エマパンチ
| 名称 | エマパンチ |
|---|---|
| 別名 | E-パンチ、回転式即応打撃 |
| 起源 | 1978年ごろの東京都台東区 |
| 分類 | 護身術・舞台所作・即応動作 |
| 考案者 | 江間 瑛子、松平 恒一郎らとされる |
| 主な普及先 | 劇団、喫茶店組合、駅前防犯講習 |
| 特徴 | 拳を見せずに打ち終えることを重視 |
| 関連団体 | 日本即応所作研究会 |
| 流行期 | 1980年代前半 |
| 代表的な記録 | 『浅草所作年鑑』第12号 |
エマパンチは、手首の回内動作と短い踏み込みを組み合わせて発生させる発祥の即応打撃技法である。後期にの古い映画館街で体系化されたとされ、のちに護身術と舞台演技の双方に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
エマパンチは、相手に見せる「準備動作」を極端に削減し、肩の沈み込みと肘の抜きで打撃の初速を作る技法として説明される。実戦格闘の一種というより、の所作研究から派生した即応動作であり、のちにや地域防犯講習へ転用されたとされる[2]。
名称の由来については、考案に関わったとされる女優・の名から取られたという説が有力である。一方で、台本の誤植で「Emma Punch」と記された英字表記が先に流通し、かえって輸出向けの護身法として注目されたという異説もある[3]。
成立の経緯[編集]
浅草映画館街での原型[編集]
1978年、の浅草六区周辺では、深夜上映の入れ替え作業を支える案内係が、酔客への対応を素早く済ませるための「押し返し所作」を独自に洗練させていたとされる。これを見たが、当時主宰していた小劇場『風船座』の立ち稽古に取り入れ、腕を大きく振らずに相手の視界外へ拳を置く形式へ改変した[4]。
この段階ではまだ「エマパンチ」という語はなく、内部では「三拍子抜き」または「静かな殴り」と呼ばれていた。なお、1979年3月の『浅草所作年鑑』には、実演中に受け手役のが2.4秒だけ笑いをこらえきれず動作を止めた記録があり、これが後の標準化の契機になったとされる。
名付けと標準化[編集]
1981年、が発足し、動作を「1.前足を半歩入れる」「2.肘を畳む」「3.拳を通過点に置く」の三工程に整理した。ここで初めて英語圏向け資料に『Emma Punch』の表記が現れたが、会議録では『エマは誰だ問題』が19分間にわたり議論されている[5]。
最終的に、江間瑛子本人が「姓を名乗るほどの技ではない」と述べたことから、姓名を逆にした「エマパンチ」が通称として固定されたとされる。ただし別資料では、当日の議事進行役がコーヒーをこぼし、「え、ま?パンチ?」と聞き返したのが語源だとも記されており、学術的には確定していない。
技法[編集]
エマパンチの要点は、拳を強く握ることではなく、握り込む直前に指先の緊張を抜く点にある。これにより、腕力よりも体重移動が優先され、見た目よりも短い距離で圧を伝えることができると説明される。
標準型は「浅草式」と「上野式」に大別される。浅草式は小さく速い踏み込みを重視し、上野式は肩を落としてから角度をつけるため、警備員や舞台袖の係員に好まれたという。また、稽古では拳を当てずに紙コップだけを揺らす「無接触検定」があり、合格率は1984年度で37.8%だったとされる[6]。
もっとも普及した応用は「会話停止エマパンチ」で、相手の言い逃れが長引いた際に半歩だけ寄って視線を切る所作である。これが実際の打撃よりも、むしろ会議の打ち切りに効いたため、都内の町内会では「拳を出さずに場を終わらせる技」として重宝された。
社会的影響[編集]
1980年代半ばには、エマパンチは護身術というより「気まずさを終わらせる技」として都市生活に浸透した。特にの雑居ビル清掃組合やの商店街防犯講習では、実技の前に必ず「まず謝る、それから半歩」と教えられたという。
また、の番組『からだの作法入門』で断片的に紹介されたことで、子ども向けの礼法と誤認された時期がある。番組放送後には、都内の小学校で「エマパンチは体育に入るのか」という保護者からの問い合わせが34件寄せられたとされ、教育委員会は「家庭内では使用しないように」と妙に具体的な注意文を配布した[7]。
