ガンジャマン
| 名称 | ガンジャマン |
|---|---|
| 英名 | Ganjaman |
| 発祥 | 1898年ごろ、英領インド北西部 |
| 主な活動 | 薬草管理、夜間巡回、見回り歌の制作 |
| 伝来 | 横浜港を経由して日本へ流入 |
| 活動拠点 | 東京市下谷、神奈川県横浜市中区 |
| 代表的装備 | 真鍮製の鐘、麻布の肩掛け、携帯香炉 |
| 最盛期 | 昭和初期から戦後直後 |
| 関連現象 | 夜回り、街頭演芸、草分け警備 |
ガンジャマン(がんじゃまん、英: Ganjaman)は、の北西部で生まれたとされる、薬草調合と夜間巡回を兼ねた民間組織の通称である。のちに経由でへ伝わり、都市伝説、警備文化、娯楽思想が混交した独特の存在として知られる[1]。
概要[編集]
ガンジャマンとは、薬草の管理と夜間の見回りを担う半互助的な巡回者集団、あるいはその呼称であるとされる。一般には単なる都市伝説と見なされることも多いが、の港湾史料や、の下町で作成された番付類に断片的な記載が残るとされる[1]。
名称の由来については、巡回時に携行した香草束の匂いから「ガンジャ」と呼ばれた説、あるいは系の護符語彙が訛ったとする説がある。ただし、どちらの説も後世の口承を経ており、一次資料の確実性は低いとされている[2]。
成立の経緯[編集]
港湾労働者の自警組織として[編集]
最も広く流布している説では、ごろ、からへ入った薬種商と船員が、夜間の荷役監視を目的として始めたのが起源であるとされる。彼らは通常の警備員とは異なり、香炉の煙と鐘の音で「異常の気配」を知らせたといい、当時の港湾帳簿には「鐘鳴らしの男」なる不可解な項目が散見される[2]。
この方式は、犬を用いた警備が増える以前の港湾では意外に合理的で、風向きによって匂いの変化を察知することができたため、密輸品の発見率が年間で17%向上したという伝承もある。ただし、この数字は後年の同人誌的回想録にのみ見えるため、学術的には慎重に扱われている。
下町への移植[編集]
末から初期にかけて、横浜の荷役文化に触れた東京の寄席芸人がこの風習を面白がり、やで余興として模倣したのが普及の契機になったという。巡回歌は次第にテンポを増し、子ども向けの囃子や、町会の夜回り唄と混ざり合った。
とくにの一部では、ガンジャマンの衣装を着た者が火の用心を呼びかけると、商店主が甘納豆や麦茶を渡す慣習があったとされる。これが「お礼の茶菓子制度」と呼ばれ、のちの町内会文化に影響したという説がある[3]。
制度化と衰退[編集]
8年、の一部内部文書において、類似の巡回者が「非公式補助警備」として扱われたことがあり、これを制度化の頂点とみなす研究者もいる。一方で、戦時体制下では香炉や真鍮鐘が軍需物資として回収され、ガンジャマンの装備体系は急速に失われた。
戦後は、内の演芸街で「復活公演」が数回行われたが、すでに本来の巡回目的は薄れ、観光向けの奇習として再解釈された。1956年の記録では、参加者38名のうち本来の作法を理解していたのは6名のみであったとされ、この時点で実質的な共同体は崩壊したと考えられている。
特徴[編集]
ガンジャマンの特徴は、警備、儀礼、演芸が一体化していた点にある。巡回者は左肩に香草袋、右手に短い鐘、腰に木札を下げるのが基本とされ、夜ごとに決められた3つの節回しを唱えたという。
また、彼らは不審者の追跡よりも「空気の改変」を重視した。つまり、騒ぎを起こす前に匂いと音で場を整えることで、犯罪そのものを未然に避けるという発想である。この思想は後世のや、商店街の夜回りキャンペーンに影響を与えたとされる[3]。
なお、一部の資料では、ガンジャマンが雲の動きから翌日の客足を占ったとされる。これは後代の脚色ともいわれるが、実際にの古い商家帳簿には「雨前夜に客足よし」との書き込みがあり、関係者の間で半ば伝説化している。
東京における流行[編集]
寄席文化との結合[編集]
周辺では、ガンジャマンを題材にした短い寸劇が人気を博した。演者は真面目な顔で鐘を鳴らしながら、実際には米俵の数を当てるだけの即興芸を行ったとされる。この形式が観客に受け、1899年から1904年の間に少なくとも21本の関連演目が記録されている[4]。
もっとも、演目名の多くは現在では意味不明で、「鳴れば静まる」「草の番人」「第三夜の匂い」など、内容を想像するしかないものが多い。
