エッチなひみつ
| 名称 | エッチなひみつ |
|---|---|
| 読み | えっちなひみつ |
| 英名 | H-Secret |
| 初出 | 1948年ごろ |
| 成立地 | 東京都千代田区神田一帯 |
| 分類 | 秘匿情報体系・通俗符丁 |
| 主な運用主体 | 日本出版協会閲覧符号委員会 |
| 関連分野 | 検閲史、成人向け出版、都市俗語 |
| 通称 | H符号 |
エッチなひみつは、期後半にの出版社街を中心として整備された、秘匿情報の分類および流通に関する通俗的な用語である。一般にはの暗号表現として知られているが、成立の起源はの内部で運用された閲覧制限符号にあるとされる[1]。
概要[編集]
エッチなひみつとは、本来はがかけられた原稿、図版、広告文案を一括して示すための社内符丁であったとされる。のちに一般社会へ流出し、やや挑発的でありながら直接性を避ける婉曲表現として定着した。
この語が注目されるのは、同種の表現がやの出版実務にも波及した点である。とくにの「神田校閲会議」以後、紙幅の節約と検閲回避を両立させる記法として、広告・歌謡誌・貸本業界に広く採用されたとされる[2]。
成立史[編集]
戦後直後の符号化[編集]
起源は、の小出版社が、成人向け挿絵を包む際に用いた赤色鉛筆の略記「H-」に求められることが多い。当初は「hidden」「half」「hazard」の三説が併存していたが、にの近代出版史研究会が、社内メモに残る「H表紙」の記述を発見し、現在の理解が形づくられた[3]。
なお、同時期のでは、同語は「秘匿」「保留」「人目を避ける」の三義を同時に帯びていたとされ、会議の席では「ひみつ箱へ回す」という曖昧な指示として機能した。これがのちに、より露骨ではないが意味が通じる表現として広まったのである。
流行語化と媒体拡散[編集]
、深夜帯のラジオ番組『』が、葉書投稿欄の匿名保護を名目にこの表現を採用したことで、若年層への浸透が急速に進んだとされる。番組内では毎週平均の投稿があり、そのうち約が「H」や「ひみつ」を含む文言であったという[4]。
一方で、には保安課が、実体のない表現を手がかりに違法出版を摘発しようとしたが、実際には広告代理店のキャッチコピーに由来することが判明し、結果的に語の神秘性を高めた。この失敗は「符丁は取り締まるほど増殖する」という業界の定説を生んだ。
定着と再解釈[編集]
以降、同語は単なる隠語ではなく、露骨な内容を遠回しに示す文化的記号として扱われた。とくにの文具メーカーが発売した「ひみつノート」シリーズでは、表紙帯に小さくH字が刻印され、発売からで初回出荷を完売したとされる。
この時期には、文芸評論家のが「ひみつのうちにしか守れない公共性がある」と論じ、やや難解な理論を展開したことで、新聞の文化欄でも取り上げられた。もっとも、同氏の論文は後年、本文より注釈が長いことで知られるようになった。
社会的影響[編集]
エッチなひみつの普及は、直接的な表現を避けつつ内容を共有する日本語の迂回表現を増殖させた。出版・放送・同人誌の各領域で「内緒だが、察してほしい」という態度を洗練させた点は大きく、の若者文化にも影響を与えたとされる。
また、の印刷業界では、発注書に「EH対応」と書くと成人向けではなく「英語併記」「営業保留」を意味する独自慣習が生まれ、営業担当者の半数が一度は意味を取り違えたという調査がある[5]。この混乱が逆に、現場での暗号運用を高度化させたと評価されることもある。
なお、の言語景観調査では、駅前看板・雑誌広告・携帯メールの三領域でこの表現の使用率がに達したとされるが、調査票の回収先がすべて周辺であったため、全国推計としては慎重な扱いが必要である。
用法の変遷[編集]
印刷物での用法[編集]
印刷物では、当初は伏字や黒塗りの代替として用いられたが、やがて見出し語そのものが販促効果を持つようになった。とりわけ貸本文化では、表紙の角に小さく記された「ひみつ」表記が、内容の過激さを保証する印のように機能した[6]。
会話での用法[編集]
