アバカン
| 名称 | アバカン |
|---|---|
| 読み | あばかん |
| 英語表記 | Abakan |
| 初出 | 1798年ごろ |
| 発祥地 | エニセイ川上流域 |
| 主用途 | 河川監視・標識設置・水圧儀礼 |
| 材質 | 白樺材、青銅、馬毛、亜麻布 |
| 制定機関 | 帝国水路局・ハカス地誌委員会 |
| 現存数 | 公認確認例17基 |
| 特徴 | 水音で測位する半機械式装置 |
は、上流域における河川監視・標識設置・冬季航行のために用いられたとされる、旧系の多目的水上測量装置である。のちに地方の職人技術と結びつき、転じて地形測定から儀礼用の放水演出にまで用いられるようになったとされる[1]。
概要[編集]
アバカンは、南部の流域で発展したとされる水上測量装置である。水位の変化、氷結の周期、風向きによる振れを同時に読取ることで、冬季の渡河地点を示したとされている。
名称は現在のの中心都市に由来するとされるが、地元では逆に「装置の名が先で、都市名が後に定着した」とする説が根強い。帝国期の測量士が1798年に最初の原型を記録したとされるが、実際には現地の牧畜民が使っていた木製の水音板を、官製の規格に合わせて再設計したものだという[要出典]。
一見すると単なる測量器具であるが、19世紀末にはの博覧会で「音を読む地図」として紹介され、半ば民俗工芸、半ば軍事技術として扱われた。結果として、アバカンは実用品であると同時に、帝国と辺境の折衷を象徴する道具として知られるようになったのである。
歴史[編集]
起源と原型[編集]
最古の原型は後半、近郊の税関宿営地で作られた木枠式の浮標であるとされる。税吏のが、氷片の流下音を聞き分ける系の舟運案内人から着想を得た、という記録が残る。装置は、白樺の枠に馬毛を張り、風と水の共鳴を増幅させる仕組みであった。
1804年には帝国水路局が改良型を採用し、以後「アバカン型標識器」として帳簿上に記載された。もっとも、同局の会計書では部品名が「不明な木片」「鳴る紐」としか書かれておらず、後世の研究者を悩ませている。
帝国測量術への導入[編集]
になると、アバカンは軍用地図作成にも利用されるようになった。特にの北方監察隊は、凍結した河面の微振動を観測し、夜間移動の安全基準を決めるのに重宝したという。これにより、巡察の遅延が平均で17分短縮されたとする報告がある[2]。
ただし、現場の兵士の間では、装置が鳴る日は熊が近いという迷信が広まり、測量よりも先に焚火が準備されることが多かった。なお、の一部会員は、こうした迷信こそが正確な運用を助けたと主張している。
民俗化と儀礼化[編集]
以降、アバカンは実用装置としてよりも、春の融雪祭で用いられる儀礼具として再評価された。特にでは、装置の先端から水を細く噴出させ、今年の漁獲量を占う「三滴予報」が行われたとされる。
1907年の記録では、ある村でこの噴出が予定より強くなり、祭りの広場がぬかるみになって観客312人が靴を失ったという。村の長老はこれを「豊穣の前触れ」と説明したが、警察は単に装置の配管不良として処理した。
構造と機能[編集]
アバカンの標準型は、台座、共鳴筒、浮標腕、指針環の四部から成るとされる。台座は材で、共鳴筒は薄い青銅板を巻いた半円筒形であり、内部に亜麻布を湿らせて張ることで音の遅れを計測した。
機能の要点は、流速そのものを測るのではなく、流れが「どこで止まり、どこで歌うか」を読む点にあると説明される。これにより、熟練者は水面を見ずに川幅を推定できたという。実験記録では、熟練者の誤差は最大で4メートル、初心者は平均28メートルと大きく開いた[3]。
また、冬季には浮標腕の先端に獣脂を塗り、氷の鳴動を拾いやすくした。逆に夏季は濡れた毛束が風を受けてしまうため、運用にはからまでの「静音期間」が設けられていた。
普及と社会的影響[編集]
交通と徴税[編集]
アバカンが最も広く普及したのは、渡船料金と木材税の算定に使われた時期である。流路の変化を早く察知できるため、徴税吏にとっては徴収地点の変更を事前に把握できる利点があった。これにより、方面の税収はに前年比11.4%増となったとする古文書がある。
一方で、徴税に使われたことで住民の反発も強く、アバカンは「川を数えるための檻」と呼ばれたことがある。とくに市場税の引き上げ後、装置が夜間に小石で詰まる事件が3件続いたが、いずれも自然現象として扱われた。
教育と博覧会[編集]
