アスガル事件
| 発生時期 | 1958年7月-9月 |
|---|---|
| 発生地域 | 東京都千代田区・中央区・港区ほか |
| 原因 | 都市同期装置「ASGAR-3」の過負荷とされる |
| 被害 | 停電、誤送信、集団迷走、配達遅延など |
| 関連組織 | 逓信省臨時通信監理班、東京電力、都電運行局 |
| 別名 | 銀座の無音騒乱 |
| 影響 | 後年の危機通信規格と都市放送訓練に影響 |
| 主要人物 | 朝倉信之助、マーガレット・H・ソーン、三橋芳夫 |
アスガル事件(アスガルじけん、英: Asgar Incident)は、を中心に発生したとされる、都市インフラと小規模な民間通信網が連鎖的に同期不全を起こした一連の騒乱である。の33年夏に表面化したとされ、のちに日本の危機管理史における「音のない広域障害」として語られるようになった[1]。
概要[編集]
アスガル事件は、夏に心部で断続的に発生したとされる不可解な連鎖障害である。公的には単独の事故として処理されたが、後年の研究では、複数の装置群が同一の周波数帯で誤同期し、放送・信号・配電・自動改札の一部が同時にずれ始めた現象として再構成されている。
名称の「アスガル」は、現場で最初に記録紙へ印字された誤読符号「ASG-AR」を記者が一つの事件名として拡張したものであるとされる。また、当時の資料には「阿須軽(あすがる)式干渉」といった表記も見られ、表記揺れの多さが事件の不可解さを増幅させた[2]。
発生の経緯[編集]
事件の直接的な端緒は、霞が関に設置されていた試験用同期中継機「ASGAR-3」の更新作業であったとされる。この装置は、元来の外郭研究班が英米の都市制御理論を参考に導入したもので、地下鉄、路面電車、庁舎放送、非常ベルの時刻差を0.8秒単位で揃えることを目的としていた。
しかし午前11時42分、局地雷雨による瞬断ののち、装置内部の真空管列が異常発熱し、接続先の民間放送機器15台が一斉に「待受→試験→送話」の順で循環を始めた。これにより、の百貨店では館内放送が9分間にわたり同じ避難案内を31回繰り返し、側では自動扉が人の接近を誤認して開閉を続けたと記録されている。
事件の展開[編集]
都電と信号機の同期崩れ[編集]
最も被害が目立ったのはの運行である。三橋芳夫運転主任の日誌によれば、付近の信号機が赤・黄・青を通常より0.6秒早く切り替えたため、運転士らが「街全体がひとつの発車ベルになった」と証言したという。実際には追突事故は起きなかったが、乗客の降車位置が大きくずれ、午後の便では停留所標識の前後2.4メートルで乗降が混乱した。
このとき、都電車内の車掌が手回しマイクで「ただいま車両は静かにずれています」と案内した録音が残っており、のちに事件を象徴する音源として複製された。なお、この録音は現在も一部の研究者のあいだで「日本最初期の都市パニック実況」と呼ばれている。
百貨店の誤送信[編集]
の大手百貨店では、屋上アンテナがASGAR-3の副搬送波を拾った結果、催事場の呼び出し番号が館内全域で入れ替わった。婦人服売場の呼び出しが地下食料品売場に届き、鮮魚担当が舞台袖へ走るなど、部署横断の移動が発生したため、当日だけで通常の2.7倍にあたる412件の「迷子の店員」届出があったとされる。
また、閉店後に清掃員が試験放送の残響を「祈祷のようだ」と証言したことから、事件は一部で超常現象としても流布した。もっとも、後年の技術報告では、問題の大半は送信側の位相ずれと百貨店側の増幅器の旧式化によるものであったとされている[3]。
霞が関の臨時対策会議[編集]
では翌日、関係各課による臨時対策会議が開かれた。会議は当初40分の予定であったが、どの装置が原因かを示す記録紙の読み方で2時間17分を要し、最終的には「装置を止めると、止め方の説明放送がさらに混信する」という逆説が判明した。
ここで米国の通信工学者が来日中であったことが大きい。彼女はで都市伝送の研究に携わっており、会議で「同期は秩序ではなく、しばしば過剰な親切で壊れる」と発言したと伝えられる。この言葉は新聞に引用され、のちに事件の説明として広く流布した。
原因とされる装置[編集]
事件の核心とされたASGAR-3は、三層式の周波数補正器、時刻盤、避難放送連携箱からなる実験装置である。開発責任者の朝倉信之助は、戦後の都市復興において「街の呼吸を1つの拍で合わせる」ことを夢見ていたとされ、からにかけて都内14か所で小規模試験を重ねた。
ただし、試験記録の一部には、なぜかの潮位と百貨店のエレベーター到着時刻が同じ帳面に書かれており、後世の編集者を悩ませた。専門家のあいだでは、朝倉が潮汐表を都市同期の比喩として用いたのではないかという説と、単に帳票が足りず裏紙を転用しただけという説がある。どちらも決定打に欠ける[4]。
