クダリズム
| 名称 | クダリズム |
|---|---|
| 別名 | 下り主義、降順趣味 |
| 成立 | 1898年頃 |
| 提唱者 | 森脇 玄堂 |
| 中心地域 | 東京府、京都、静岡県東部 |
| 主要媒体 | 時刻表、鉄道唱歌、旅日記 |
| 関連分野 | 鉄道史、民俗学、記号論 |
| 特徴 | 下り勾配を前向きに捉える独自の審美観 |
| 現状 | 一部の愛好家に継承 |
| 標語 | 登りは準備、下りは本番 |
クダリズムは、のとが交差する中で成立したとされる、下り勾配の動きに美学と規律を見出す思想・趣味・技法の総称である。特にの勾配区間と、を中心とする旅情表現に強く結びついた概念として知られている[1]。
概要[編集]
クダリズムは、移動の方向そのものに価値を認める思想であり、特にの速度感、車窓の視界の開け方、停車後の身体感覚に着目する点で特異である。一般には鉄道趣味の一亜種とみなされるが、実際には末期の文人層が形成した旅の作法に近い。
この概念は、単なる「下り列車が好き」という嗜好にとどまらず、旅程の組み立て、座席の向き、弁当の開封順序、さらには筆記具の置き方にまで及ぶとされる。研究者の中には、からへ向かう文化的期待の偏重を可視化したものだとする説もある[2]。
歴史[編集]
成立期[編集]
クダリズムの起源は、に近くの貸席で開かれた「下行速度談話会」に求められることが多い。ここで文筆家の森脇 玄堂が、「上る者は目標を語るが、下る者は景色を語る」と述べた記録が残るとされるが、初出資料はの火災で一部失われている[3]。
同会にはの技師、俳人、写真師が混在しており、彼らは勾配標識の読み方を俳句の切れ字になぞらえて論じた。特に方面の急勾配を体験した際、参加者の一人が「車輪が自ら考えているようだ」と書き残し、これが後の基本命題になったとされる。
大衆化[編集]
期に入ると、クダリズムはの普及とともに一般化した。『旅と勾配』誌はからにかけて連載「下りの倫理」を掲載し、読者投稿欄には「上りで疲れた心を下りで整える」という意見が多数寄せられた[4]。
一方で、内部では「乗客の目的地ではなく、車内での心理状態を基準に旅を評価するのは危険である」との批判もあった。ただし、同院が発行した内部報告書には、試験運行中の発車時に車掌3名が同時に車窓へ見入ったという逸話が記されており、制度側も完全には否定していなかったとみられる。
戦後の再解釈[編集]
のクダリズムは、鉄道そのものよりも都市間移動の精神論として再定義された。にの学生サークル「降線研究会」が発表した『下り坂の国文学』は、文学作品における下降モチーフを鉄道路線図と重ね合わせる試みとして注目された。
なお、40年代にはを中心に「下り専用旅行」が流行したとされる。これは、往路より復路に費用をかけることで旅の満足度を高める方法で、実際には宿泊費の節約策から始まったとも、逆に高級旅館の販促から始まったとも言われている。
思想と実践[編集]
クダリズムの基本は、「下りを受け身ではなく選択として扱う」ことにある。たとえば発行きの列車を愛好する者は、発車時刻よりも到着後の身体感覚を重視し、到着直後に立ち食いそばを食べることで思想的完成をみるとされる。
実践派は、列車の右席か左席かという問題をきわめて細かく論じた。山側車窓であるか海側車窓であるかによって「下りの意味」が異なるというのである。また、弁当は上段から食べるべきか下段から食べるべきかで派閥が分かれ、の「箱根下り論争」では、参加者42名中17名が箸の運び方まで採点されたと記録されている[5]。
文化的影響[編集]
クダリズムは、鉄道趣味の領域を越えて、広告、舞台芸術、観光政策にも影響を与えたとされる。の某温泉地では、坂道の多い街路を「クダリズム回廊」として整備し、案内板に勾配角度を記したところ、年間来訪者が約12万人増加したという[6]。
また、の深夜番組『車窓の余白』では、列車が坂を下る際の振動をBGM化する企画が行われた。視聴者アンケートでは「眠気が増すが心は整う」との回答が最も多く、番組終了後も録音テープだけが中古市場で高値をつけた。
批判と論争[編集]
クダリズムには、実用性のなさを指摘する批判が根強い。とりわけの一部技師は、勾配に対する過剰な情緒化が安全意識を曇らせると警告した。しかし、反対派の報告書にも「下り坂の駅弁はなぜか売れる」との記述があり、完全な否定には至らなかった。
さらに、にの研究会が発表した調査では、クダリズム愛好者の68%が「旅の計画を立てる際、登りより下りの時刻表を先に見る」と回答した一方、19%は「そもそも上り列車を復路と認識していない」と答えた。調査設計自体に疑義があるとの指摘もあるが、質問票が1ページ目から斜めに印刷されていたため、回答傾向に影響した可能性がある。
代表的人物[編集]
森脇 玄堂は、クダリズムの「祖」とされる人物である。彼は在学中に地形学と和歌を併修し、卒業論文『勾配と哀歓』で注目されたが、実際には提出前夜にの蕎麦屋で大半を書き上げたという逸話が残る。
ほかに、写真師の柳瀬 恒一は下り列車の窓面反射を撮影し続け、の個展「降りる光」で名を上げた。彼の作品は一見ただのブレ写真であるが、よく見るとすべての被写体が微妙に上向きであり、クダリズムの逆説を示していると解釈される[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 森脇玄堂『下行速度論』帝都交通文化社, 1902.
- ^ 柳瀬 恒一『降りる光: 鉄道写真の審美』東京美術研究会, 1913.
- ^ 佐伯 達也「クダリズムの成立と都市旅情」『交通民俗学』Vol. 8, No. 2, pp. 41-67, 1964.
- ^ 河合 みどり「下り線の倫理と身体感覚」『記号と移動』第12巻第1号, pp. 5-29, 1978.
- ^ H. Thornton, “Kudarism and the Aesthetics of Descent,” Journal of Rail Culture, Vol. 3, No. 1, pp. 11-39, 1987.
- ^ 山城 由紀子『坂と列車の文化史』港湾新書, 1991.
- ^ M. Feldman, “The Downward Turn in Japanese Travel Writing,” Studies in Transit Aesthetics, Vol. 15, No. 4, pp. 201-228, 2004.
- ^ 大島 省三「箱根下り論争の再検討」『交通史料研究』第19巻第3号, pp. 73-96, 2009.
- ^ 川端 玲奈『下り坂の国文学』青磁社, 2011.
- ^ P. Nakamura, “Why Passengers Prefer the Return Slope,” Proceedings of the Society for Imaginary Mobility, Vol. 2, No. 3, pp. 88-104, 2018.
外部リンク
- 日本下行文化研究所
- 下り線美学アーカイブ
- クダリズム資料館
- 旅と勾配デジタル博物誌
- 降順趣味連盟