ウッフーン=オン=ナヨーン
| 分類 | 声調記譜法、身振り補助記号 |
|---|---|
| 起源 | 1908年ごろ、仏領インドシナ沿岸の港町 |
| 考案者 | サヴァン・チャンダラト、ほか2名とされる |
| 使用目的 | 口承芸能の抑揚保存、広告文言の音律調整 |
| 主要記録地 | バンコク、サイゴン、神田 |
| 現存資料 | 断片的な冊子17点、石版3枚 |
| 特徴 | 語尾に二重波線を付す独自の表記 |
| 衰退 | 1970年代後半 |
| 復興 | 2004年以降の民俗音響学ブーム |
ウッフーン=オン=ナヨーンは、20世紀初頭の沿岸部で発達したとされる、声調と身振りを同時に記録するための擬似記譜法である。のちにの演芸研究者らによって再発見され、後期には一部の広告制作現場でも用いられたとされる[1]。
概要[編集]
ウッフーン=オン=ナヨーンは、発話の抑揚、間、肩の動き、視線の逸らし方までをひとまとまりで記録する目的で用いられたとされる符号体系である。現地では単にと呼ばれたが、日本語圏では語感の奇妙さから「ウッフーン=オン=ナヨーン」の名称が定着した。
この体系は、中部から北部にかけての港湾都市で、船頭歌や即興寸劇を正確に残すために生まれたという説が有力である。ただし、最古の資料とされるの冊子には、なぜかの貸本屋の蔵書印が押されており、研究者の間では「すでに上陸済みだったのではないか」とする異論もある。
歴史[編集]
成立[編集]
成立はからにかけてとされ、港町の語り部サヴァン・チャンダラトと、の通訳官ギヨーム・L・ベルタン、さらに楽師のマリック・スリヤワンの3名が関わったと伝えられている。彼らは、同じ台本でも演者によって「色気が出すぎる」「間が死ぬ」「最後に肩が上がる」などの差が大きいことに悩み、音節の末尾に二重点と波線を併記する方式を考案したという[2]。
初期の符号は、主に木炭で描かれた横書きの短冊に記され、感情の強さを0.5刻みで示すため、0から7までの「うなずき係数」が導入された。なお、7を超える値を記すと演者が舞台で笑いをこらえられなくなるため、教育現場では原則として禁止されたとされる。
東京への伝播[編集]
末期、この記譜法は交易商の手記に紛れてへ持ち込まれたが、実際に広まったのはの演芸研究会「東洋抑揚倶楽部」である。中心人物のは、寄席の口演を分析する過程でウッフーン=オン=ナヨーンと既存の浄瑠璃記法との類似を見いだし、に《抑揚とため息の比較表》を刊行した[3]。
この本は大学図書館ではなく、当時の写真館の待合室でよく読まれたとされる。理由は、見出しに添えられた例文「やめておけばよかった、でも少し続けたい」が妙に当時の流行歌に合っていたためである。
広告業界での応用[編集]
30年代になると、電機メーカーと化粧品会社が、テレビCMの語尾を整えるためにこの体系を採用したとされる。とりわけの広告代理店「新陽堂」は、1962年に社内用の《ナヨーン指示票》を導入し、ナレーターの声を「甘く1.8」「理知的0.9」「うっかり官能2.4」などに分類したという[4]。
もっとも、同社の保存資料には、なぜか本来の音声記号の横に出稿予算のメモや喫茶店の領収書が混在しており、後年の研究では「記譜法というより、伝票整理術ではないか」との指摘もある。
特徴[編集]
ウッフーン=オン=ナヨーンの最大の特徴は、語尾処理にある。文末の感情を表すため、記号「=」で音節を結び、最後に「ョーン」「ナヨーン」「フフン」などの余韻記号を付す。これにより、同じ台詞でも「言い切り」「未練」「妙な納得」の3種を高い精度で区別できるとされた。
また、演者の身体表現を補助するために、譜面欄外へ「肩を2回」「視線を左下へ3秒」「笑うが歯は見せない」などの注記が書き込まれる。研究者の間では、これが後ののバラエティ番組字幕文化に影響したという説があるが、直接的な証拠は乏しい。
受容と影響[編集]
