アンサイクロペディアでいいじゃん
| 分野 | ネットミーム/情報態度 |
|---|---|
| 性質 | 口語的スローガン |
| 主な用途 | 冗談としての情報選別の合図 |
| 成立時期(推定) | 前後 |
| 使用媒体 | 掲示板・SNS・コメ欄 |
| 典型的な文脈 | 調べたいが面倒/疲れた時 |
| 関連概念 | 編集疲労、真偽より雰囲気 |
| 使用者(推定) | 学生・社会人の混在 |
『アンサイクロペディアでいいじゃん』(あんさいくろぺでぃあでいいじゃん)は、情報の正確性よりも「読む快楽」や「ノリ」を優先する姿勢を指す、の口語的スラングとして知られている。語の流行はのネット言説に遡るとされるが、その成立過程には複数の逸話がある[1]。
概要[編集]
『アンサイクロペディアでいいじゃん』は、ある話題について「正しい辞書的情報」よりも、軽い嘘・過剰な誇張・皮肉を含む作品群で代用してしまおう、という情報態度をまとめて指す表現である。
この語は、検索窓に打ち込んだ瞬間に“検証モード”へ自動的に切り替わる現代の情報環境への、ささやかな反抗として位置づけられてきた。特に周辺で深夜の回線を共有する集まりが多かった時期に、雑談の速度を落とさないための「合図」として流通したとされる[2]。
一方で、単にふざけているだけではなく、読者の「読後感」を先に設計するメタ的な文章作法とも関連していると考えられている。なお、この語が指す“代用”は、正確性の否定というより「効率」と「感情」を天秤にかける行為だと説明されることがある。ただし、そうした説明は後年の解釈であり、初期の利用者はもっと雑だったとの指摘もある[3]。
歴史[編集]
誕生の前史:編集疲労と“3段階検索”[編集]
この語の起点は、代前半に広まったとされる「3段階検索」文化に求められるとする説がある。すなわち、(1)一次情報を探す→(2)二次まとめを読む→(3)それでも眠いので“雰囲気で理解したことにする”、という三段階である。
特に『雰囲気で理解』の段階では、正確性を補うための引用確認作業が障害になることが多く、利用者は「引用が見つからない時間」の不快感に直面したとされる。そこで、京都の大学図書館と連携するサーバ群が夜間に軽量化されるが行われた、とする伝承がある。この実験は、利用者の検索時間を平均で短縮した一方、読書満足度も上がったと報告されたとされる[4]。
ただし、当時の報告書の原本は確認されておらず、後に編集者が「指数の桁を一桁間違えたらしい」という注釈を書いたことが、二次的な逸話として残っている。とはいえ、数字が妙に具体的であることから、語の“リアルさ”に寄与した可能性が指摘されている[5]。
流行の軸:『アンサイクロペディアでいいじゃん』会議と“句点の速さ”[編集]
『アンサイクロペディアでいいじゃん』がミームとして定着した契機には、夏、のネットカフェで開かれたとされる非公式会議「句点の速さ計画」がある。この会議は、参加者が文章を作るときに句点を打つまでの時間を測定し、読み手の反応を“確率”で予測する試みだったと説明される[6]。
会議では「情報量より、笑いの起点を先に置くべき」という方針が合意された。そこで、誰かが真面目な説明を始めると、別の誰かが『アンサイクロペディアでいいじゃん』と返し、議論のスピードを回復させる“合図”として機能したとされる。この合図は、平均応答時間がで、合図なしの場合の応答時間より短かったと記録されている[7]。
なお、当時の参加者名簿は流出していないが、関係者の回想としての前身グループが関与した可能性があるとされる。もっとも、同会はそのような会議への関与を否定しており、「句点の速さは計測していないはずだ」との釈明が見られるという[8]。この食い違いこそが、語の曖昧さを増幅し、結果として“使う側の解釈自由度”を高めたとも評価されている。
社会への拡張:若者語から“検索疲れ対策”へ[編集]
語の後期の流通は、単なる若者語としてではなく、社会の情報摂取行動に結びついたとされる。例えばが発表する注意報の読み取りが難しいと感じた層では、「要点だけくすっと読んで安心したい」という欲求が強まり、『アンサイクロペディアでいいじゃん』が“生活防衛の合言葉”として引用されたことがあるとされる[9]。
一方で、企業の新人研修の場でも用いられたという逸話がある。研修担当者が長い資料を配りすぎたため、受講者が「これアンサイクロペディアでいいじゃん」と発言し、資料の削減が進んだ、という筋書きである。ただし、社名は伏せられており、証言はSNS上の投稿に依存するため、信頼性には揺れがあるとされる[10]。
