カルアミルクの乱
| 正式名称 | カルアミルク提供方式紛争 |
|---|---|
| 通称 | カルアミルクの乱 |
| 発生時期 | 1983年7月 - 1984年2月 |
| 発生場所 | 東京都新宿区・渋谷区、神奈川県横浜市一部 |
| 原因 | 甘味酒類の比率規格、氷の先後問題 |
| 関係組織 | 日本甘味飲料協会、都内深夜喫茶連盟 |
| 被害 | グラス破損127件、営業停止4店 |
| 収束 | 1984年2月の暫定通達により沈静化 |
| 影響 | 深夜喫茶の標準メニュー化、比率表示文化の定着 |
カルアミルクの乱(カルアミルクのらん)は、後期のの深夜喫茶文化を背景に発生したとされる、甘味酒類の提供方法をめぐる一連の騒擾である[1]。特に夏のを中心に、濃度規制を巡る「氷先派」と「先注ぎ派」の対立が激化したことで知られている[2]。
概要[編集]
カルアミルクの乱は、系リキュールを用いた甘味飲料の提供様式をめぐり、都内の喫茶店・バー・学生サークルの間で生じた一連の対立とされる事件である。単なる飲み方の好みの違いに見えるが、当時はの表示慣行、氷の溶解速度、さらに「ミルクの泡立ては社会的同意を伴うか」といった奇妙な論点まで持ち込まれ、半ば文化闘争の様相を呈した。
史料上は、の地下飲食街に置かれた掲示板「今夜の推奨比率」から始まったとされる。これがの若者文化圏に波及し、やがて、、一部の大学自治会が巻き込まれる事態となった。なお、当時の報道では「一杯の配合をめぐる小競り合い」と矮小化されていたが、後年の研究では末期の都市型儀礼の再編として扱われることが多い[3]。
発生の背景[編集]
前史として重要なのは、後半にやで広まった「甘味酒の明確化運動」である。これは、甘い酒を注文した客が想定より苦いと感じた際、店側の説明責任を求めるもので、にはが非公式に配布した「夜間飲料の安心表示案」が各店へ回覧されたとされる[要出典]。
また、に輸入リキュールの価格が1本あたり平均18%上昇したことから、都内の一部喫茶店では牛乳の比率を増やして原価調整する動きが見られた。これに対し、常連客側は「薄めたカルアミルクはもはや別飲料である」と反発し、提供方法をめぐる口論が頻発したのである。とりわけの学生街では、氷を先に入れるか後に入れるかでサークル間の友好関係が断絶した例も報告されている。
経過[編集]
1983年7月の発端[編集]
最初の大規模な衝突は7月14日、の喫茶店「珈琲洞・西口館」で起きたとされる。閉店前の団体客12名が「氷先でないと層が崩れる」と主張したのに対し、店主のが「液体先注ぎこそ口当たりが整う」と譲らず、注文が27杯分に膨張した結果、グラス回収が追いつかなくなった。最終的に警備員3名が仲裁に入り、店の黒板には「本日は比率協定により一時休戦」と書かれたという。
この出来事が翌週の夕刊に掲載されると、SNSのない時代にもかかわらず、近隣の酒場へ口伝で拡散した。編集部は後年、この報道が「配合論争を都市文化の対立へ誤って格上げした」と自己批判している。
氷先派と先注ぎ派[編集]
対立はやがて二派に分かれた。氷を先に入れることを重視するは、都立工業高校の化学部OBや理論派のバーテンダーに支持され、温度差が味の安定性を左右すると主張した。一方、リキュールを先に注ぐは、カップ底で甘味層を作ることが「夜の礼法」であると説き、のジャズ喫茶を中心に勢力を拡大した。
両派の集会では、スプーンの角度、牛乳の脂肪分、氷の球形率まで議論され、1983年10月時点で議事録は合計418ページに達したとされる。もっとも、議事録の半分近くは試飲感想であり、学術性には疑問が残る。なお、後にこの対立を記録した『夜の乳濁理論入門』は、飲料史研究の古典として引用される一方、執筆者が全員同じ喫茶店の常連だったことが判明している。
社会的影響[編集]
カルアミルクの乱が残した最大の影響は、飲食業界における「比率表示」の普及である。これ以前は、酒類の甘味調整は店主の裁量に任されていたが、事件後は内の多くの深夜喫茶が「1:2」「1:3」などの簡易比率をメニューに明記するようになった。1984年末には、都心部の約63%の店が何らかの配合表示を導入したとの調査もある。
また、大学祭や文化祭でカルアミルク模擬店が増加し、、、の三大学では、味の再現性を競う「乳濁コンテスト」が恒例行事となった。これにより、単なるカクテルが「若者の協調と分裂を象徴する飲み物」として語られるようになり、1980年代後半には一種の都市伝説へ転化した。
関係者[編集]
牧野義彦[編集]
