アルスの書に登場する悪魔一覧
| ジャンル | 外典写本学・悪魔学的分類 |
|---|---|
| 対象文献 | 系統の写本(複数伝本) |
| 成立とされる時期 | 末〜初頭にかけての増補過程とする説 |
| 分類の軸 | 階級(王/公/卿等)、管轄(気象/金属/記憶等)、季節性 |
| 伝播の媒体 | 写本・巡礼者向け「抄録」・都市写字室の記録 |
| 社会での影響 | 呪文の民間運用と、教会側の対抗言説の両方を招いた |
アルスの書に登場する悪魔一覧(あるすのしょにとうじょうするあくまいちらん)は、キリスト教の外典とされるに記載されたとされる悪魔を項目化した一覧である。写本研究の系譜において、各悪魔の階級・得意分野・呼び出しの作法が「手順書」としてまとめ直されてきたとされる[1]。
概要[編集]
に登場する悪魔の一覧は、特定の版や一つの写本だけを根拠にせず、「読み替え」と「抜粋」が重ねられることで成立したとされる。実際には伝本差が大きいにもかかわらず、後代の筆写者が“実用性”を優先して、悪魔ごとの役割を短い定型句に整えたため、一覧として流通したと推定されている[2]。
一覧に含める悪魔は、(1) 章題または余白注に出現すること、(2) 呼称が二種類以上の筆記法で確認されること、(3) 少なくとも一回は「季節」「方角」「素材(香・金属・墨等)」のいずれかと結び付けられていること、という条件で選ばれている。なお、この基準はの都市写字室で整備された“回覧向けの規格”に由来すると説明されることが多いが、異論もある[3]。
一覧[編集]
=== 王級(主要契約の名で呼ばれるとされる)=== 1. ベルギリオン(—年)- を固めるとされる悪魔である。特に湿度がを超える夜に働くと記され、霧が“文字の形”になる現象が記録されたという逸話が付随する[4]。
2. サルメルド(—年)- 金属の音(鐘・釘・鎖)を“言葉”に変換する役割を持つとされる。ロンドンの沿いで写字工が寝落ちしたとき、刃物の打音が祈祷文に聞こえたという話が、後代の注釈に採録されたとされる[5]。
3. ヴァレクス=ノクティス(—年)- 夜の記憶を保管庫から盗み出すとされる公的人物である。呼び出しの印は月相に合わせて四段階(新月・半月・満月・晦日)に分かれるとされ、転記の際に“晦日”が抜け落ちた写本があると指摘される[6]。
4. クリュオル=セプテンティア(—年)- 旋律を契約文に書き換える悪魔である。音楽家が舞踏会の前に“短い誤調”をわざと残す習慣が生まれたとされ、結果として外部からは「不吉な教養」と見なされることもあったという[7]。
=== 公級(局所領域に強いとされる)=== 5. レンティアス・アストラ(—年)- 星座の位置を“日付の代わり”に読むとされる。たとえばの商人が帳簿の日付を星の並びで統一し、監査が混乱したのはこの影響ではないか、と噂話が後代の章に残っている[8]。
6. ユリモルフ(—年)- 旅人の足取りを三種類に分岐させるとされる。記述では「石畳・泥道・板橋」の順に従うため、実際の地図職人が橋名を細分化したという都市伝承が付与されている[9]。
7. オルテオス(—年)- 植物の“沈黙の季節”を管理するとされる。畑の収穫を遅らせる民間暦が生まれたとされるが、同時に飢饉の年に批判が集中した点が注釈で強調されている[10]。
8. ヴェルム=カンタル(—年)- 文章の誤字を増幅させる卿級とされつつ、本一覧では公級に編入されている。理由は「誤字が増えるほど、読者は“学び”としてそれを眺める」ため、教育目的の採用があったとする説明がある[11](ただし出典は明示されない)。
=== 卿級(職能・禁忌に結びつく)=== 9. シルヴァルーン(—年)- 香の煙を“追いかける”とされる。煙が壁に沿って戻る現象が観察され、香炉の角度を調整する職人技が広まったとされる[12]。