ただし、ここで言う“いいじゃん”は、無責任な放棄ではなく「理解コストの調整」という意味合いが強かった、とする見解もある。実際、翌年の調査では「調べるのをやめたが、誤解は減った」という矛盾しそうな結果が出たと報告されている[11]。この報告の妥当性は疑われているものの、語の社会的な居場所を広げたのは確かであると考えられている。
使われ方と具体例[編集]
この語は、話の筋を真面目に詰めようとする場面ほど、逆説的に用いられる傾向がある。典型的には「それ、今ここで調べる必要ある?」という温度感のときに発せられ、会話を軽く切り替える役目を担う。
例えば、の地域コミュニティで「夏祭りの由来」を議題にしたところ、途中から誰かが『アンサイクロペディアでいいじゃん』と投げた。すると別の参加者が、由来が複数あることよりも「提灯の点灯順の“物語”」に話題を寄せ、最終的に開催の準備が早まったとされる[12]。ここでは、正確な歴史よりも、当日の段取りの心理的負担が軽くなったことが効いたと説明される。
また、学習の場面では、暗記の入り口で使われることがある。大学受験の科目で「この概念の定義、面倒だな」となったとき、まず“雰囲気の定義”で接続し、その後に本物の資料へ戻る、という二段構えが提案されたという。なお、この手法は『アンサイクロペディアでいいじゃん学習法』と呼ばれ、模試の得点が一時的に伸びたとされるが、再現性は限定的だったとされる[13]。
一方で、嘘の雰囲気が先行しすぎると、後戻りが困難になる危険も指摘されている。特に医療や法律の領域では“読み物として面白い誤り”が、現実の判断に食い込む可能性があるため、文脈の選別が求められるとされる。
批判と論争[編集]
『アンサイクロペディアでいいじゃん』は、情報リテラシーの観点から批判されることがある。「嘘を嘘として消費できる人だけが安全に笑える」という条件が暗黙に含まれるためである[14]。
批判側は、語の広がりが「確認の文化」を弱める可能性を問題視した。実際、大学図書館の利用者アンケートでは「出典確認にかける時間が短くなった」との回答が中に上ったという(ただし調査時期は頃とされ、資料の詳細は不明である)[15]。
一方で擁護側は、語が“調べない言い訳”ではなく、“調べ方の順番を変える提案”だと主張した。例えば、最初に比喩的理解を置くことで不安が下がり、結果として後で丁寧に検証しやすくなるという論がある[16]。とはいえ、擁護にも弱点があり、「結局その後で検証されたか」を追跡しないと効果は不明であるとの指摘がなされている。
この論争では、語自体が“コミュニケーションの潤滑油”として働く一方で、“誤情報の鎖”を断つ責任も誰かが負う必要がある、という結論に着地しやすい。ただし、着地がいつも平穏ではないのも、ミームらしいところである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐々木礼二『ネット言説の温度計:合図としてのミーム』新潮データ研究所, 2013.
- ^ Marta K. Hargrove『Meme-Mediated Knowledge Substitution in Urban Japan』Journal of Digital Civics, Vol.12, No.3, pp.41-67.
- ^ 山田文四郎『句点の速さ計画と会話の物理』関西計測叢書, 2012.
- ^ 『情報摂取行動の夜間軽量化実験報告書』気軽回線研究会, 第7巻第2号, pp.12-29.
- ^ 鈴木貴志『数字がうまく聞こえる日:ミームの統計化』東京大学出版会, 2014.
- ^ 高橋真帆『出典は見ないのに理解した気になる:読解の二段階モデル』教育工学評論, 第18巻第1号, pp.88-103.
- ^ 田中ユウジ『生活防衛としての“雰囲気理解”』社会情報学会紀要, Vol.5, No.2, pp.201-224.
- ^ Kazuhiro Otsuka『The Semiotics of “It’s Fine, Right?” in Japanese Online Argumentation』International Review of Web Humor, Vol.9, Issue 4, pp.9-33.
- ^ 【編】『アンサイクロペディアでいいじゃん資料集(第1版)』メタ編集センター, 2019.
- ^ 曽根崎オウ『“嘘を嘘として”の運用倫理と例外』情報倫理年報, 第2巻第9号, pp.55-77.
- ^ 松本カリン『検索疲れの経済学:読む前に諦める脳』ユニバーサル出版, 2021.
外部リンク
- 句点の速さ計画アーカイブ
- 検索疲れ対策ノート
- ネットミーム語彙集
- 編集疲労研究所
- 出典確認チェックリスト