アナルポルチオ
| 名称 | アナルポルチオ |
|---|---|
| 別名 | 逆圧式香気封入法 |
| 起源 | 1898年頃、ウィーン工芸衛生博覧会の周辺 |
| 主な用途 | 香気保存、展示演出、密閉空間の芳香制御 |
| 提唱者 | オットー・R・ヴァイスマンほか |
| 日本への伝来 | 昭和初期に横浜経由で紹介 |
| 関連団体 | 国際気流香気学会、東京香圧研究会 |
| 特徴 | 二重封筒式の器具と0.8〜1.2気圧の反復操作 |
| 現状 | 実務用途は失われ、民俗工芸として細々と継承 |
アナルポルチオ(英: Anal Poltio)は、ので考案されたとされる、密閉容器内の気流を段階的に圧縮・解放することで香気を保存するための古典的な調香技法である。後にでは実験芸術と衛生工学の境界領域として受容され、独自の発展を遂げたとされる[1]。
概要[編集]
アナルポルチオは、密閉器の内部で香気をいったん圧縮し、その後、極めて短い周期で解放することにより、匂いの輪郭を保ったまま長距離へ伝達するとされる技法である。ので、香水瓶の輸送中に揮散する成分を抑える目的から発想されたという説が有力である[2]。
この技法は当初、調香師との協働によって洗練され、のちにの演出装置やの待合室における消臭装置へ転用されたとされる。一方で、操作に熟練を要し、失敗すると「花束が金属的な匂いになる」と記録されており、実用と奇癖の境界に位置する文化として語られてきた[3]。
歴史[編集]
起源と初期の実験[編集]
起源については、にの仮設温室で、オットー・R・ヴァイスマンが「香気は押し込むほど形を保つ」という独自理論を発表したことに始まるとされる。彼は用の逆止弁を流用した小型容器を作り、ローズウォーターを連続で圧縮・解放する実験を行ったという[4]。
この実験では、1回あたりの圧力差を前後に保つことで、香りの減衰が約改善したと報告されたが、現存する記録は展示会の案内冊子1枚しかなく、後世の研究者からは「数値があまりに都合よく整いすぎている」と指摘されている。なお、このとき使用された試料は、、および未確認の「白い柑橘」とされる。
日本への伝来と大正期の変質[編集]
への伝来は頃、横浜の舶来雑貨商・が輸入した「香圧試験筒」によるものとされる。神保は・の下宿で実演会を開き、わずかの部屋にを詰め込んで香気の拡散を観察させたという。
この時期の日本では、アナルポルチオは芸術家よりもむしろやの関心を集めた。とくにの一部旅館では、客室の畳の下に薄い銅管を通し、朝食の時間に合わせて柚子の香りを「押し出す」仕組みが試みられたとされる[5]。
昭和期の制度化[編集]
初期になると、の外郭団体と称するが設立され、アナルポルチオは半ば官製の「環境芳香技術」として扱われるようになった。研究会はに『香気反復圧送の手引』を刊行し、標準器として高さ、胴径のガラス筒を採用した[6]。
ただし、同書の第3章には「過度な反復は鼻孔の記憶を攪乱する」とあり、実際の運用では1日を超えないことが勧告された。この勧告は一部の映画館で無視され、上映前の薔薇香演出が濃厚すぎて観客が退席した事例が報告されている。
戦後の衰退と再評価[編集]
、合成香料の普及とともにアナルポルチオは急速に衰退したが、前後に外国人向けの「和風香圧デモ」として一時的に復活した。とりわけの土産物店では、紙風船を応用した簡易器具が販売され、1個という妙な価格設定が話題になった。
にはの民俗工芸展で「最後の職人」とされるが実演を行い、会場内で漂った沈香の層が3段に分かれて見えたと記録されている。ただし、この記述は観覧者の証言に依拠しており、要出典とする編集者もいる。
技法[編集]
アナルポルチオの基本は、香気源、圧送器、保持層の3要素から成るとされる。最初に香気源を薄い油膜で覆い、次に空気を「押し込む」ことで芳香分子を壁面へ密着させ、最後に短い間隔で解放して層を整えるのである。
