エッ〇なカニ4選
| 分野 | 海洋生物学、広報分類、地域観光史 |
|---|---|
| 起源 | 1958年 三浦沿岸観察会 |
| 提唱者 | 渡会 恒一郎 |
| 対象 | 視覚的に注目を集めるカニ4種 |
| 選定数 | 4種 |
| 主な地域 | 日本沿岸、南西諸島、相模湾 |
| 関連機関 | 日本臨海分類学会、相模湾海洋資料室 |
| 初出文献 | 『沿岸甲殻類の広告的読解』 |
| 性格 | 一覧・俗称・観賞指標の混成 |
エッ〇なカニ4選(えっ〇なかに4せん)は、各地の・・沿岸調査で「視線を集めやすい」とされた4種のを紹介する架空の選定企画である。もとはにで行われた観察会の記録整理から派生したとされ、現在ではとの境界領域にある半ば伝説的な分類法として知られている[1]。
概要[編集]
エッ〇なカニ4選は、甲殻類の生態的特徴そのものよりも、観察者に与える印象の強さを基準として編まれた一覧である。分類としては学術的である体裁をとるが、実際には後半の沿岸部で、観光パンフレットの制作に関わった編集者たちが「写真映えのする甲殻類」を整理したことが始まりとされる[2]。
この一覧は、周辺で採集された標本に、鋏脚の張り、甲羅の光沢、歩脚の角度、繁殖期の移動速度などを点数化し、最終的に4種へ絞り込む方式を採っている。ただし評価項目の一つに「夕暮れ時の存在感」が含まれていたことが判明しており、当時の研究者からは「きわめて恣意的である」との指摘があった[3]。
成立の経緯[編集]
最初の枠組みを作ったのは、の嘱託資料員を経てへ移ったとされる渡会 恒一郎である。渡会は、地元の宿泊組合が発行する小冊子『浜の四季』の中で、カニを「見つけやすい」「勧めやすい」「子どもが覚えやすい」の3条件で整理し、その補助線として色彩の強さを加えた[4]。
この時点ではまだ「4選」という表現は使われておらず、「四傑」「四景甲殻」「よく出る四種」などの呼称が併用されていた。ところがにの出版社・海鳴書房が、渡会の原稿を観光案内へ転用する際、見出しを短くする必要から「エッ〇なカニ4選」という語を採用したとされる。ここでの「エッ〇」は当時の広告業界で用いられた「視覚刺激が強い」の婉曲表現であり、のちに若年層向け雑誌によって意味がねじ曲げられた[5]。
なお、初版に収録された4種のうち1種は、実は採集地点が側であったことが後年判明している。にもかかわらず一覧から外されなかったのは、編集部内に「色気のある誤差はむしろ記憶に残る」という方針があったためで、この判断が後の“俗称としての定着”を促したとされる。
一覧[編集]
=== 1. ベニツケモドキガニ === (1961年確認)は、朱色の斑点が鋏脚の関節部に集中することから「最もわかりやすく派手」とされた種である。渡会はこの種について「真正面から見ると品があるが、斜めから見ると急に強い」と記しており、当時の読者の間で妙に引用された[6]。
=== 2. ツヤホシオオカニ === (推定1960年代前半)は、甲羅表面の微細な光沢がの照明広告を連想させるとして掲載された。標本写真が雨上がりの桟橋で撮られたため、実際以上に艶やかに見えたという逸話があり、後にの自然番組制作班が「光りすぎて研究用の基準写真に向かない」として外部資料から外した[7]。
=== 3. アカモノクワガタガニ === (1964年記載)は、左右非対称の鋏が“個性”として受け取られた代表例である。特に雄個体が繁殖期に見せる側面姿勢が、の港で撮影されたポスターに採用され、海産物売り場の売上を3.8%押し上げたとされるが、この数値は後年の再計算でほぼ誤差の範囲と判明している[8]。
=== 4. ハネミミタラバモドキ === (1967年)は、歩脚を広げた際のシルエットが最も「目を引く」と評価された種である。もともとは学術標本としての離島で記録されたが、観光土産のパッケージに用いられた結果、実物よりも「やや大きく、やや妖艶に」描かれる慣行が生まれた。これに対し一部の甲殻類研究者は「図鑑の中でだけ繁栄した種」と揶揄したという[9]。
選定基準[編集]
選定は単純な人気投票ではなく、観察記録、写真資料、売場での反応、児童向け解説の再生回数を総合した複合指標に基づくとされる。具体的には、甲羅の色相値、鋏脚の左右差、歩行時の揺れ、標本箱内での配置換え頻度などが10点満点で採点され、合計31点以上の個体群から最終候補が選ばれた[10]。
ただし、この方式はの印刷技術に強く依存していた。色の再現が不安定だったため、実際には「紙面で強く見えるかどうか」が重要視され、現場の生態的意味は後回しにされたのである。そのため、同じ種でも晴天下の写真と曇天の写真で評価が激変し、ある年度には産の個体が1位になった一方、翌年にはまったく別の標本が押し上げられた。
この揺らぎこそが、エッ〇なカニ4選を単なる図鑑一覧ではなく、地域文化の変遷を映す装置にしているとされる。半面、再現実験を行った相当の調査班は「基準の再現性は低い」と結論づけており、学術分類としては現在も扱いが微妙である。
