オモイデス
| 名称 | オモイデス |
|---|---|
| 英名 | Omoides |
| 分類 | 記憶再生装置・生活記録端末 |
| 初出 | 1958年ごろ |
| 開発国 | 日本 |
| 主導機関 | 国立生活情報研究所 |
| 用途 | 記憶補助、家族史保存、個人回想支援 |
| 方式 | 感覚残響式磁気再生 |
| 普及期 | 1970年代後半 |
| 関連規格 | JIS O-14:1979 |
オモイデスは、の初期に発明されたとされる、過去の体験を低負荷で再生・再編集するための仮想記録装置である。のちにの研究者らによって家庭用へ転用され、個人史の保存技術として広く知られるようになった[1]。
概要[編集]
オモイデスは、個人の記憶断片を短時間の画像・音声・匂いの組合せとして再構成する装置、あるいはその方式を指す用語である。一般には30年代末に試作され、技術研究所の周辺にいた民間技師たちの手で実用化されたとされる。
記録媒体には当初と微弱磁性粒子を併用した専用カートリッジが用いられ、後年は家庭用互換機に吸収された。なお、初期の説明書には「感傷の再生時間は一日二回まで」とあり、これは過剰使用による情緒の偏りを防ぐためだったとする説が有力である[2]。
名称と語源[編集]
「オモイデス」の語源については、とを接合したものとする通俗説が最も知られている。しかし、研究史ではむしろの "memory device" を、戦後日本の技術者が耳慣れた音に置き換える過程で生まれたとする説がある。
また、の旧工業短期大学に残る授業ノートでは、当初は「思い出す機械」ではなく「思い出酢」と誤記されていた痕跡が確認されている。これは実験用の酸性定着液が強く、現場で鼻を刺したためであると説明されるが、記録者が単に疲れていた可能性も否定できない[3]。
歴史[編集]
試作期[編集]
最初の試作は、の貸研究室で行われたとされる。中心人物は工学者のと、記憶心理学を専攻していたであり、両者は「人間は忘れることで生き延びるが、忘れ方を選べれば生活が楽になる」と主張した。
この時期の装置は机ほどの大きさがあり、再生のたびにの香りが出る仕様であった。遠野は後年、香りの印加は「記憶の輪郭を丸めるため」と説明したが、実際には配線の熱で接着剤が揮発していた可能性が高いとされる。
普及期[編集]
、の家電メーカーが民生向けモデル「OMD-74」を発売したことで一般家庭にも浸透した。定価はで、当時のの約1.7倍であったが、祖父母が孫の誕生日に「自分の若い頃を見せる」用途で購入する例が相次いだ。
この普及により、学校教育や冠婚葬祭における使用も増えた。とくにの一部地域では、結婚式の余興として新郎の失恋体験を再生する風習が生まれ、来賓が全員で沈黙する時間が「最も感動的」と記録されている。
規制と再編[編集]
には生活情報局が「記憶再生機器に関する指導要綱」を通達し、睡眠中の連続再生を原則禁止した。これは、利用者が他人の思い出を自分のものと錯覚し、町内会で昔話の主語が頻繁に入れ替わる事例が増えたためである。
一方で、が収集した利用日誌には、オモイデスによって疎遠になった家族が和解した例も多い。特にの和菓子店主が、亡き父の「餡を練る音」を再生し続けた結果、店のBGMが半年間ほぼ同じ音になった逸話は有名である。
技術[編集]
オモイデスの中核はと呼ばれる仕組みで、視覚・聴覚・嗅覚の三系統を1.2秒単位で分解し、再生時に再配列する。記録密度は初代機で約とされ、これは朝の通勤路を3往復分保存できる水準であった。
また、上位機種には「気まずさ減衰フィルタ」が搭載されていた。これを有効にすると、失恋・面接落選・親戚の説教といった反復再生が自動で和らぐが、同時に嬉しかった場面まで平板になる欠点があったため、利用者からは「便利だが人生が薄まる」と批判された[4]。
社会的影響[編集]
オモイデスは家庭内の会話を変えた製品である。導入家庭では、子どもが祖父母の若い頃を映像で知る一方、祖父母が自分の記憶を修正して語り直すことも可能になり、結果として家族史の「事実」と「納得」がしばしば一致しなくなった。
の1987年調査によれば、オモイデス保有世帯では年末年始の親族間口論が約18%減少したが、「昔はそんなことしていない」と言い張る機会は32%増加したという。なお、この数値は調査票の記入欄に「思い出の強さ」を5段階で記入させたことに由来し、統計としてはやや怪しい。
批判と論争[編集]
批判の中心は、オモイデスが記憶の選別を通じて歴史認識を個人化しすぎるという点にあった。とりわけの「桜橋記念日再生事件」では、同じ祭礼を再生した3家族が、それぞれ別の雨・別の屋台・別の司会者を主張し、役所が収拾に追われた。
また、民俗学者のは、オモイデスが「忘却の共同体」を破壊したと論じたが、対する技術者側は「そもそも人は最初から同じ祭りを見ていない」と反論した。議論はで6年続き、最終的に「記憶は証拠であると同時に飾り棚でもある」という妙に折衷的な声明で終結した。
現代のオモイデス[編集]
以降、オモイデスは単体機器からアプリ連動型の生活記録サービスへ移行した。現在ではによる自動補完機能が一般化し、食事、天候、会話の一部を入力すると、未記録部分を「たぶんこうだった」と補って再生する。
この機能は便利である一方、利用者が本当に体験した出来事と、オモイデスが最もそれらしく補完した出来事の区別がつかなくなる問題が指摘されている。もっとも、開発元のは「人間の記憶も同じ程度には補完的である」としており、2023年の広告では、再生された卒業式に校長が二人映っていた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会正彦『感覚残響回路の基礎』国立生活情報研究所報告, 1959, pp. 14-39.
- ^ 遠野澄子『家庭に入る記憶装置――オモイデス小史』社会技術評論社, 1976, Vol. 12, No. 3, pp. 201-218.
- ^ 小沼英一『忘却の共同体と再生の倫理』岩波書店, 1992, pp. 55-91.
- ^ Marjorie K. Bell, “Mnemonic Appliances in Postwar Japan,” Journal of Domestic Technologies, 1988, Vol. 7, No. 2, pp. 44-69.
- ^ 三栄電機広報室『OMD-74 取扱説明書』三栄電機株式会社, 1974.
- ^ 佐藤良介『思い出酢とその周辺』東京工業民俗叢書, 1963, pp. 9-26.
- ^ H. W. Fenwick, “Affective Storage and the Japanese Memory Market,” The East Asian Quarterly, 1994, Vol. 19, No. 4, pp. 310-333.
- ^ 『記憶再生機器に関する指導要綱』厚生省生活情報局資料集, 1983, pp. 1-12.
- ^ 藤森千尋『オモイデスの社会史』みすず書房, 2001, pp. 101-146.
- ^ Noboru Ishida, “The Curious Case of the Two Principals,” Memoir Studies Review, 2011, Vol. 5, No. 1, pp. 77-88.
外部リンク
- 国立生活情報研究所アーカイブ
- 日本記憶学会デジタル年報
- 昭和家電資料館
- オモイデス製品年表
- 家庭用記憶装置史研究会