カップ麺納豆ご飯タバスコ
| 名称 | カップ麺納豆ご飯タバスコ |
|---|---|
| 別名 | カップ納豆飯、赤辛混ぜ飯 |
| 発祥国 | 日本 |
| 地域 | 東京都、関東地方の学生街 |
| 種類 | 即席混合飯 |
| 主な材料 | カップ麺、納豆、白米、タバスコ |
| 派生料理 | 二重湯切り丼、追いタバスコ丼、冷やしカップ麺納豆 |
カップ麺納豆ご飯タバスコ(かっぷめんなっとうごはんたばすこ)は、をとの上に盛り、を加えて混ぜ合わせたのである[1]。簡便食でありながら強い香気と刺激を併せ持つ料理として、の学生街を中心に広く親しまれている[1]。
概要[編集]
カップ麺納豆ご飯タバスコは、の麺と具を半量ほど残し、別に盛ったおよびにかけ、仕上げにを数滴から十数滴加えて食べる料理である。一般に、麺の油脂感、納豆の粘性、タバスコの酸味と辛味が同時に立ち上がることを特徴とし、深夜の空腹時に採用されやすい。
現在では、学食や下宿の共同台所、あるいは・周辺の安価な定食店で半ば公認の裏メニューとして知られている。また、作り手の裁量でスープを「かける派」と「切る派」に分かれるため、調理法の差異がそのまま食文化の差として扱われることがある。
語源/名称[編集]
名称は材料名をそのまま連ねた複合語であるが、成立初期には「麺飯赤振り」とも呼ばれていたとされる。これは末にの下宿で、就学中の若年層が献立を口頭で伝える際に「カップ麺に納豆ご飯、あとタバスコ」と省略したことに由来するとされている。
一方で、料理研究家のは、名称の後半が後から付け足されたことに注目し、「タバスコは実際には味の決定要素ではなく、記憶の補助線として機能している」と述べたという。もっとも、この発言は1994年の同人誌にしか確認できず、食文化史の資料としては要出典の域を出ない。
歴史[編集]
成立期(1970年代)[編集]
起源は頃、沿線の学生と予備校生のあいだで、の残り汁に冷や飯を投入する「追い飯」習慣が広まったことにあるとされる。そこへ、納豆を混ぜると腹持ちがよくなるという経験則が加わり、さらに卓上調味料として置かれていたタバスコが試験的に使用された。
特にの喫茶店裏手にあった共同炊事場では、湯切りを失敗した麺を救済するための応急食として定着したという。1976年の冬には、同じ鍋を使った学生が37人連続で同料理を作った記録があるが、これは下宿の台帳にしか残っていない。
普及期(1980〜1990年代)[編集]
になると、インスタント食品の多様化とともに、味の濃い醤油系スープよりも、塩味や味噌味のカップ麺が好まれるようになった。これにより、納豆の発酵臭とタバスコの酸味が互いを打ち消すのではなく、むしろ輪郭を強めることが知られるようになった。
にはの学生向け雑誌『月刊あおむし』が、1ページ企画「最安値の満腹飯」として本料理を紹介し、読者アンケートで「週3回以上食べる」が18.4%に達したと報じた。この数字は当時の印刷部数から考えるとやや高すぎるが、編集部は「返信葉書の油染みも含む」と説明している。
定着期(2000年代以降)[編集]
以降、SNS上で「見た目は終わっているが、意外に成立する食べ物」として再評価され、深夜帯の自炊文化を象徴する一品となった。とくにの学園祭周辺では、模擬店の試食用に出された小丼が話題となり、翌年には「タバスコ係」という役割が正式に設けられた。
なお、には内の食品メーカーが「納豆に合う赤辛ソース」として類似品を試作したが、試食会で参加者の42人中39人が「元祖の雑さに勝てない」と回答したため、商品化は見送られたとされる。
種類・分類[編集]
カップ麺納豆ご飯タバスコには、使用する麺の味付けや納豆の状態によっていくつかの系統がある。一般に、かける順番と混ぜる強度によっても風味が変化し、同じ名称でも別料理に近い差が生じる。
分類の基準は主に、麺の残量、スープの扱い、タバスコの滴数、納豆の粒度である。食文化研究では、これらを総合して「三層可変型即席飯」に分類する説が有力である。
材料[編集]
基本材料は、、、の4点である。特に重要なのは、カップ麺の麺をすべて使い切らず、6割から8割程度にとどめることで、米側との比率を保つ点にある。
補助材料としては、刻みねぎ、海苔、卵黄、バター、七味、あるいは刻んだ沢庵が用いられる。なお、の一部ではバターを加える流派がある一方、では紅生姜を混ぜる派が存在し、同じ料理でありながら印象が大きく異なる。
食べ方[編集]
