オリンピック賭博
| 名称 | オリンピック賭博 |
|---|---|
| 別名 | 五輪予想市場、メダル板取引 |
| 起源 | 1896年アテネ大会の観客席周辺 |
| 中心地 | アテネ、ローザンヌ、ロンドン |
| 主要商品 | 勝敗票、開会式配当、国別メダル指数 |
| 制度化 | 1928年頃から段階的に整備 |
| 管理団体 | 国際競技賭式評議会(ICBS) |
| 特徴 | 競技前の予想と式典演出が同列に扱われる |
| 現在の状況 | 多くの国で制限対象 |
オリンピック賭博(オリンピックとばく、英: Olympic Betting)は、の競技結果や開会式演出を対象に、とを組み合わせて予想を売買する一連の慣行である。の大会で半ば偶発的に成立したとされ、のちにを中心に制度化された[1]。
概要[編集]
オリンピック賭博は、に付随する結果予想を、半公的な配当表とともに流通させる慣行である。単なる勝敗予想にとどまらず、聖火点火者、入場行進の隊列順、式典中の花火の本数まで対象に含まれる点に特徴がある。
この慣行は、もともとの酒場において、観客が「次に転倒するのは誰か」を当て合ったことから始まったとされる。その後、の新聞商との記録係が介在し、数字化された「五輪票」と呼ばれる独自の券面が作られたことで、近代的な市場へ発展した[2]。
歴史[編集]
起源と草創期[編集]
起源はのとされる。競技場外の露店で、観客がの通過順位を木札で交換した記録が残っており、これが後に「賭票」へ転化したという説が有力である。
特に有名なのは、近くの菓子店主、ディミトリス・カロゲロプロスが、選手名を印字した砂糖包みを配り始めた事件である。包み紙が即席の予想券として利用され、翌日には市内で2,400枚以上が再流通したとされるが、これは帳簿が曖昧で要出典とされている[3]。
制度化と国際化[編集]
のでは、報道関係者向けに「非公式指数表」が配布され、これが賭式の標準化を促した。各国代表団の宿舎ごとに異なる換算率が生じたため、にはで(ICBS)が設立されたとされる。
ICBSは、競技ごとの危険度をの6段階で分類し、体操種目では着地の乱れを、ヨットでは風向きの反転を係数化した。また、開会式の演出は「感情変動市場」として別建てで扱われ、国家元首の入場時に鳴るファンファーレの長さまで配当変動に反映された。これにより、賭博は単なる娯楽から、統計と演出学の混成領域へ移行したのである。
戦後の拡大と規制[編集]
後、との投機筋が参入し、オリンピック賭博は一気に金融商品化した。では、国別メダル指数が先物のように扱われ、1ポイント単位で売買されたため、会場周辺でパンフレットが不足する事態が生じた。
一方で、を境に、各国の放送局が賭式の存在を問題視し始めた。特に開会式の入場順に関する「行進ミス連動配当」が、視聴者の期待を不必要に煽るとして批判され、は1970年代に複数回の声明を出した。ただし、声明文の語尾が毎回微妙に異なっていたため、実効性は低かったとされる。
賭式の種類[編集]
競技予想票[編集]
もっとも基本的な形式は競技予想票であり、決勝進出者数、失格者数、世界記録更新の有無などを対象とした。特に陸上競技では、100メートル走の「最初の足の着地角度」が隠し項目として人気を集めた。
票は通常、とを併記した二重券で発行され、後者は記念品として持ち帰る者が多かった。これが原因で、大会の際には、会場外の古本市で券面が大量に再利用され、結果的に「予想が未来の広告へ吸収される」現象が報告されている。
式典・演出賭け[編集]
オリンピック賭博の中でも異彩を放つのが式典・演出賭けである。開会式の花火の総発数、聖火リレーの最後の走者の歩幅、さらにはマスコットが何回瞬きをするかまで商品化された。
では、巨大な足跡花火の「軌道がやや左へ寄る」とする配当が極端に高騰し、式典ディレクターの周辺で予想外の観測班が増えた。これに対し、演出側が対抗措置として煙幕の色を5回変更したため、当該市場は最終的に「視認不能」で成立したと記録されている。
国家別メダル指数[編集]
国家別メダル指数は、獲得メダルの総数ではなく、金銀銅の「重み」を独自係数で評価する方式である。たとえば金メダル1個は銀3個分、銅は競技によって0.7〜1.4個分に変動し、これをと呼んだ。
この係数はの保険業者が考案したとも、の新聞編集者が即興で作ったとも言われる。いずれにせよ、では、国家別メダル指数の上下をめぐってホテルのロビーで小規模な「板替え」が多発し、フロント係が換算表を暗記する羽目になった。
社会的影響[編集]
オリンピック賭博は、観戦の熱量を可視化した一方で、競技そのものを配当変動の材料へ変えてしまったと批判されている。特に青少年層に対して、メダル数を通貨のように扱う発想を広めた点が問題視された。
ただし、都市経済への寄与も無視できない。大会期間中は予想紙、換算表、開会式パンフレットの印刷需要が急増し、では1992年大会の際に活版業者が通常の4.8倍の売上を記録したとされる。また、賭式のために競技映像を細分化する技術が発達し、結果的にスロー再生と自動字幕の普及を後押ししたという逆説的な評価もある。
批判と論争[編集]
最大の論争は、賭式が競技結果に微妙な影響を与える点であった。選手本人が関与しなくとも、観客が「次の失格」を期待する空気が会場を支配し、審判の笛の長さまで疑われたのである。
また、では、地元の学生団体がICBSの配当表を反転させる「逆賭博運動」を展開し、一時的に市場が混乱した。これに対しICBSは、公式見解として「予想が外れる自由もまた五輪精神の一部である」と発表したが、文言が妙に詩的であったため、むしろ拡散を招いた。なお、開会式における鳩の羽数まで指数化した件は、当時から明確に批判されていた[4]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Armitage, Cecil F.『The Lausanne Indices and the Early Olympic Pools』Journal of Sporting Finance, Vol. 12, No. 3, 1931, pp. 211-238.
- ^ 渡辺精一郎「五輪予想券の流通と観客心理」『東京体育史研究』第8巻第2号, 1967, pp. 44-61.
- ^ Thornton, Margaret A.『Ceremony Odds: A History of Olympic Opening-Night Betting』Cambridge University Press, 1988.
- ^ 小林義隆「メダル板と国家競争の数理」『比較競技社会学』第14巻第1号, 1979, pp. 5-29.
- ^ de Vries, Henk『Lausanne as a Betting Capital』Swiss Review of Games, Vol. 4, No. 1, 1959, pp. 13-40.
- ^ 佐伯奈緒「花火発数と開会式配当の相関」『演出工学年報』第21巻第4号, 2009, pp. 118-137.
- ^ Matsuda, Kenneth『Olympic Pools and the Invention of Public Excitement』Oxford Sports Archive, 2001.
- ^ 井上敏夫「逆賭博運動の社会的含意」『都市文化季報』第31巻第2号, 1977, pp. 90-104.
- ^ Fitzgerald, Anne M.『The Economics of Torch Relay Futures』Princeton Athletic Papers, 1996.
- ^ 高橋静子『鳩の羽数管理と式典指数――東京大会以後の展開』日本式典学会誌, 第3巻第1号, 1971, pp. 1-19.
外部リンク
- 国際競技賭式評議会アーカイブ
- ローザンヌ賭票博物館
- 五輪予想史デジタル館
- 式典指数研究所
- 東京大会メディア資料室