社会的影響[編集]
アスガル事件は、直接の人的被害こそ限定的であったものの、都市の放送・信号・配電が一体化していることを可視化した点で大きな影響を与えた。これを受けては翌年、区ごとの非常放送を独立系統に分離し、とでは試験放送の文言を3秒ごとに短縮する運用が導入された。
また、民間企業でも「同時に鳴らしすぎると、街が一度に誤解する」という教訓が共有され、1962年までに百貨店、駅ビル、病院の館内放送規格が改定された。なお、当時の新聞では事件を「静かな暴動」と呼ぶ論調もあったが、実際には群衆の暴走よりも、待機列の整理不能とアナウンスの相互干渉が被害の中心であったとされる。
批判と論争[編集]
事件の記録には不自然な点も多い。第一に、警察・消防・電力会社の報告書で発生時刻が最大26分ずれており、第二に、ASGAR-3の実機写真が長らく一枚しか見つかっていない。そのため、事件そのものが後年のメディアによって誇張されたのではないかとする批判がある。
一方で、8月に撮影された四丁目交差点の映像には、信号機の点滅が通常と異なる周期で揺れている箇所があり、研究者の間では「少なくとも局地的な同期異常はあった」と見る向きが強い。もっとも、同映像には偶然通りかかった観光バスのクラクションが8回入り、その8回目だけ妙に長いことから、いまだに説明がついていない。
後年の再評価[編集]
危機管理史における位置づけ[編集]
1970年代以降、アスガル事件は単なる珍事ではなく、都市危機管理の初期事例として再評価された。消防庁の旧資料を引用する研究では、事件は「大規模災害よりも先に、日常運用の同調圧力が都市機能を壊す」ことを示した例として位置づけられる。
この視点からは、事件の本質は停電そのものではなく、停電を知らせる放送が増え、増えた放送を抑えるためにさらに別の放送が必要になるという連鎖にあったとされる。いわば、都市が自分自身に注意を向けすぎた結果、かえって前に進めなくなったのである。
文化的影響[編集]
事件は後に映画、ラジオドラマ、漫画の題材にもなった。特に公開の短編映画『無音の交差点』では、主人公が「街のアナウンスを止めると、街が息を止める」と語る場面が有名である。これにより、アスガル事件は技術史だけでなく都市文学の文脈でも引用されるようになった。
なお、の古書店街では、事件翌年に配布されたとされる「臨時同期停止札」が稀覯品として扱われている。ただし、実物の多くは後年の観光用復刻版であり、裏面の注意書きに「持ち帰り後は冷暗所にて保管」とあるため、真贋判定が難しい。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 朝倉信之助『都市同期装置ASGAR-3の試験記録』東京電機出版、1959年。
- ^ Margaret H. Thorne, "Phase Drift in Municipal Broadcast Networks", Journal of Urban Systems, Vol. 12, No. 4, pp. 221-247, 1961.
- ^ 三橋芳夫『都電運行日誌抄 昭和三十三年版』交通史料刊行会、1962年。
- ^ 渡辺精一郎「阿須軽式干渉とその誤読について」『通信史研究』第8巻第2号、pp. 44-68、1974年。
- ^ 東京危機管理史編纂委員会『戦後都市における同期障害の研究』都政資料社、1981年。
- ^ Helen R. Cooper, "When a City Listens Too Hard", Proceedings of the Eastern Technical Society, Vol. 7, pp. 19-33, 1959.
- ^ 『銀座四丁目交差点 映像資料集成』日本都市記録協会、1993年。
- ^ 小川清二『アナウンスはなぜ増殖するのか』中央放送評論社、2004年。
- ^ 藤本夏子「百貨店館内放送の位相管理」『商業設備月報』第21巻第6号、pp. 5-14、1963年。
- ^ Richard P. Vale, "The Tokyo Silence Incident and Administrative Overreaction", Urban History Review, Vol. 15, No. 1, pp. 88-102, 1978.
外部リンク
- 東京都市同期史アーカイブ
- 昭和危機通信研究会
- 銀座交差点映像保管室
- 臨時放送規格資料館
- アスガル事件口述記録プロジェクト