10. マルグロス(—年)- 鍵と鍵穴の相性を支配する悪魔である。錠前師のギルドが「鍵穴は物理ではなく契約である」と掲げた記録があり、の工房で試験的に鍵形状が標準化されたと噂される[13]。
11. エリュド=ラクリマ(—年)- 涙を“塗料”に変えるとされる。子供の落涙を素材として扱う民間療法が流行した時期があり、後代の神学者はこれを“治癒の悪戯”として非難したとされる[14]。
12. ナファリオン(—年)- 夢に出る人物の年齢を操作するとされる。ある写本では「夢の人物は必ず三歳若く見える」と定型句化され、転写者が自分の記憶を書き換えられたのではないかという疑義が生まれた[15]。
=== 下位(ただし実務で参照される)=== 13. トルキナス(—年)- 机の上の消しゴム(当時の素材換算)を勝手に動かす悪魔である。祈祷ではなく写字作業の妨害として恐れられ、写字室の監督が“筆圧の一覧”を作ったと伝わる[16]。
14. ベルクス・ミネラ(—年)- 石の割れ目に言葉を宿すとされる。石工が彫刻の文字を微妙に薄くすることで災難を避けた、という逸話が付されている[17]。
15. コルヴィオル(—年)- 食卓の順番を入れ替えるとされる。祭事で急に座順が変わる事件が複数報告されたため、民間では「誰かが呼んだ」と短絡的に説明され、教会側は“偶然の統計”だと反論したとされる[18]。
16. アズレナフ(—年)- 墓標の彫り文字を夜だけ読みやすくするとされる。納骨の翌夜に見えるはずの字体が、翌朝には“勝手に整っていた”とする記録があり、遺族が救いと恐怖を同時に抱いたと書かれている[19]。
17. ペリグラント(—年)- 水面に映る像を遅延させる悪魔である。池に浮かぶ雲の影が時間差で動いたとされ、測量者が“観測の誤差”を悪魔のせいにしたのではないかという人物評が残っている[20]。
18. ヴァンテロス(—年)- 祈祷書の余白に小さな図を描くとされる。筆写者が気づかぬうちに図が増殖し、写本の売買価格が“余白の密度”で決まった結果、商業的に最も歓迎された下位悪魔になったと説明される[21]。
=== 補遺(研究者が後から付け足したとする枠)=== 19. マディオス・クロニクス(—年)- 年号を読み換えるとされる。注釈ではの疫病の年を“別の年”として扱った写本が存在するとされるが、年代整合の不可能性から学術的には否定的に見られることも多い[22]。
20. ヴィトレイア=グレイ(—年)- 盾の表面にだけ文字を結露させるとされる。軍装の隊列が乱れた夜に結露が“条文”のように並んだ、という記録があり、戦史資料とは一致しないという矛盾が、かえって記事を有名にしたとされる[23]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
批判と論争[編集]
一覧は“実用的な索引”として読まれてきた一方で、写本学の観点からは恣意性が指摘されてきた。特に、同一の悪魔名が一つの写本では卿級、別の写本では公級に収められている例が多く、その分類が内容理解というより編集方針(回覧用の読みやすさ)に寄っていた可能性があるとされる[24]。
また、悪魔の呼称と季節性が結び付けられる箇所には、農暦や教会暦の運用実態が混入していると考えられている。批判側は「これは悪魔ではなく暦の説明のために作られた“物語装置”である」と論じるが、擁護側は「むしろ暦の不確実性を埋めるために悪魔が必要だった」と反論している[25]。
さらに、いくつかの注釈は地名や制度名を具体にしすぎており、学術的には“後代の社会観察”が混入した疑いがあるとされる。ただし、そのズレが読者にとっての臨場感を生み、結果として一覧が長く参照され続けたとも言われる[26]。
歴史[編集]
成立の物語:都市写字室の“索引化”[編集]
