下痢便 THE RIDE
| 名称 | 下痢便 THE RIDE |
|---|---|
| 分類 | 都市型アトラクション / 体感装置 |
| 初公開 | 1988年 |
| 提唱者 | 田島 恒一郎 |
| 開発拠点 | 東京都江東区辰巳臨港地区 |
| 方式 | 低速旋回・水流音響・座席振動 |
| 利用者数 | 累計約42万8,000人(2016年時点) |
| 運営 | 湾岸体感文化研究会 |
| 関連施設 | 旧東京港湾倉庫第7号棟 |
下痢便 THE RIDE(げりべん ザ ライド)は、後半にの倉庫街で成立したとされる、低重心連結車両を用いた都市型アトラクションである。排泄物の流れを模した螺旋走行と、擬似的な加速度演出を組み合わせた体験装置として知られる[1]。
概要[編集]
下痢便 THE RIDEは、の都市余暇文化において特異な位置を占める体験型装置である。外見は簡素なに近いが、内部では座席が連結式レールの上を不規則に揺れ、排水路の流れを模した照明と、胃腸音を加工した低周波音が同期するよう設計されていたとされる。
名称は俗語的であるが、当初は湾岸体感文化研究会の内部呼称にすぎず、のちにイベント広告で半ば自虐的に採用された。もっとも、来場者の間では「体験後に妙に達成感がある」「説明書の注意書きだけやたら丁寧」といった評判が広まり、1980年代末から1990年代初頭にかけて若年層の好奇心を集めた[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源については、にの試験輸送区画で行われた「揺動式避難導線実験」に求める説が有力である。実験責任者であった田島 恒一郎は、災害時の混雑緩和策として、一定の不快感を与えることで人流を逆に制御できるのではないかと考えたという。
田島は当時関連の外郭委員会に出入りしており、廃棄予定の輸送台車4両と、内の冷蔵倉庫から譲渡された防音材を用いて試作機を制作した。なお、試作1号機は加減速の癖が強すぎたため、担当技師の記録では「乗車というより腸管の内部を通過する気分」と形容されている[3]。
普及[編集]
、辰巳臨港地区で開催された「湾岸生活技術博」において初の一般公開が行われた。初日だけで推定3,600人が訪れ、係員は安全確認よりも「どの程度で笑い始めるか」を観察していたとされる。展示ブースでは、系の音響協力を受けた低音再生装置が採用され、通過時の震動が評判を呼んだ。
には内の臨時会場にも巡回し、地方紙が「不潔さの表象を娯楽化した新しい都市民俗」と評した。これを契機に模倣施設が各地に現れたが、実際に運用に耐えたのは4施設にとどまり、うち2施設は雨天時に演出が過剰になりすぎて休止したという。
制度化と終息[編集]
、運営側は安全基準を明文化し、乗車前に3分間の説明映像と、胃腸に関する自己申告票の記入を義務化した。これは当時としては異例であり、利用者の9割が内容を読まずに署名したが、逆に「読むと怖いのに乗ると笑える」という評価につながった。
しかし、後半にはテーマパーク型施設の大型化が進み、下痢便 THE RIDEのような小規模装置は採算面で不利になった。最終的に、旧東京港湾倉庫第7号棟の閉鎖に伴い常設運用は終了した。ただし、記念上映会や同人誌即売会向けの短縮版は断続的に実施され、現在も一部愛好家の間で伝承されている。
構造と演出[編集]
装置は3両編成の低重心車体からなり、先頭車両には「導入」、中間車両には「滞留」、後尾車両には「解放」と呼ばれる振動区画が設けられていた。乗客は片側18名、計54名まで収容可能で、全行程は平均4分40秒、最長で6分12秒であった[4]。
演出の要は、座席下の偏心モーターではなく、わずかに遅延する水音の再生であるとされる。波形は実際の排水管を測定したものを基にしたが、最終的には編集段階で「やや品のない間」を残すよう調整されたという。結果として、乗車体験は不快感に近い緊張と、直後に訪れる過剰な解放感の落差で構成されていた。
また、案内役のアナウンスは女性声優と男性職員の掛け合いで録音され、毎回最後に「本日の流量は安定しています」と締めくくられた。この一文は後年、のレトリック研究で例示されることがあり、意味の空白を制度的安心感で埋める表現として分析されている。
文化的影響[編集]