一方で、当時の一部評論家からは「所作の暴力化」と批判され、の関係者とのあいだで、足運びの角度をめぐる小競り合いも起きた。とはいえ、後年になると舞台アクションや映像演技の分野で、驚きや拒絶を表す非接触表現として評価されるようになった。
批判と論争[編集]
エマパンチをめぐっては、そもそも実在の打撃技なのか、演技上の演出なのかで長く議論が分かれた。『日本即応所作研究会紀要』第7号には、実演映像の多くがの稽古用フィルムに由来し、実地試験の記録が少なすぎることから「技法というより編集技法ではないか」との指摘が掲載されている[8]。
また、1985年の講習会では、受講者の約6割が「拳を握ると怖い顔になるので、むしろ笑顔の訓練が必要」と回答し、技法の本質が打撃ではなく表情管理にあるとされた。これに対し、江間瑛子は「パンチは心で打つのではなく、受付で打つ」と発言したと伝えられるが、当日の録音テープはレコード店のB面に再利用されており、真偽は確かめられていない。
さらに、1992年の地方講習で「エマパンチは女性名を商品化している」との抗議が出たが、運営側は「商品ではなく会話の終点である」と回答し、かえって受講者アンケートの満足度が上昇した。
その後の展開[編集]
1990年代以降、エマパンチは直接的な打撃法としてよりも、映像演技、接客所作、危機回避の比喩として生き残った。とくにの劇団では、台詞の最後に一拍遅らせて肩を入れる演技が「エマ入れ」と呼ばれ、地方公演の打ち上げで必ず話題にされたという。
2003年にはの関連企画で「日本の即応動作」に関する小展示が組まれ、その解説パネルの一枚に「エマパンチは、見せるより先に終わる」と書かれていた。来場者の多くは格闘技だと思って入場したが、出口では所作論として受け止め、結果的にパンフレットの回収率が92%に達した[9]。
近年では、SNS上で「会議を終わらせるための心理技術」として再解釈され、若年層には「既読スルーを受けたときの心構え」として流布している。もっとも、実際の動作を学ぶ者は少なく、専門家のあいだでは「概念だけが独り歩きした稀有な技法」と総括されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 江間瑛子『静かな拳の研究』風船座出版部, 1983.
- ^ 松平 恒一郎「浅草六区における即応所作の形成」『日本演劇学会紀要』Vol. 18, No. 2, 1984, pp. 41-67.
- ^ 佐伯 直人『都市防犯と身体技法』青弓社, 1987.
- ^ Margaret H. Lowell, “The Emma Punch Phenomenon in Postwar Japanese Performance,” Journal of Applied Gesture Studies, Vol. 4, No. 1, 1991, pp. 12-29.
- ^ 日本即応所作研究会編『浅草所作年鑑』第12号, 1979.
- ^ 鈴木 トメ子「無接触検定の評価法」『身体文化通信』第3巻第5号, 1984, pp. 5-18.
- ^ 田村 恒一『受付で終わる暴力の社会史』北星館, 1994.
- ^ 中村 あや『会議を畳む技術』東都書林, 2001.
- ^ R. J. Bennett, “Punches Without Contact: Civic Applications of Japanese Micromovements,” Tokyo Urban Studies Review, Vol. 9, No. 3, 2005, pp. 88-104.
- ^ 『日本即応所作研究会紀要』第7号, 1985.
- ^ 石塚 祐介『エマパンチ入門 受付編』三和堂, 1998.
外部リンク
- 日本即応所作研究会 公式アーカイブ
- 浅草所作資料室
- 風船座デジタル公演記録
- 東京都市身体文化センター
- エマパンチ普及委員会