の産業博覧会では、アバカンの教育用縮小模型が出品された。これは河川工学学校の初等課程で用いられ、学生が水流音を聴き分ける訓練に使ったという。模型は全長42センチメートルで、風鈴に似た小部品が付属していた。
博覧会の来場者は想定の2倍を超え、試験運用中の模型が一晩で7回も持ち去られかけた。会場側はこれを「大衆の関心」と評価したが、実際には子どもたちが鳴る部品を土産として欲しがっただけだとされる。
近代化と衰退[編集]
に入ると、アバカンは電信による水位通知や金属製標識に置き換えられ、実用機としての地位を失っていった。だが、にの民俗保存運動が再発見し、祭礼具として復活したことで命脈を保った。
保存会の調査では、地域内に完全形が5基、断片が12点、改造型が31点あるとされたが、うち9点は木彫りの飾りだった可能性がある。なお、学芸員のは「分類の困難さ自体がアバカンの本質である」と述べている。
地域差と派生型[編集]
アバカンには、河岸型、渡し場型、祭礼型、軍用簡易型の4系統があるとされる。河岸型は大型で、の本流監視に適し、渡し場型は可搬性を優先して折りたたみ式であった。
祭礼型は最も装飾的で、先端に赤い布と真鍮鈴が付く。軍用簡易型は逆に音を減衰させる設計で、敵に位置を悟られないようにしたというが、実際には風でよく倒れたため、前線では評判が悪かった。
派生型としては、沿岸で見られた「オバカン式」や、国境地帯で改良された「半月アバカン」がある。いずれも名称の由来は不確かで、各地の工房が独自に名乗っただけともされる。
批判と論争[編集]
アバカンに対する批判は、主にその効果の測定が困難である点に向けられてきた。19世紀の技術者は、アバカンの成果は装置ではなく「注意深い人間の耳」によるものであり、道具としての優位性は証明されていないと論じた[4]。
また、保存活動の過程で、現地自治体が観光向けに派手な演出を加えたことで、「本来の静かな装置が騒がしくなった」との批判も起きた。とくに2011年の復元式では、LED照明が過剰で、夜間河川に青い光が反射しすぎたため、野鳥保護団体から抗議が出た。
なお、一部の民俗学者は、アバカンを測量器具ではなく「水辺の聞き書き装置」と定義し直そうとしている。これは学術的には興味深いが、会議のたびに定義が増えるため、議事録が非常に長くなるという欠点がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ミハイル・アンドレーエフ『エニセイ上流域における音響測量器の変遷』帝国水路学会誌 Vol.14, No.2, pp. 33-58, 1892.
- ^ E. Thornton, "River Listening Devices in Southern Siberia," Journal of Imperial Geography, Vol.27, No.4, pp. 201-229, 1931.
- ^ 佐伯孝一『ハカス地方の標識と徴税』東方地誌研究所, 1978.
- ^ Н. Воронцов『河音と凍結の実務』サンクトペテルブルク河川工学出版局, 1811.
- ^ エレーナ・サヴェリエワ『復元された民具と失われた機能』ハカス民俗資料館紀要 第8巻第1号, pp. 5-19, 1964.
- ^ Pavel N. Korovin, "Abakan-type Instruments and the Politics of Sound," Slavic Technical Studies, Vol.9, No.1, pp. 77-104, 1956.
- ^ 高橋和夫『シベリア水路誌の周縁』北海堂書店, 1994.
- ^ A. M. Belov『アバカンの青い光に関する覚書』極北観測月報 第3巻第7号, pp. 112-118, 2011.
- ^ 岡本麻里『民俗祭礼における放水演出の比較研究』民俗と装置, 第12巻第3号, pp. 44-66, 2007.
- ^ I. Malkevich, "The Bell of the Frozen River: Notes on Abakan," Proceedings of the Khakass Historical Society, Vol.2, No.5, pp. 1-23, 1805.
外部リンク
- ハカス民俗工芸アーカイブ
- 帝国水路局デジタル文庫
- エニセイ流域装置研究会
- 南シベリア音響測量博物誌
- アバカン保存会年報