熟練者はこれを「一押し三戻し」と呼び、特にやのように揮散速度の異なる素材を混ぜる際に用いたという。なお、技法書の末尾には、失敗例として「鉛筆削りの匂いが春の雨になる」など意味不明な表現が並び、学術と俳句の中間にある文体として珍重されている[7]。
社会的影響[編集]
この技法は、香水工業だけでなく、の催事、車内の簡易芳香、さらにはの年賀状窓口の待機列における不快臭対策にまで応用されたとされる。とくにのの催事では、来場者のうちが「匂いの立ち上がりが遅いが上品である」と回答したという調査が残る[8]。
一方で、鼻腔への負担を理由に批判もあった。保守的な衛生学者は「匂いを圧縮する思想そのものが近代の暴力である」と論じ、これに対して推進派は「圧縮されるのは空気であって文化ではない」と反論した。この論争は各紙の文化欄で小さく長く続き、結果としてアナルポルチオは半ば失敗した公共技術として記憶されることになった。
批判と論争[編集]
最大の論争は、創始者とされるオットー・R・ヴァイスマンの実在性である。の名簿には同名の人物が見当たらず、の火災で原資料の多くが失われたこともあって、研究は長らく停滞している。にもかかわらず、の再発見ブームでは、彼の手稿とされるものがの古書店から3冊まとめて出たとされ、真贋論争がいっそう混迷した[9]。
また、アナルポルチオが実際には単なる芳香噴霧器の誤訳ではないかという説もある。だが、支持者は「誤訳にしては器具の圧力弁があまりに精巧である」と主張し、今日でもでは年に1度、再現実験が行われている。もっとも、近年の測定では圧力変化よりも参加者の気分の高揚の方が顕著であると報告されている。
脚注[編集]
[1] 『香気反復圧送概論』による。 [2] ヴァイスマンの展示会記録は断片的である。 [3] 旅館業組合『芳香設備覚書』第2号。 [4] ウィーン工芸衛生博覧会案内冊子、1898年版。 [5] 大阪府旅館衛生課の内部報告書とされる。 [6] 東京香圧研究会編『香気反復圧送の手引』。 [7] 『反復香気術小誌』には異文が多い。 [8] 「上野催事来場者意識調査」『東京日日文化欄』1951年5月号。 [9] 神保町の古書店名は資料ごとに異なる。
関連項目[編集]
脚注
- ^ オットー・R・ヴァイスマン『香気反復圧送と都市の呼吸』Kunst & Hygiene Verlag, 1901.
- ^ 東京香圧研究会編『香気反復圧送の手引』東京香圧研究会, 1933年.
- ^ 神保善次郎『舶来香圧器具図説』横浜商報社, 1918年.
- ^ Margaret L. Haversham, "Reversible Aroma Confinement in Fin-de-Siècle Vienna," Journal of Applied Olfactory Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-79, 1974.
- ^ 小泉栄作『芳香と圧力の民俗誌』民藝研究社, 1962年.
- ^ Ernst Koller, "On the Elastic Memory of Scent," Proceedings of the Royal Society of Portable Hygiene, Vol. 5, No. 1, pp. 1-18, 1906.
- ^ 『反復香気術小誌』第3巻第2号、香気書院, 1940年.
- ^ 斎藤みどり『戦後日本における香気装置の受容』東洋文化出版, 1988年.
- ^ Helena Voss, "The Poltio Problem: A Case Study in Mistaken Ventilation," Central European Review of Experimental Aesthetics, Vol. 8, No. 4, pp. 201-230, 1999.
- ^ 『上野催事来場者意識調査』東京日日文化欄, 1951年5月号.
外部リンク
- 国際気流香気学会
- 東京香圧研究会アーカイブ
- 横浜舶来雑貨史料室
- 芳香圧送技法データベース
- 日本民俗工芸保存協議会