は、事件の発端とされる「珈琲洞・西口館」の店主である。戦後復興期にで喫茶修業を積み、独自に「三層式カルアミルク」を開発した人物として知られるが、本人は晩年まで「ただ牛乳を多めにしただけ」と証言していた。1984年の聞き取りでは、氷を先に入れない客に対してだけ妙に丁寧になる癖があったという。
彼の手書きメモには「甘さは議論を呼ぶが、温度は裏切らない」と書かれており、後の飲食評論家に引用された。
田島玲子と「夜間飲料研究会」[編集]
はの民俗学研究室出身で、事件を文化儀礼として再解釈した中心人物である。彼女が主宰した「夜間飲料研究会」は、のちにの分科会登録を申請したが、提出書類の備考欄に「牛乳の比率は地域差が大きい」とだけ書かれていたため差し戻された。
田島はのちに、『深夜喫茶の作法と都市感情』での若者が飲み物に共同体を見ていたと論じた。もっとも、同書の図版4にはカルアミルクの写真ではなくカフェオレが誤って掲載されており、研究者の間で長く話題となった。
収束[編集]
事態の収束には、2月にが出した「甘味酒類の提供に関する暫定通達」が大きく作用した。通達では、氷の配置や層の形成は「利用者の理解を損なわない範囲で店側が選択できる」とされ、実質的には両派の折衷案となった。
ただし、の一部店舗では通達後も「氷先専用席」「先注ぎ優先券」が残り、週末のみ対立が再燃した。特に近くのバーでは、注文票に「乱あり」「乱なし」を記す独自制度が導入され、これが後にチップ文化の先駆けとして誤解されたという。
批判と論争[編集]
カルアミルクの乱については、そもそも事件自体が後年の飲食業界による自己神話化ではないかという批判がある。とりわけに刊行された『都市酒場史の虚実』では、当時の新聞記事の多くが店主の宣伝文句を再利用しただけであり、実際に大規模な衝突は起きていなかった可能性が指摘された。
一方で、の古書店から発見されたレシート束や、の下宿で見つかった会議録には、確かに「氷先」「先注ぎ」「泡の持続時間」といった記述が確認されている。研究者の間では、事件の規模は誇張されていたが、配合をめぐる確執そのものは実在したとする見方が有力である。なお、同時期に提出された『カルアミルク防衛白書』には、なぜか最終頁に牛のイラストが42頭描かれており、資料の信頼性をめぐっていまなお議論がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
の若者文化
の飲食史
脚注
- ^ 田島玲子『深夜喫茶の作法と都市感情』青灯社, 1987年.
- ^ 牧野義彦『乳濁配合論試稿』新宿文化出版, 1985年.
- ^ K. Sato, "Layering and Consensus in Sweet Liquor Service," Journal of Urban Beverage Studies, Vol. 4, No. 2, pp. 41-68, 1991.
- ^ 山根弘『昭和末期の甘味酒流通』東都書房, 1994年.
- ^ M. A. Thornton, "The Politics of Ice Order in Tokyo Night Cafés," Beverage History Review, Vol. 11, Issue 1, pp. 9-33, 2002.
- ^ 『東京都深夜喫茶連盟 年次報告書 1984』都内深夜喫茶連盟資料室, 1985年.
- ^ 中村伊織『都市飲料紛争史』河岸社, 1996年.
- ^ Abe, T. & Hoshino, R., "A Note on the Unstable Foam Index of Kahlua Milk," Proceedings of the Japanese Society of Domestic Liquors, Vol. 8, pp. 112-119, 1986.
- ^ 『カルアミルク防衛白書』日本甘味飲料協会, 1984年.
- ^ 古谷聡一『カクテルと共同体の夜』港湾大学出版会, 2001年.
- ^ L. F. Mercer, "An Unusual Treatise on Milk and Late-Night Order," International Journal of Beverage Rituals, Vol. 3, No. 4, pp. 201-214, 1979.
外部リンク
- 日本甘味飲料史研究センター
- 深夜喫茶アーカイブス
- 都内食文化資料室
- 東京夜飲文化年表
- カルアミルク事件口述史プロジェクト