アサル
| 分野 | 民俗宗教学・儀礼工学・都市伝承 |
|---|---|
| 地域的な結び付き | 、周縁 |
| 成立時期(推定) | 後半 |
| 主な媒体 | 自治法集の写本、家庭儀礼の手控え |
| 実施対象 | 祭壇具・戸口・塩壺などの「境界物」 |
| 論争点 | 衛生概念との混同、商業化による形骸化 |
(Asal)は、主に宗教儀礼と都市伝承の文脈で言及される「聖なる擦過(さっか)手順」を指す語である。特にの古い自治法集に類似の用語が見られ、儀礼工学の一種として整理されてきたとされる[1]。ただし、語源の解釈は複数あるとされる。
概要[編集]
は、儀礼の最終段階で用いられるとされる「擦過(さっか)」の手順をまとめて呼ぶ語である。ここでいう擦過は、単なるこすり動作ではなく、音・温度・繊維の方向性(目付)まで規定される、準工学的な行為として語られることが多い。
語の運用範囲は広く、祭儀の専門書だけでなく、日常の「戸口まわりの災厄除け」としても言及される。とりわけでは、家の境界を守るという観点から、玄関の閾(しきい)や塩壺、壊れた石臼の縁などに対して行われたとされる[2]。一方で、用語の中心が宗教儀礼から衛生慣習へと移った時期があるとの指摘もある。
近代になると、のような団体が、擦過に伴う摩擦熱と微粒子飛散の関係を「再現可能な儀礼」として整理しようとしたとされる。ただし、この試みは「信仰の実測化」に対する反発を招いたとも言われている。
語源と定義[編集]
語源説:『朝の塩』か『悪霊の擦過』か[編集]
語源については、第一に「朝の塩」を意味するという説がある。擦過の直前に塩を掌へ取り、指先で3回、次いで手のひらで17回擦るという手順が、のちに「朝・塩・回数」の韻として定着したと説明されることがある[3]。
一方、第二の説として「悪霊の擦過」由来が挙げられる。これは、擦過によって「悪さの層」を物理的に剥がすという比喩が先行し、のちに儀礼手順として固定化したというものである。この説では、擦過音の周波数帯(とされるもの)まで語られ、「擦り音が鈍くなると霊が残る」との言い伝えが併せて紹介される[4]。
定義:境界物への“方向付き”擦過[編集]
もっとも一般的な定義は、境界物(戸口、祭壇具、容器の縁)に対して行われる「方向付きの擦過手順」である。擦る向きは、部屋の中心から外へ向ける流れ(外向流)と、外から内へ向ける流れ(内向流)の二系統に分かれるとされる[5]。
また、擦過に用いる素材も規定されやすい。綿布、麻布、羊毛ブラシなどが挙げられ、材料の繊維長が儀礼の「残響」を左右すると信じられた。たとえば周辺では、羊毛ブラシの毛足を「9ミリ未満」に揃えるよう勧めた家もあったとされる。もちろん、根拠は文書に残っていないため、のちの解説者が「後追いの合理化を混ぜたのでは」と疑う声もある[6]。
歴史[編集]
前史:都市の火災と“擦過規律”[編集]
後半、港湾都市での火災が相次いだ地域では、戸口周辺を「災厄の入口」と見なす考えが強まった。そこで、門や敷石に対して擦過を行い、ほこりの層や煤(すす)の溜まりを均すことで再発を抑える、という考えが儀礼に取り込まれたとされる[7]。
この時期の記録として、の小都市の自治法集に「擦過の順番は—まず外、次に内、最後に沈黙—」という一文が引用される。しかし、その写本が実際に作られた年代は写本学上争いがあるとされ、編集者によっては“17世紀後半説”が“18世紀前半説”に差し替えられた経緯がある。とはいえ、擦過に順番があるという要点は一致しているとされる[8]。
近代化:儀礼工学研究所と標準化の試み[編集]
末、家庭内の慣習を「観察可能な手順」として整理しようとする流れが起こる。とくに(当時の正式名称は『境界行為の観測技術研究所』とされた)が、擦過動作の時間を秒単位で記録し、手控え用紙を配布したとされる[9]。
同研究所は、擦過の回数を「外向流:21回、内向流:13回、沈黙:4秒」とする暫定基準を提示した。ここに出てくる数は、彼らが同時期の粉塵測定の装置を借りてしまった結果、たまたま装置の校正周期がその数に合致したことに由来する、と後年ある研究者がこっそり書き残したとされる[10]。この“偶然の標準化”が広まり、結果としてアサルは「宗教」から「手順」に寄ったと評価される一方、失われた要素も多いと批判もされた。
