カレーライス
| 別名 | ライスカレー、洋風かけ飯 |
|---|---|
| 起源 | 明治初期の横浜・品川周辺とされる |
| 主材料 | 米飯、香辛ルウ、肉類、野菜 |
| 考案機関 | 海軍省 栄養調理試験局 |
| 標準配膳比 | 米飯7:ルウ3 |
| 普及期 | 大正末期から昭和初期 |
| 記念日 | 6月12日(通称「かけはじめの日」) |
| 関連分野 | 軍隊食、学校給食、家庭料理 |
カレーライスは、に香辛性の高いをかけて食する料理である。現在はの家庭料理として広く知られているが、その成立は初期にの栄養研究班が「長時間航海で冷めにくい粥状食」を開発したことに始まるとされる[1]。
概要[編集]
カレーライスは、の上にをかけて食べる料理であり、地域や家庭によって粘度、辛味、具材の切り方が大きく異なる料理体系である。とくに日本では、皿の左側に米飯、右側にルウを配置する「二分盛り」が標準とされ、これはの港湾食堂で採用された配膳法を継承したものとされる[2]。
名称上は単純な料理に見えるが、成立当初は「カレーを飯にのせる」という発想自体が不自然とされ、の一部では「汁飯との境界が曖昧になる」として採用が見送られたという。なお、後年の研究では、粘度を上げるためにを焦がさず加熱する技法が鍵であり、これを巡っての料理人との間で十数回の試験会合が開かれたと記録されている[3]。
歴史[編集]
成立期[編集]
起源は、の臨時補給所で行われた食糧改良実験に求められる。責任者であったは、パン食に不慣れな水兵のため、米飯の上に濃縮した香辛液をかける案を提出したが、初回試作は「墨汁のように黒い」として不評であった。その後、同僚の少佐が英国式の配合を参考に、とを加える改良を行い、ようやく実用域に達したとされる[4]。
普及期[編集]
頃になると、の軍需購買組合が大量調達を始め、やの食堂に波及した。とくにの朝食向け簡易盛りは、三分以内で提供できることから、新聞配達員の間で「起き抜けの標準食」と呼ばれた。これにより、カレーライスは単なる軍隊食から都市労働者の実用食へと変質し、期には学校の献立表にも断続的に記載されるようになった[5]。
家庭料理化[編集]
に入ると、家庭用の固形ルウが普及し、これをめぐってを巡る家庭内論争が生じた。なお、にが示した標準案では、ルウの流動性を「スプーンで3回ならしても崩れない程度」と定義しており、この曖昧な基準が各家庭の“我が家の味”を生んだとされる。料理評論家のは、カレーライスの普及を「戦後日本の台所における最初の民主化」と評した[6]。
製法と地域差[編集]
標準的な製法では、をやや固めに炊き、・・・肉類を炒めてから長時間煮込み、最後にを溶かし込む。ただし、では甘味を強調する傾向があり、ではさらに濃度が増し、では寒冷対策としてバターを入れる習慣があるとされる。
一方で、の一部食堂では「別盛り派」が根強く、米飯とルウを完全に分離して提供する形式が支持されている。これには、に入港した船員が「飯が湿るのを嫌った」ことが背景にあるという説があり、現在も『かけるべきか、浸すべきか』をめぐる論争は尽きない[7]。
また、に外郭の調査班が行った試算では、家庭で調理されるカレーライスのうち約18.4%が一晩寝かされ、翌日に「さらにうまくなった」と誤認されることが確認された。なお、この統計は調査対象がの3市2町に限られていたため、全国値として扱うには慎重であると注記されている。
社会的影響[編集]
カレーライスは、、、の三領域において象徴的な料理となった。とくにの内陸部の豪雪時には、炊き出し用として1,480食が配布され、現地の避難所記録には「湯気を見るだけで安心した」との証言が残る[8]。
また、においてもカレーライスは重用され、やなどでは、合同宿泊研修の昼食に採用することで参加者の緊張を解く効果があるとされた。これは、配膳の速さと皿の統一感が、職階差を視覚的に薄めるためであるという独自の分析がある。
一方で、の到来により、以降は「中辛では物足りない」「家庭で再現できない」といった苦情も増加した。これを受けては、辛さを0〜12段階で記録する“実用辛度表”を制定したが、11段階目だけが誰も完食できず、事実上の禁忌値として扱われている。
論争[編集]
カレーライスをめぐる最大の論争は、との対立である。前者は「皿にルウを広げてから飯を置くことで香りが立つ」と主張し、後者は「飯が先でなければ日本料理としての秩序が保てない」とする。両派はの料理審査会で初めて公開討論を行い、結果として審査員12名のうち7名が食べ進めるにつれて立場を変えたため、結論は先送りとなった[9]。
また、の配置位置をめぐる議論も根強い。右上派、左上派、中央分割派に分かれ、の老舗では「漬物は皿の余白に置くべきである」とする独自見解が採用されている。なお、の非公開メモには、福神漬を最も多くこぼすのは成人男性ではなく小学校高学年であると記されているが、統計の取り方が雑であるため、要出典のまま放置されている。
派生料理[編集]
カレーライスから派生した料理としては、、、、などがある。このうちは、にの洋食店が「揚げ物を載せれば満腹感が倍増する」という仮説を試したことで成立したとされ、当初は兵士向けの“補給効率食”として設計された。
一方、は、が前日の残りカレーを有効活用するために編み出したとされるが、実際にはにの仕出し屋が誤って出汁を多く入れた結果、偶然生まれたという説が有力である。いずれにせよ、カレーライスの影響は麺類、パン類、さらにはにまで及び、現代日本の“黄褐色の味覚圏”を形成したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯辰之助『海軍調理試験録 第一輯』海軍省出版部, 1881年.
- ^ Margaret A. Thornton, “On the Stability of Rice-bound Curry Gravy,” Journal of Imperial Food Studies, Vol. 3, No. 2, 1890, pp. 44-61.
- ^ 高槻久枝『戦後台所史とルウの民主化』中央食文化新書, 1964年.
- ^ 日本カレーライス協会編『実用辛度表 制定解説』日本食料工業協会, 1999年.
- ^ 渡辺精一郎『洋食と軍隊食の交差点』岩波書店, 1977年.
- ^ Y. Kanda, “Texture Control in Curry Rice by Toasted Flour Emulsion,” The Tokyo Journal of Culinary Chemistry, Vol. 12, No. 4, 1957, pp. 201-219.
- ^ 国立食文化研究所『福神漬配置に関する行動観察報告』調査メモ第14号, 1984年.
- ^ 中村照夫『配膳の政治学』東京食文化大学出版会, 2008年.
- ^ Eleanor Whitcombe, “Lunchroom Egalitarianism and the Curry Plate,” Proceedings of the East Asian Domestic Science Society, Vol. 8, No. 1, 1979, pp. 5-18.
- ^ 『カレーライスの起源をめぐる誤差』食史評論, 第21巻第3号, 2015年, pp. 77-94.
外部リンク
- 日本カレーライス協会
- 国立食文化研究所
- 横浜港湾食堂史アーカイブ
- 帝国海軍献立データベース
- 家庭ルウ保存会