会話では、相手に詳細を明かさず関心だけを引く語として使われた。には中高生のあいだで「それ、ひみつ?」が「それ、ちょっと特別?」の婉曲表現として拡張し、学園祭の企画名にも頻出した。
インターネット期の再生[編集]
以降は掲示板文化によって再解釈され、当初の秘匿性よりもネタ性が前面に出た。とくに匿名掲示板では、語尾に「」を付けることで意味をぼかす用法が流行し、には「エッチなひみつbot」が1日あたり自動投稿を行っていたという記録がある。
批判と論争[編集]
一部の言語学者は、この語が未成年向け媒体にまで拡散したことについて、過度に商業化された「秘密の演出」だと批判している。また、のシンポジウムでは、隠語としての品位をめぐってにわたる応酬があり、司会者が休憩を3回挟んだことで知られる。
他方で、支持者は、直接語らずに共有できる表現は都市生活に必要な緩衝材であると主張する。とりわけの古書店主・は「言えないものほど売れるのではない、言い方がうまいものが残るのだ」と述べたとされ、この発言は業界紙でしばしば引用される。
ただし、に公開された自治体調査では、語感の刺激性よりも「会話の切り返しに便利」という理由で使われる割合がを占めたとされ、当初の成人向け起源説とはずれがあるとの指摘もある。
脚注[編集]
[1] 田辺雅史『戦後出版符丁史』神田文化研究所、1998年、pp. 41-49。 [2] 北海道言語文化学会『都市俗語の流通と検閲』Vol. 12, No. 3, 2004, pp. 112-130。 [3] 早稲田大学近代出版史研究会編『H表紙メモの謎』早稲田書房、1952年。 [4] 佐伯美香「深夜ラジオ投稿文化における婉曲表現」『放送社会学紀要』第8巻第2号, 1963年, pp. 55-71。 [5] Osaka Printing Association, “EH Codes in Regional Commercial Forms,” Journal of Practical Typography, Vol. 19, No. 1, 2004, pp. 9-18. [6] 杉浦蓮『貸本と秘匿表現の系譜』文和社、1979年、pp. 203-214。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田辺雅史『戦後出版符丁史』神田文化研究所, 1998年.
- ^ 北海道言語文化学会『都市俗語の流通と検閲』Vol. 12, No. 3, 2004, pp. 112-130.
- ^ 早稲田大学近代出版史研究会編『H表紙メモの謎』早稲田書房, 1952年.
- ^ 佐伯美香「深夜ラジオ投稿文化における婉曲表現」『放送社会学紀要』第8巻第2号, 1963年, pp. 55-71.
- ^ Osaka Printing Association, “EH Codes in Regional Commercial Forms,” Journal of Practical Typography, Vol. 19, No. 1, 2004, pp. 9-18.
- ^ 杉浦蓮『貸本と秘匿表現の系譜』文和社, 1979年.
- ^ 北条泉一郎『ひみつの公共性』都政評論社, 1986年.
- ^ M. A. Thornton, “Ambiguous Labels in Postwar Japanese Retail Media,” Bulletin of Urban Semiotics, Vol. 7, No. 4, 2011, pp. 201-219.
- ^ 中村和彦『広告文案と検閲のあいだ』青林社, 2007年.
- ^ 『神田校閲会議議事録集』東京出版資料館, 1960年.
- ^ L. Whitmore, “Secretive Lexemes and the Market for Suggestion,” East Asian Media Review, Vol. 3, No. 2, 1999, pp. 77-93.
外部リンク
- 神田出版史アーカイブ
- 都市俗語研究センター
- 日本婉曲表現協会
- 貸本文化データベース
- 深夜ラジオ投稿資料室