さらにに入ると、観光地の土産物屋が「アサル用布」を商品化し、擦過の意味が薄れたという指摘がなされた。特にの古市場では、布が薄いほど“早く終わる”ため好まれたとも言われ、儀礼の長さと市場の都合が結びついたことで、当事者の間に温度差が生じたとされる。
社会的影響[編集]
は、単なる儀礼語としてではなく、「家庭内の秩序」を保つための合意形成装置として働いたとされる。たとえば戸口での擦過が習慣化すると、家族間で「その日の注意点」を共有する機会になり、誰がいつ実施したかが暗黙の点検記録になったと説明される[11]。
また、衛生と儀礼の境界が揺れることでも知られる。擦過により粉塵が払われるため、結果として清掃行為に近い効果が見込めたとされ、その経験が衛生観念を後押しした。しかし、衛生学者からは「因果の取り違え」との批判が出たとされる。とくに、擦過後に“清涼感のある香り”が残る素材(香料を含む布)が用いられた地域では、香りが効能として語られ、行為の意味がすり替わっていったという[12]。
一方で、社会学的には「説明不能な不安を、反復可能な行為に変換する」機能が注目される。これに関し、は、擦過の“沈黙4秒”が、来客の緊張を緩和する儀礼的タイミングだった可能性を指摘した[13]。もっとも、沈黙が実際に4秒であったかは録音記録がないため、聞き手の記憶が丸められた可能性もあるとされる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、二つの方向から起こった。第一に、標準化が宗教性を削ぎ落としたという批判である。擦過の回数や時間が先行することで、手順の“意味の層”が薄まり、行為が形式化したとする見解が広まった[14]。
第二に、衛生学との衝突があげられる。布の素材や擦過方向が感染症対策として誤用された例があると報告され、地域によっては医療機関が注意喚起を行ったとされる。ただし、注意喚起の記録は「口頭で伝わった」とされることが多く、どの医師がいつ出したかが曖昧である。その曖昧さを突いて、批判者は「アサルは科学の衣を着た伝承の商売になった」と主張した[15]。
さらに、言葉の解釈をめぐる論争も続いた。朝の塩説と悪霊の擦過説が長らく併存していたが、最近では「両方が同時期に民間で交雑した」という折衷説が有力視される。その根拠として、自治法集の引用が“塩の韻”を含む一方で、説明文には“悪さの層”の比喩も混ざっている点が挙げられる。ただし、この混合は後代の注釈者による書き足しである可能性も否定できないとされる[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ モリス・アル=カイム『境界行為の観測技術』境界行為研究会, 1898.
- ^ ハリル・サルジャン『西アナトリア自治法集の注釈史』アナトリア史文庫, 1931.
- ^ エミール・ファルハーン『擦過音の民俗学:4秒の沈黙をめぐって』民俗学叢書, 1964.
- ^ ナディア・カラジャン『衛生と儀礼の交差点:布と粉塵のあいだ』欧州衛生誌, Vol.12 No.3, 1987.
- ^ ジョナス・リュッケ『Ritual Engineering and Everyday Order』Cambridge Folklore Press, 2002.
- ^ 佐倉玲子『近代民俗の標準化装置:回数・時間・合意形成』青海学術出版, 2010.
- ^ イリヤス・ベドラン『塩と韻と写本:アサル語源の二系譜』写本学年報,第9巻第2号, 2016.
- ^ カミラ・オルベール『市場の儀礼商品と信仰の摩耗』Urban Commerce Review, Vol.28, 2020.
- ^ 丹波智宏『民俗の測定化はなぜ進むのか』《現代文化技術》, 第5巻第1号, 2023.
- ^ (参考として扱う)ヴァネッサ・グレイ『Asal: A Study of Boundary Scrapes』Oxford Field Notes, 1977.
外部リンク
- 境界行為アーカイブ
- 西アナトリア自治法集デジタル閲覧室
- 儀礼工学研究所(旧資料)
- 粉塵測定と文化実装プロジェクト
- 都市伝承の語源掲示板(研究者モード)