エレベーターの禁止条約
| 正式名称 | Convention on the Prohibition of Elevators |
|---|---|
| 通称 | エレベーターの禁止条約 |
| 署名 | 1928年7月14日 |
| 発効 | 1931年3月1日 |
| 場所 | スイス・ジュネーヴ |
| 締約国数 | 当初17か国、後に41か国 |
| 目的 | 垂直輸送機械の軍事転用および都市過密の抑制 |
| 管理機関 | 国際垂直交通監視委員会 |
| 条文数 | 19条 |
| 保存場所 | ハーグ文書保全局 登録第44号 |
エレベーターの禁止条約(エレベーターのきんしじょうやく、英: Convention on the Prohibition of Elevators)は、の使用および新設を段階的に制限するために結ばれたとされる国際条約である。特にの会議を起点として知られ、のちに高層建築の設計思想に大きな影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
エレベーターの禁止条約は、の欧州で急速に増えた高層建築と、都市の上下移動に伴う階層分離を問題視する機運の中で成立したとされる国際条約である。条約名は過激に見えるが、実際には全面廃止ではなく、一定階数を超える建築物における新規の設置を許可制にし、既存機の運用に安全監査を課す内容であったとされる。
この条約は、第一次大戦後の復興期において、、、などの都市で「上階ほど賃料が安い一方で、上る労力は増す」という現象が社会問題化したことを背景に生まれたと説明される。また、軍需工場での資材搬送に使われた貨物用昇降機が、兵站統制の観点から半ば兵器扱いされたことが、交渉を異様に複雑にしたとされている[2]。
成立の経緯[編集]
国際衛生会議からの流れ[編集]
起源については諸説あるが、もっとも有力なのはの国際衛生会議で、建物内部の換気不良と上下移動の過密を同時に扱う「縦方向公衆衛生」の議題が提起されたとする説である。これにより、昇降機は単なる機械ではなく、感染症拡大と階級固定を媒介する装置として注目されるようになった。
翌、の技師が提出した『垂直交通の中立化に関する覚書』は、のちの条約草案の原型になったとされる。なお同覚書では、エレベーターの代替として「緩傾斜階段」を標準化する案が示され、の一部委員からは「過度に歩行者に優しい」と批判されたという。
ジュネーヴ議定交渉[編集]
のジュネーヴ会議では、代表の、代表の、代表のらが参加し、建築家と保険業者が同席した異例の会合になった。とくに論点となったのは「人を運ぶ機械」と「物を運ぶ機械」の線引きであり、貨物用昇降機に積まれた書類箱が人間の知的負担をどこまで軽減するかが真顔で議論された。
条約名に「禁止」とあるのは、交渉文書第4草案で側が提案した強硬表現が採用されたためである。ただし実際の正文では「禁止」ではなく「不許可」「登録制」「夜間運転の制限」などの婉曲表現が並び、現代の法学者からは「実質的には行政指導の束である」と評されている[3]。
条文の内容[編集]
条約は19条からなり、第1条で「高さ三層を超える公的建築物における自動昇降の新設」を原則禁止とし、第5条で既存機には毎年の点検、ならびに「非常時における手動降下機構の常備」を義務づけたとされる。また第9条では、病院・港湾・研究施設については例外的に許可制を採用し、最終的な判断をに委ねる制度が整えられた。
条文解釈の中でも有名なのが、第12条の「急速な上昇に伴う精神的不均衡を防ぐため、視認可能な階段を優先する」という一文である。これは後年、の祖とされるが再発見し、都市の“上に行くほど軽薄になる”現象を抑える効能があると主張したが、要出典とされることも多い。
一方で、条約は完全に厳格だったわけではない。たとえばやにおける「荷物専用の昇降装置」は黙認され、これがのちに「荷物であれば心まで運ばない」という奇妙な法解釈を生んだとされる。実際、の老舗百貨店では、1920年代末に導入された荷物用リフトが「条約適合リフト」として観光名物になった記録が残る。
各国での受容[編集]
日本[編集]
では初期に「昇降機抑制令」として断片的に紹介され、・の一部官庁建築で階段利用を奨励するキャンペーンが行われたとされる。とくにの庁舎では、局長室をあえて6階に置き、来訪者に「交渉前に一息つかせる」行政慣行が定着したという。
また、の商業ビル設計を担当した建築家は、条約を機に「登るほど安くなる」逆賃料設計を提唱した。これは上階の店ほど家賃を下げるのではなく、階段の段数に応じて広告料を上乗せする方式であり、結果として階段が都市の広告媒体になった。
英米圏[編集]
では労働組合が強く支持した一方、百貨店業界は激しく反発した。ロンドンのでは、条約に対応するため「階段案内係」が導入され、銀の笛で客を次の踊り場へ誘導するサービスが話題になったとされる。アメリカでは逆に、の高層住宅開発が鈍化し、代わりに「半階建て」の住宅が流行した。
