アセトレン
| 名称 | アセトレン |
|---|---|
| 別名 | 可逆炭化糸 |
| 分類 | 低温応答性合成炭化概念 |
| 初出 | 1927年頃 |
| 命名者 | 渡辺精一郎 |
| 主な用途 | 潤滑材、染色固定剤、極地用封蝋 |
| 起源地 | 横浜市金沢区の試験工場 |
| 危険性 | 高温で橙色の甘い臭気を放つとされる |
| 関連機関 | 帝国工業化学会、海軍技術研究所 |
アセトレン(英: Acetrene)は、との境界域で発見されたとされる、低温下で粘度が可逆的に変化する合成炭化概念である。もともとは末期の染色工学から派生した副産物として記録され、その後の寒冷地向け潤滑材研究に転用されたとされる[1]。
概要[編集]
アセトレンは、初期に広く注目されたとされる特殊な工業素材である。常温では透明な樹脂状だが、付近で繊維状に結晶化し、再加熱すると元の粘性へ戻る性質があると説明されることが多い[2]。
名称は、発見現場で用いられていた系溶媒と、工場内で仮に付された「レン」記号から合成されたとされるが、後年の回想録では「アセチルとベンゼンの中間物質を誤読した結果」とする説も有力である。なお、この由来については文献ごとに異同があり、学会内では半ば伝説化している。
実用化の最盛期には、の染料会社、の寒冷地機械工場、さらにの艦載計器班までが試用したとされる。一方で、保存容器のふたを開けると1時間ほど甘い匂いが残り、倉庫番が「菓子の納品」と誤認した逸話が複数記録されている。
歴史[編集]
発見と命名[編集]
アセトレンの最初の記録は、にあった私設試験場「金沢臨海化工室」の帳簿に見えるとされる。主任技師のは、染色後の絹糸が冬季だけ硬化する現象を調べる過程で、樹脂塊の表面に針状結晶が現れることを確認した[3]。
彼はこの物質を当初「第七試料」と呼んだが、同僚のが英国の化学誌を参照した際、余白に書かれていた「acetylene-like resin」を略記したのを読み違え、アセトレンという語が生まれたとされる。後年の学会発表では、この命名経緯がなぜか「誤読ではなく国際標準化の第一歩」として再解釈された。
軍需転用と急速な普及[編集]
には、の寒冷試験班がアセトレンを艦内の測距儀封止材として採用したとされる。通常のワックスが沖の低温でひび割れる一方、アセトレンは-18度でも割れにくく、試験では連続浸水後も内部機構を保護したという[4]。
ただし、同研究所の報告書には「加熱時に艦内が微かに甘味を帯びる」との記述があり、これを不快とした乗員が模型船の内部に菓子用ラベルを貼ったため、補給係が一時的に物資台帳を混同した。これが後に「アセトレン補給書式事件」と呼ばれる小さな騒動に発展した。
戦後の民生化[編集]
になると、アセトレンはを中心に民生用途へ再編された。特にの扉枠、製図器具の滑走面、さらにはバイオリンの松脂代用品として売り出され、には年間出荷量がに達したとされる[5]。
しかし一般家庭にはあまり浸透せず、理由として「保存に要する温度管理が面倒」「子どもが固形キャンディと見分けない」などが挙げられた。なお、1961年の都内展示会では来場者の一人がアセトレンの試供片をポケットに入れ、猛暑で溶けた結果、スラックスの内布が一夜で独特の光沢を帯びたという。
性質[編集]
アセトレンは、見かけ上は無臭の樹脂であるが、を受けると内部に微細な空洞を形成し、衝撃を和らげるとされる。このため研究者の間では「自己緩衝性炭化体」とも呼ばれた[6]。
また、湿度によって表面の摩擦係数が大きく変化する点が特徴であり、の報告では、湿度からへの上昇だけで滑走距離が1.8倍に伸びたという。もっとも、この値は実験室の窓際で扇風機を回しただけの簡易試験に基づくもので、後年しばしば要出典扱いとなった。
さらに、加熱した際に出る橙色の光沢を「黄昏反射」と呼ぶ慣行があった。これは保存容器の蓋の隙間から見えるだけで美しいとして、の工業展ではしばしば夜間照明の代用品として展示された。
用途[編集]
工業用途[編集]
もっとも重要な用途は、寒冷地機械の潤滑と封止である。特にの除雪車メーカーでは、アセトレンを軸受に塗布することで始動失敗率がからへ低下したとされる[7]。
また、のクレーン整備班は、潮風にさらされるワイヤー端部に薄く塗る運用を採用していた。ところが、作業員が間違えて塗布量を3倍にしたため、ワイヤーが季節によって「しなる」「固まる」の両方を繰り返し、班長が「生き物みたいだ」と記した日誌が残っている。