まずをよくかき混ぜ、糸が立った段階で温かいにのせる。次に、別途準備したカップ麺の麺を箸で短く折り、必要に応じてスープを少量だけ回しかける。その後、タバスコを3〜12滴ほど加え、全体を大きく3回から5回混ぜて食べるのが一般的である。
食べ方には「直食い」「丼混合」「麺先行」の三法があり、直食いは学生寮で、丼混合は家庭で、麺先行は飲酒後に選ばれやすいとされる。特に深夜に食べる場合、最後に残った赤いスープを米に吸わせると満足感が増すとされ、これを「締めの赤染め」と呼ぶ地域もある。
文化[編集]
この料理は、・・という三条件を満たすことから、若年層の生活史を象徴する食事として扱われてきた。また、味のまとまりよりも場当たり的な完成度が重視されるため、共同生活の妥協点を示す比喩としても用いられる。
の一部のライブハウスでは、終演後の裏口でこれを食べる習慣があり、出演者の緊張をほどく「赤い儀式」と呼ばれたことがある。さらに、の大学生協では、試験期間のみ限定で「カップ麺納豆ご飯タバスコ・セット」が販売されたという記録が残るが、販売数は初日だけで214食に達し、翌週には提供台数が追いつかなかった。
一方で、健康面については議論があり、納豆の発酵成分とタバスコの刺激が胃に与える影響をめぐって、2008年にが注意喚起を出したとされる。ただし、その文書は学会誌の端に挟まっていた回覧紙1枚しか見つかっていない。
脚注[編集]
[1] 編『学生街の即席飯史』、2003年、pp. 118-124. [2] 佐伯光司「納豆と赤色調味料の相互作用」『』Vol. 12, No. 3, 1998年, pp. 44-51. [3] 長谷川瑞穂『裏メニューの民俗誌』、2001年、pp. 77-79. [4] 渡辺精一郎「中央線沿線における追い飯文化の形成」『』第8巻第2号、1989年、pp. 201-219. [5] M. A. Thornton, “Fermented Legumes and Hot Sauce in Postwar Japanese Dormitory Diets,” Journal of Applied Culinary History, Vol. 5, No. 1, 2007, pp. 9-18. [6] 『月刊あおむし』編集部「最安値の満腹飯」『月刊あおむし』第14号、1992年、pp. 6-7. [7] 山本久美子『辛味と粘性の社会学』、2016年、pp. 155-162. [8] 農林水産省食生活調整室『即席食と発酵食品の併用に関する覚書』、2017年、pp. 2-3. [9] 佐々木一馬「タバスコ係の発生」『学園祭研究年報』第21巻第4号、2019年、pp. 88-93. [10] 北条みどり『赤い副菜の民俗学』、2020年、pp. 301-305.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 東京食文化研究会編『学生街の即席飯史』青土社, 2003.
- ^ 佐伯光司「納豆と赤色調味料の相互作用」『現代食総合研究』Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 44-51.
- ^ 長谷川瑞穂『裏メニューの民俗誌』河出書房新社, 2001.
- ^ 渡辺精一郎「中央線沿線における追い飯文化の形成」『東京都市史紀要』第8巻第2号, 1989, pp. 201-219.
- ^ M. A. Thornton, “Fermented Legumes and Hot Sauce in Postwar Japanese Dormitory Diets,” Journal of Applied Culinary History, Vol. 5, No. 1, 2007, pp. 9-18.
- ^ 月刊あおむし編集部「最安値の満腹飯」『月刊あおむし』第14号, 1992, pp. 6-7.
- ^ 山本久美子『辛味と粘性の社会学』みすず書房, 2016.
- ^ 農林水産省食生活調整室『即席食と発酵食品の併用に関する覚書』, 2017.
- ^ 佐々木一馬「タバスコ係の発生」『学園祭研究年報』第21巻第4号, 2019, pp. 88-93.
- ^ 北条みどり『赤い副菜の民俗学』岩波書店, 2020.
外部リンク
- 東京即席食文化アーカイブ
- 中央線学生食研究所
- 納豆飯図鑑デジタル版
- 赤辛調味料民俗資料館
- 夜食文化観測所