この一覧が成立した背景には、後半に広がった巡礼者向けの携帯写本ブームがあったと説明されることが多い。巡礼者は長い外典本文を暗記する代わりに、「悪魔名だけを押さえる」方針を取りがちであったため、写字室では余白注を体系化し、項目表(索引)に変換する作業が求められたという[27]。
そこで編者たちは、階級名を市場向けの分かりやすい語彙に寄せ、呼称の揺れは“同義の範囲”にまとめて整理したとされる。たとえば「方角」「素材」「季節」を固定することで、写字の手戻りが減り、結果として悪魔一覧は“準公式”の顔つきで流通したと推定されている[28]。
社会への影響:恐怖と実務の同居[編集]
悪魔一覧の普及は、民間の迷信だけでなく、職能集団の実務に波及したとする見方がある。錠前師、石工、音楽家、測量者など、本文の記述が“専門の勘”と結びついて解釈され、道具や手順が改良されたとされるのである[29]。
一方で、教会側の対抗言説も生まれた。たとえばに編集された説教草稿では、悪魔の名前が具体的すぎるほど人は“対応する儀礼”を真似たがるため、教育としては危険であると論じられたという[30]。この対抗が記事の“リアリティ”をさらに高め、皮肉にも一覧の需要を押し上げた、という説明がなされることがある。
編集合戦:どの悪魔を“載せるか”[編集]
一覧の各項目には「入れた理由」が必要であり、それが後代の注釈者の個性を反映したとされる。ある編集者は、読みやすさのために“短いエピソード”を必須条件にしたとされ、別の編集者は逆に“地名の具体性”を重視したという[31]。
この編集方針の違いが、後の読者にとって矛盾として映ることがある。たとえば、ある悪魔が天候の節目に強いのか、それとも文章の誤字に強いのかが写本間で揺れ、研究者はそれを“資料の揺れ”として扱う。ただし一般読者には、揺れの方が物語の魅力になると評される点が、一覧が長命である理由とされる[32]。
脚注
- ^ フェルナンド・ロドリゲス『外典写本の余白注:中世索引化の研究』ウィーン写本局, 2009.
- ^ マルグリット・ヴァロア『悪魔名の階級学:王級・公級・卿級の分類史』パリ学術評議会出版, 2013.
- ^ Dr.ヘンリー・フォスター『Weather and Invocation: A Synthetic Reading of Ars Traditions』Oxford Press, 2011.
- ^ 坂東エリカ『都市写字室と回覧用写本:索引という編集技法』東京写字文化研究所, 2018.
- ^ アレクサンドル・マニョ『鍵穴儀礼と職能ギルド:アムステルダムの事例(第12章補遺)』ロッテルダム文庫, 2006.
- ^ ジョヴァンニ・ベルナルディ『星座による帳簿統一の起源(誤読を含む)』フィレンツェ大学出版局, 2015.
- ^ E. J. Kestrel『Delayed Reflections: Water-Surface Omens in Late Medieval Europe』Cambridge Folio, Vol.3 No.2, pp.41-63, 2020.
- ^ 田中シオン『誤字増幅の倫理:写字共同体における“教育目的の悪魔”』大阪外典研究会, 2017.
- ^ Marie-Luce Ardent『Tears as Pigment: Practical Myth in Ars Commentaries』Liège University Press, 2012.
- ^ (要検証)H. C. Caldwell『The 1348 Chrononym Rewrites』第七版, 第5巻第1号, pp.12-30, 1899.
外部リンク
- Ars写本アーカイブ・コレクション
- 悪魔階級索引研究会(Demon-Class Registry)
- 都市写字室データベース
- 外典余白注のデジタル展示
- 季節儀礼と地名対応表