文化用途[編集]
民間では、製本の背固め、万年筆の継ぎ目補修、舞台装置の一時固定などに用いられたとされる。特に裏方の木工班では、アセトレンを塗った可動板が静かに閉じる性質を利用し、足音を立てずに転換できるとして重宝された[8]。
一方で、1964年の東京オリンピック前後には、会場装飾の固定材として一部で採用されたものの、熱で軟化した飾り台が傾き、記念撮影の背景が半日ほど斜めになったという報告がある。この出来事は「アセトレン傾斜事件」としてデザイン誌に引用された。
社会的影響[編集]
アセトレンは、戦前日本の化学工業が「見えない機能」をいかに商品化したかを示す象徴的存在とされる。とりわけでは、実用性だけでなく「触って安心する素材」という感覚面の効用が強調され、工場見学の際に児童へ配る小片が人気を集めた[9]。
また、アセトレンの存在は地方経済にも小さくない影響を与えた。金沢臨海化工室の周辺では、試料輸送用の保冷箱を作る木工所や、温度計の校正を請け負う商店が増え、には試験場近くの商店街で「アセトレン饅頭」という白餡菓子まで売られたとされる。
ただし、普及の過程で「工業素材なのに甘い匂いがする」というイメージが先行し、家庭用品と食品の境界が曖昧になったことを批判する声もあった。なお、当時の広告には「料理には使えません」とやや不自然な注意書きがあり、かえって混乱を招いたという。
批判と論争[編集]
アセトレンをめぐる最大の論争は、その実在性ではなく「どこまでが素材でどこからがブランドか」という点にあった。戦後の再編期に、複数の企業が類似品を「アセトレン系樹脂」と称して販売したため、の内部で規格統一案がも差し戻されたとされる[10]。
また、にはの研究室が、流通品の一部から結晶パターンが一致しない個体を発見し、「アセトレンの名を冠するが、実質は全く別物である」と発表した。この論文は当初ほとんど注目されなかったが、後に保存箱の内張りに使われた試料が妙に長持ちしたことで再評価された。
さらに、工業博覧会では「触れると安心する」という宣伝文句が過剰であるとして、消費者団体から「情緒を売る科学」の典型と批判された。ただし、同じ団体の事務局長が私的にアセトレン製の書類押さえを愛用していたことがのちに判明し、議論はやや拗れた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『アセトレン試料帳 第一巻』金沢臨海化工室出版部, 1929.
- ^ 佐伯久子「低温下における可逆炭化体の粘性変化」『帝国工業化学会誌』Vol. 18, No. 4, pp. 211-229, 1934.
- ^ 海軍技術研究所材料班『寒冷艦用封止材としてのアセトレン』海軍技術研究所報告, 第12巻第3号, pp. 5-41, 1932.
- ^ 田代武夫「横浜港湾施設における滑走性樹脂の比較」『工業材料評論』Vol. 7, No. 2, pp. 88-104, 1940.
- ^ Margaret A. Thornton, Acetrene and the Moisture Paradox, Journal of Synthetic Carbon Studies, Vol. 3, No. 1, pp. 14-39, 1956.
- ^ 中村照雄『戦後日本の工業素材と生活文化』東洋科学社, 1962.
- ^ Keisuke Hoshino, “The Yellow Twilight Reflection of Acetrene,” Proceedings of the Pacific Materials Symposium, Vol. 9, pp. 77-93, 1968.
- ^ 日本化学工業協会規格委員会『アセトレン系樹脂の表示に関する覚書』内規資料, 1969.
- ^ 小林いづみ「アセトレン饅頭の地域経済史的考察」『地方産業年報』第5号, pp. 133-149, 1971.
- ^ Walter J. Fenwick, A Curious Manual of Cryo-Resins, Harrington Press, 1974.
- ^ 慶應義塾大学理工学部材料研究室『流通アセトレン試料の結晶異同について』研究紀要, 第22号, pp. 1-19, 1967.
外部リンク
- 金沢臨海化工史料館デジタルアーカイブ
- 帝国工業化学会図書室
- 横浜工業遺産研究センター
- 寒冷地素材年表データベース
- アセトレン保存会