特にでは、建築家が「水平に伸びる摩天楼」という矛盾した理念を打ち出し、幅の広い低層建築で都市景観を再編した。批評家はこれを「条約が生んだ最も退屈な未来」と評したが、当時の保険統計では転倒事故が23%減少したとも記録されている。
社会的影響[編集]
条約の影響は建築にとどまらず、都市文化そのものに及んだとされる。まず、通勤時間が「移動」ではなく「上昇の熟慮」に変わったため、オフィスでは階段途中の踊り場で短い会議を行う慣行が広まった。また、階段利用を前提にした服飾が発達し、とを備えた制服が各地で標準化された。
文学にも影響があり、の作家は『第七踊り場』という小説で、昇降機を知らない青年が一生をかけて会いに行く恋を描いた。評論家はこれを「条約が生んだ階段文学の頂点」と呼んだが、実際には主人公が三話で膝を痛めるため、恋愛小説というより関節炎の記録に近いとも言われる。
なお、では転落事故が減った反面、階段での息切れによる労災申請が増加したため、「垂直疲労補償特約」が生まれた。これはにが試験導入したもので、1日あたり42階相当を超える登攀に対してのみ補償が支払われたという。
批判と論争[編集]
条約には早くから批判も多かった。とくに技術者からは、昇降機を「軍事転用の可能性があるから」という理由で抑制するのは、馬車に対して高速性を理由に難癖をつけるのと同じだと指摘された。また、身体障害者団体からは、条約が階段中心の都市を固定化し、結果として移動の自由を一部住民から奪ったとの批判が出た。
さらに、にで行われた改正会議では、エスカレーターを条約の対象に含めるかが争点となり、会議は三日間中断した。最終的に「歩行の意思を補助する装置は、昇降機とは別物である」とする折衷案が採られたが、これに対して一部の新聞は「条約はついに階段と自尊心の区別に失敗した」と皮肉った。
現在では、条約そのものの法的実効性よりも、都市計画思想としての影響が評価されている。ただし、の間では、締約文書の署名欄にの会長印が押されていたことから、そもそも条約分類に入れてよいのか疑義があるともされる。
現在の扱い[編集]
条約は後も一部の都市で象徴的に参照され、の再確認文書によって「高層化抑制の先駆的文書」と位置づけられたとされる。もっとも、実際の運用はすでに緩和されており、現代では歴史展示や都市計画の比較資料として扱われることが多い。
の資料館では、条約に基づく手動降下式の試作機が展示されているが、説明板には「当時の設計思想を再現したもので、実用には適しません」と注意書きがある。来館者の多くは、なぜこれが条約で禁止されたのかではなく、なぜここまで真面目に作ったのかを先に疑問に思うという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ フリードリヒ・ヴァイスマン『垂直交通の中立化に関する覚書』ベルン建築史研究所, 1926, pp. 14-39.
- ^ カルロ・ベネディッティ『ジュネーヴ会議議事録 第3分冊』ローマ国際法文庫, 1929, pp. 211-248.
- ^ エリザベス・クライン『建築心理学と上昇の倫理』Cambridge Urban Press, Vol. 4, No. 2, 1933, pp. 61-89.
- ^ 高瀬一郎『昇降機抑制令案と昭和都市計画』帝都建設協会, 1931, pp. 5-27.
- ^ M. L. Harris,
- ^ Elevators and the Moral Geometry of Cities
- ^ Journal of Vertical Studies
- ^ Vol. 12, No. 1, 1932, pp. 1-22.
- ^ ルイ・マルシャン『交通制限条約と百貨店経営』パリ商業大学出版会, 1935, pp. 102-131.
- ^ Jan Horny, 『The Seventh Landing』Prague Civic Review, 1937, pp. 44-70.
- ^ 国際垂直交通監視委員会編『条約実施報告書 1931-1940』ジュネーヴ文書局, 1941, pp. 3-98.
- ^ Harold P. Winslow, “Manual Descent and Social Order”, Transactions of the Royal Institute of Urban Mechanics, Vol. 9, No. 4, 1938, pp. 155-176.
- ^ 浅野辰蔵『逆賃料設計論』大阪階段研究会, 1934, pp. 8-19.
- ^ 『エレベーターの禁止条約附属議定書と補足覚書』ハーグ文書保全局, 1958, pp. 1-64.
- ^ ミラノ商業史編纂室『条約適合リフトの観光化』ミラノ都市博物館, 1962, pp. 77-93.
外部リンク
- 国際垂直交通史アーカイブ
- ジュネーヴ条約文書館
- 階段文化研究センター
- ハーグ文書保全局デジタル閲覧室
- 都市上昇倫理学会