下痢便 THE RIDEは、1990年代の若者文化において、恥ずかしさの共有を娯楽へ変換する装置として受容された。とりわけ内の専門学校や美術系サークルでは、体験後の感想をあえて下品に言い換える遊びが流行し、これがいわゆる「脱臭系メタユーモア」の一形態とみなされている。
一方で、の学生誌が行ったアンケートでは、回答者の28.4%が「なぜか家族に説明しづらい」と答えており、公共空間における身体性の扱いをめぐる議論も生んだ。なお、1996年の時点で関連グッズは17種類確認されており、そのうち最も売れたのは便器形のペーパーウェイトであった。
さらに、地方イベントにおいては、地域振興の文脈で「不快を観光資源化する試み」として紹介されることがあった。これはの事業報告書にも断片的に言及があるとされるが、出典の所在が曖昧であるため要出典とされている。
技術的評価[編集]
技術面では、当時の簡易遊具としては異例の振動制御精度を持っていたと評価される。設計に関与したの下請け技師の回想によれば、試作期には重心の偏りを0.8ミリ単位で調整し、乗車時の左右ブレを「笑いが出るが酔わない」範囲に収めることが目標とされた。
また、車体外装の塗装は排水溝の湿潤感を連想させるよう艶を抑えた黒緑色で統一され、照明には製の旧型蛍光灯が用いられた。これにより、昼夜を問わず車内が微妙に病院の廊下めいた印象を帯びることが、かえって没入感を高めたとされる。
ただし、冷却系統の弱さから夏季は故障率が高く、1992年8月には稼働停止が11日間に及んだ記録がある。この期間、近隣の事務所ビルでは「乗れないのに臭いだけする」と苦情が寄せられ、運営は消臭剤を大量散布して対応した。
批判と論争[編集]
批判の中心は、名称の過激さと身体イメージの露骨さにあった。特に系の教育番組に出演した衛生学者が「名称が先に立ち、内容の説明責任が後退している」と発言し、これに対して擁護派は「むしろ説明責任を過剰に可視化した稀有な事例」と反論した。
また、には地域住民の一部が「倉庫街の再開発を妨げる」として苦情を申し立てたが、保存運動側は「都市の恥部を記録する装置」として文化財的価値を主張した。結果として、行政は中立的立場を保ちつつも、夜間運転の自粛を要請するにとどまった。
一方で、一部の批評家は、下痢便 THE RIDEをの自己嫌悪が生んだ象徴として高く評価した。これに対し運営側は「深読みしすぎである」とコメントしており、両者の温度差そのものが本装置の魅力を物語っているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田島 恒一郎『湾岸体感装置試験報告書』湾岸体感文化研究会出版部, 1989.
- ^ 佐伯 みどり『都市の不快と娯楽』青土社, 1997.
- ^ Harrison, Peter. "Sewer Aesthetics and Motion Design." Journal of Urban Leisure Studies, Vol. 12, No. 3, 2001, pp. 44-67.
- ^ 中村 隆志『臨海倉庫街の余暇文化』法政大学出版局, 2004.
- ^ Thornton, Margaret A. "Low-Gravity Humor in East Asian Ride Systems." Recreation Engineering Review, Vol. 8, No. 1, 1998, pp. 5-29.
- ^ 渡辺 精一郎『排水音響の民俗学的研究』岩波書店, 2003.
- ^ Kim, Jae-woo. "Public Discomfort as Social Glue: Notes on Tokyo Bay Exhibitions." Asian Journal of Speculative Heritage, Vol. 5, No. 2, 2010, pp. 101-118.
- ^ 小野寺 圭介『下痢便 THE RIDE 公式記録集』湾岸文化資料室, 2011.
- ^ 松浦 直美『体感装置の倫理と笑い』ミネルヴァ書房, 2015.
- ^ Anderson, Claire. "The Ride That Would Not Flush." International Review of Invented Attractions, Vol. 1, No. 1, 2006, pp. 1-14.
外部リンク
- 湾岸体感文化アーカイブ
- 旧東京港湾倉庫資料室
- 都市不快感研究センター
- 体験装置年鑑オンライン
- 辰巳臨港レトロ観光協会