社会的影響[編集]
1960年代後半から1970年代にかけて、この一覧は観光地の売店、旅館の浴場ポスター、漁協の安全標語などに広く転用された。特にでは、カニを目当てにした「甲殻類スタンプラリー」が行われ、最盛期のには延べ2万4,600人が参加したとされる[11]。
一方で、子ども向け理科教材にこの表現が取り入れられたことで、学校現場からは「内容は健全だが題名だけ妙に気になる」との苦情が相次いだ。これを受けて系の審査メモでは、1978年版以降「エッ〇」の部分を印刷物では小さくするよう通達が出されたとも言われる。ただし実際には現場でほとんど守られず、むしろ手書きの補足欄で大きく書き直される事例が増えた。
また、地方の水族館では、この一覧をもとにした「4選解説コーナー」が設けられ、来館者の滞在時間が平均8分伸びたという報告がある。もっとも、後年の調査では来館者の多くがカニの生態よりもタイトルに反応していたことが分かり、広報学の教材として引用されることになった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、4種という数が恣意的であり、しかも「4選」である理由が最後まで明確化されなかった点にある。渡会本人は晩年の聞き取りで「5では長い、3では物足りない」と述べたが、この説明は学術的根拠に乏しいとして退けられた[12]。
また、にの地方紙が「エッ〇」という語を下品な俗語として再解釈する記事を出したことで、一覧の受容は大きく変わった。以後、もともとの婉曲表現としての意味は忘れられ、若者向けカルチャーの軽い挑発語として独り歩きしたのである。その結果、研究発表会でこの題名を口にするだけで会場がざわつく、という奇妙な慣行まで生まれた。
なお、以降は生物分類学の厳密化に伴い、同様の一覧が作られることは減った。しかし、インターネット上では「四選」という形式のわかりやすさが再評価され、現在でも沿岸地域の観光ポスターや個人ブログに断続的に現れる。
脚注[編集]
[1] 渡会 恒一郎『相模湾甲殻類短評集』海鳴書房、1963年。 [2] 佐伯 みどり「観光パンフレットにおける生物像の強調」『港湾文化研究』Vol.7 No.2, 1971年, pp. 41-58. [3] 日本臨海分類学会 編『沿岸甲殻類の広告的読解』第2版、臨海資料社、1968年。 [4] 渡会 恒一郎「浜の四季における甲殻類の印象評価」『三浦半島資料』第14号, 1959年, pp. 3-19. [5] Margaret L. Hargrove, *Visual Stimulus Taxonomy in Postwar Japan*, Seaside Press, 1984, pp. 112-129. [6] 田中 俊介『赤斑の記憶と沿岸写真術』神奈川教育出版、1972年。 [7] NHK放送文化研究局『自然番組における標本写真の再現性』内部資料、1966年。 [8] 小泉 直人「港町販促物の売上推計と甲殻類図像」『地域経済と視覚記号』第9巻第1号, 1979年, pp. 77-91. [9] 沖縄海洋資料センター『離島甲殻類図像集』南風社、1969年。 [10] 森下 英一「四選形式における採点法の成立」『分類と広告』Vol.3 No.4, 1980年, pp. 8-26. [11] 三浦市観光協会『甲殻類スタンプラリー報告書 昭和49年度版』、1975年。 [12] 竹内 史郎『数の誘惑と編集の自由』東都出版、1991年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会 恒一郎『相模湾甲殻類短評集』海鳴書房、1963年.
- ^ 佐伯 みどり「観光パンフレットにおける生物像の強調」『港湾文化研究』Vol.7 No.2, 1971年, pp. 41-58.
- ^ 日本臨海分類学会 編『沿岸甲殻類の広告的読解』第2版、臨海資料社、1968年.
- ^ 渡会 恒一郎「浜の四季における甲殻類の印象評価」『三浦半島資料』第14号, 1959年, pp. 3-19.
- ^ Margaret L. Hargrove, Visual Stimulus Taxonomy in Postwar Japan, Seaside Press, 1984, pp. 112-129.
- ^ 田中 俊介『赤斑の記憶と沿岸写真術』神奈川教育出版、1972年.
- ^ NHK放送文化研究局『自然番組における標本写真の再現性』内部資料、1966年.
- ^ 小泉 直人「港町販促物の売上推計と甲殻類図像」『地域経済と視覚記号』第9巻第1号, 1979年, pp. 77-91.
- ^ 沖縄海洋資料センター『離島甲殻類図像集』南風社、1969年.
- ^ 森下 英一「四選形式における採点法の成立」『分類と広告』Vol.3 No.4, 1980年, pp. 8-26.
外部リンク
- 相模湾海洋資料室
- 日本臨海分類学会アーカイブ
- 三浦半島観光史データベース
- 甲殻類図像研究会
- 港町広報史館