商店街の導入[編集]
やでは、店先の照明点検を兼ねてガンジャマン式の巡回を模した商店街行事が行われたとされる。1932年の記録では、の呉服商32軒が参加し、うち7軒が「鐘の音で客が入るようになった」と報告したが、実際には通行人が見物して立ち止まっただけだという指摘もある。
この流行は戦前の都市消費文化において珍しい「安全と娯楽の同時販売」として評価され、現在のイベント警備の原型とみなす研究もある。
社会的影響[編集]
ガンジャマンは、近代都市における「警備を見世物化する」という発想を先取りした存在として評価されることがある。特に内の商店街文化において、夜回りを単なる防犯ではなく共同体儀礼として扱う慣習に与えた影響は大きいとされる[3]。
また、香草や香炉を用いることで、労働者の疲労感を和らげる効果があったともいわれ、港湾の夜勤者に対する簡易的なメンタルケアの一種だったという見方もある。もっとも、これは現代の健康志向に合わせて再構成された解釈であり、当時の関係者がそこまで意図していたかは不明である。
一方で、の一部記録では、ガンジャマンの行進が群衆を不必要に集め、交通整理の妨げになったこともあり、末には「演技性の高い巡回活動」として注意対象になったとされる。
批判と論争[編集]
ガンジャマンをめぐる最大の論争は、その実在性である。支持派は港湾文書、町会記録、古い見世物番付の断片を根拠に挙げるが、反対派はそれらが互いに矛盾し、しかも記載者の署名が毎回微妙に違うことを指摘している。
また、にの研究会で発表された「夜回り唄の変種としてのガンジャマン」は、引用元の半数が未確認であったため、後に「資料ではなく創作メモではないか」と批判された[5]。ただしこの批判自体も、同研究会の記録の保存状態が悪く、いまだ決着はついていない。
さらに、近年では観光事業との結びつきに対する批判もある。復元衣装が実際の労働着より極端に派手であり、「本来の姿を誤解させる」との声がある一方、そもそも本来の姿を知る者がほぼいないため、議論は平行線をたどっている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田辺修一『横浜港と香草巡回譜』港湾史研究会, 1987, pp. 44-71.
- ^ Margaret L. Huxley, "Bell, Smoke, and Order: Informal Patrols in Late Meiji Tokyo," Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 201-228.
- ^ 佐伯清隆『夜回り唄の系譜と変容』東都書房, 2004, pp. 15-58.
- ^ R. C. Bennett, "The Ganjaman Phenomenon in Colonial Port Cities," Port and Culture Review, Vol. 8, No. 1, 1979, pp. 3-19.
- ^ 『下谷商店街連合会記録 第3巻第2号』下谷商店街連合会, 1933, pp. 112-119.
- ^ 古橋由紀子『香炉を持つ警備者たち』みすず港湾出版, 2011, pp. 88-104.
- ^ Hiroshi Watanabe, "Smoke as Civic Language: A Note on Ganjaman Practices," Transactions of the Anthropological Society of Japan, Vol. 66, No. 4, 1998, pp. 245-260.
- ^ 小森田一『見世物から制度へ――近代都市の夜間儀礼』青灯社, 2016, pp. 130-167.
- ^ A. N. Patel, "On the Strange Case of 'Grass Watchers' in Yokohama," Asian Port Studies, Vol. 5, No. 2, 2002, pp. 77-93.
- ^ 『ガンジャマンとその周辺資料集』東京民俗資料叢書編集委員会, 1972, pp. 9-41.
外部リンク
- 東京民俗資料アーカイブ
- 横浜港湾口承史データベース
- 下町夜回り文化研究所
- 近代見世物番付図書館
- 都市伝承照合委員会