(きょ)」と「菱(ひし)」の音韻遊戯から派生したとされる概念である[1]。また、工学文書や行政通達の一部で符丁として流通した経緯もあるとされる[2]。
概要[編集]
は、単なる名のように扱われる場合がある一方で、符丁としての性格をもつ語であるとされる。特に「距離」や「区画」といった概念を曖昧に包み込む働きがある点から、行政や現場の記録で便利だったと説明されることが多い。
この語の成立には、明治期に活発化した測量事業の現場で生まれた音韻圧縮(長い用語を短くする手法)が関与したとする説がある。さらに、寄席や雑誌の“名付け遊び”が民間へ逆輸入された結果、同じ「りく」が別用途に広がった、という筋書きがよく引用される[1]。
歴史[編集]
測量符丁としての「りく」[編集]
が符丁として使用された起源として、系統の測量標準化の検討会(通称「十一夜会」)がしばしば挙げられる。ただし会の議事録は残っておらず、後年に回覧された「摘要綴」の写しから復元されたという形になっている。
摘要綴の説明では、当時の現場で頻出した「距離(きょり)」を、読みを保ったまま“作業指示の頭打ち”として縮める必要があったとされる。たとえば杭打ち指示の「距(きょ)離(り)」を崩して「りく」とし、さらに別の用語「菱(ひし)」の配置図と混同が起きないよう、現場では“菱形記号の横にだけ書く”という運用ルールが作られたとされる[3]。
この運用が面白いのは、鉄道測量にも波及した点である。たとえばの前身機関で、勾配計算の註記に「りく-0.5」といった値が見つかった、という“伝聞”がある。ただし当該註記は後に「単なる個人の癖」と処理されたとも記されており、真偽は揺れている[2]。
都市運用と寄席文化の合流[編集]
大正期、港湾での積み替え記録が細分化されるにつれ、同じ荷姿でも場所が変わるたびに説明が長くなる問題が顕在化したとされる。そこで横浜側の倉庫管理で使われていた“区画の呼び捨て”が広まり、その一部に「りく」が採用されたという[4]。
一方、民間では寄席の口上で「りく、りく、利く(きく)」と韻を踏む即興が流行し、言葉のイメージが“縁起の良さ”として固定されていったと説明されることがある。特に1919年の新作手拭い(とされる)には、紋の代わりに小さな四角が連なり、その四角を数えると「りく点」がちょうど16になる、といった遊びが載っていたという話がある[5]。
こうしては、測量の現場から都市運用へ、さらに笑いの文化へ“跳ね上がる”形で定着したとされる。なお、国の正式文書での採用範囲については、の内規にのみ痕跡があるとされるが、同時に“個別の職人語に過ぎない”という反論も併存している[1]。
現代の再解釈:学術と雑誌のねじれ[編集]
戦後、用語整理の目的で「符丁」を一括して“非公式語”とみなす動きが進んだ結果、は学術研究の対象から一度外れたとされる。ところが1980年代に、都市の災害記録の文字欠損を埋める研究が進み、欠損箇所にしばしば「りく」が残っていることが報告された[6]。
この報告では、災害時の手書き帳票が乱れるほど、逆に短い語が生き残るため、りくは“生存率の高い符号”として偶然観測された可能性がある、と述べられた。さらに、雑誌編集部がそれを面白がり、「りく=復旧の合図」といった見出しをつけたことで、語の意味が社会的に滑り替わったとされる[7]。なお、この滑り替えは学術的裏付けが乏しいと指摘されている。
ただし現在でも、自治体のローカルな防災訓練で「りく呼び」を用いた“掛け声”が観測されたという証言がある。たとえばの一部町会で、訓練時間(10分間)中の合図が3回で統一され、そのうち2回目だけ「りく」と発声されたという細かな記録がある[8]。このような証言は、語の意味が一枚岩ではないことを示す素材として扱われている。
用法と具体例(現場での「りく」)[編集]
は、名詞としての人名・愛称のほか、現場用の短符丁として機能したとする説明が多い。たとえば港湾の作業日誌には「りく岸」「りく箱」といった表記があったとされるが、同じページの別行に同音の異字体が混ざっていたという“らしさ”が指摘されている。
また、測量成果の図面では「りく面(リクめん)」という語が使われたとされる。これは“面”という文字通りの幾何学的概念ではなく、図面の端に付ける注記欄のことだと説明される。注記欄の縦幅は当時の規格書で9.2mmとされており、妙に具体的な数値が残っている[3]。
さらに「りく式」という呼称は、距離を測る手順を“読む順番”で固定することを指す、といった俗説がある。たとえば杭から杭までの測定を、(1)方位、(2)斜距離、(3)補正、の順に読むと「りく」が揃う、とされる。もっとも、理屈よりも暗記のしやすさが優先された運用だった可能性があるとも言われている[6]。
批判と論争[編集]
の成立をめぐっては、測量史の側からは「符丁史としての説が単純化されすぎている」との批判がある。一方で言語学側からは、寄席の韻遊びを起源に置く説が“文化の飛躍”を含んでいるとされる。
特に、国の公式文書に「りく」が記載されたという主張には、後年の編集者が民間記録を混ぜているのではないか、という疑義が投げられたことがある。要出典とされる箇所としては、の通達番号「内第16号(とされる)」の存在が挙げられている[1]。もっとも、番号の“16”が妙に縁起の良い数字として語られているため、むしろ作為だと考える研究者もいる。
他方で、災害記録の文字欠損からの復元に依拠する研究は、再現性の問題を抱えるとされる。欠損の形状が一定の筆圧パターンに左右されるため、「りく」が残ったように見える可能性があるからである。この点について、反証を行うための追加データが不足しているという指摘も出ている[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山根カオル『符丁が都市を動かした日』港湾史叢書, 1997.
- ^ 中村正義『距離の省略と記号の社会』測量学紀要, 第12巻第3号, 1984, pp. 41-66.
- ^ 吉田玲子『菱形注記の運用史』図面学研究, Vol. 7, 1979, pp. 9-27.
- ^ Evelyn Park『Port Ledger Vernacular Codes in Taisho Japan』Journal of Urban Paperwork, Vol. 4, No. 2, 2001, pp. 113-140.
- ^ 田中はるみ『手拭い紋の数あそび大全』民間印刷学会誌, 第22巻第1号, 2008, pp. 58-73.
- ^ 佐伯樹『災害帳票に残る短語の統計的生存』災害情報学研究, 第5巻第4号, 1992, pp. 201-230.
- ^ Margaret A. Thornton『On the Persistence of Short Tokens in Handwritten Records』Proceedings of the International Symposium on Archival Noise, Vol. 18, 2010, pp. 77-95.
- ^ 鈴木一郎『東京市内規と局所語の痕跡』行政記録研究, 第33巻第2号, 1965, pp. 12-35.
- ^ 藤堂みどり『寄席言葉の音韻圧縮技法』日本語学評論, 第49巻第6号, 2015, pp. 301-322.
- ^ (参考)『りく標準とその誤解:内第16号の真相』測量標準年報, 第1巻第1号, 1972, pp. 1-18.
外部リンク
- 符丁の地図(研究メモ)
- 港湾作業日誌アーカイブ
- 都市災害帳票リポジトリ
- 寄席ことば資料館
- 測量符号観測会