この体系は学術的には長く周縁的な存在であったが、民間では「言いにくい本音をやわらかく見せる術」として受け入れられた。特にの主婦向けラジオ講座『朝の三分抑揚術』で紹介された際は、葉書が通常の3.2倍に増え、番組スタッフが読み切れなくなったという。
一方で、の周辺では、表記の曖昧さが「分析には便利だが再現には不向き」とされ、1969年の内部報告書では「芸能の保存に資するが、会議では危険である」と結論づけられた。なお、この報告書の結びには、なぜか《会議室で使うと全員が妙に遠回しになる》と手書きで追記されている。
批判と論争[編集]
批判の多くは、ウッフーン=オン=ナヨーンがあまりに柔軟で、同一記号でも読み手の機嫌によって意味が変わる点に向けられた。とくにの公開討論会では、3人の研究者が同じ原稿を別々に読んだところ、1人は謝罪文、1人は求愛文、1人は税務相談と解釈し、会場が15分ほど停止した[5]。
また、起源をめぐっては「東南アジア起源説」と「神田逆輸入説」が対立し続けている。前者は港湾都市の口承芸能から発生したとみなし、後者は日本の貸本文化が先に型を作り、それが海を渡って戻ったとする。どちらの説も一部の文献を都合よく説明できるため、現在も決着していない。
資料と研究[編集]
現存する主要資料は、の私設アーカイブにある《Nayon Index》、郊外の寺院納骨堂から見つかった石版、そしての古書店で偶然発見された“見本”冊子の3系統に大別される。とくに石版は、水に濡れると文字が1割ほど増えて見える性質があるとされ、研究者を悩ませてきた。
2004年以降、の民俗音響学グループとの比較演芸研究班が共同で調査を行い、記号の揺らぎをデータベース化した。彼らの調査によれば、資料の約62%に「ため息補助線」が付されており、うち14%は実際には紙の折れ目であったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ サヴァン・チャンダラト『Nayon Manual: Coastal Intonation in Port Performances』Siamic Folklore Press, 1914.
- ^ ギヨーム・L・ベルタン『Notes sur la graphie émotionnelle des chanteurs de quai』Revue d’Anthropologie Coloniale, Vol. 8, No. 2, 1916, pp. 44-71.
- ^ 渡辺精一郎『抑揚とため息の比較表』東洋抑揚倶楽部出版部, 1927.
- ^ 田辺美沙子「昭和広告と声の余韻記号」『広告研究』第12巻第4号, 1963, pp. 18-29.
- ^ 中村信吾『ナヨーン譜の社会史』みすず書房, 1971.
- ^ 河合理恵「会議体における曖昧抑揚の拡散」『国語国文』第45巻第7号, 1977, pp. 103-119.
- ^ P. H. Lanson, 'A Two-Tilde System for Stage Breath Annotation', Journal of Comparative Performance Studies, Vol. 3, No. 1, 1988, pp. 5-22.
- ^ 山口千秋『港町の声と紙片: ウッフーン=オン=ナヨーン再考』青磁社, 2005.
- ^ Mika Arakawa, 'When a Sigh Becomes a Symbol', East Asian Acoustic Review, Vol. 14, No. 3, 2011, pp. 201-233.
- ^ 佐伯隆一『ナヨーンと会議室: 実務における危険な抑揚』新潮社, 2016.
- ^ 庄司ひかる「石版の増殖現象とその誤読」『比較民俗学雑誌』第21巻第1号, 2020, pp. 77-90.
外部リンク
- 東洋抑揚資料館
- Nayon Archive Online
- 神田演芸研究会デジタル庫
- シンガポール比較演芸センター
- 港町口承文化保存ネット