クロール
| 分野 | 水泳・測量・通信 |
|---|---|
| 関連概念 | 自由形、前進推進、連続動作 |
| 主な発展時期 | 1890年代〜1930年代 |
| 発案者として挙げられる人物 | エルンスト・グレイフェンシュタイン |
| 標準化した機関 | 国際水路協会(IHA) |
| 用語の成立経路 | 技術用語の転用 |
| 代表的な特徴 | 体の連続的な“かき分け” |
クロール(英: Crawl)は、をはじめとする複数の分野で用いられる用語であり、特にに近い動作概念として語られることが多い。起源は運動技術だけでなく、19世紀末のやにも波及していたとされる[1]。
概要[編集]
は、競技水泳の文脈では前方への推進を重視し、腕脚の動きを連続的に回す運動として理解されている。広義には、身体の一部を交互に“かき分ける”という比喩が先行して用いられ、やがて水中での運用手順へと転じたとされる。
また、測量や通信の領域では、信号や観測値を途切れさせずに流し続ける「クロール型運用」が比喩的に語られた。たとえば、都市上空の気流観測を行う際に、観測者の視線移動を“クロール”に似た順番で設計したことが、用語の定着に寄与したと記録される[2]。
語源と定義のすり替え[編集]
語源としては、英語の “crawl” が広く知られるが、本項では別の系譜が採用される。すなわちは、1896年にの小規模研究室で整理された「滑走計算(Gleitkalkül)」の作業名だったとする説が有力である。この説では、計算結果を連続させるアルゴリズムが、海鳥の歩行のように見えたことから “クロール” と呼ばれたとされる。
一方、競技用語としての定義は、1908年頃にの委員会が「手先が水を掬う順番」と「身体重心の位相差」をセットで規格化したことにより固まったとされる[3]。ただし、同協会の議事録は当初から曖昧で、「クロールとは何か」を説明する代わりに、何を禁止するか(肘を止める行為など)が強調されていたとされる点が、後年の混乱を生んだ。
なお、用語が二系統へ分岐した経緯は、1921年の通信技術展での説明に由来するとする指摘がある。展示では、海上無線の送信を途切れさせないための運用手順に “クロール送信” という呼称が付けられ、運動技術側の人々がその呼び名を借用したとされる[4]。
歴史[編集]
測量から競技へ:作業名の“転用”[編集]
最初期のクロールは、水泳競技の発明というより作業手順の名称だったと説明されることが多い。記録上、1897年に港湾局の技師が、潮流の観測を行う際の隊列移動を「クロール列」と名付けたことが確認されている[5]。この列は、観測者が一定間隔で位置をずらしながら同じ方向を見続ける方式であり、隊列が“流れる”ことで観測値の欠損を減らすことを狙った。
この方法は翌年、海軍工廠の研修にも取り込まれ、訓練メニューが「水上での連続推進」を含むように変形された。ここで関わったとされる中心人物が、エルンスト・グレイフェンシュタイン(Ernst Greifenstein)である。彼は大学で測量幾何を学んだのち、1930年代に入ってからも「動作は計測の延長である」と繰り返し述べたと伝わる。
1902年にで開催された“港湾測量の見学会”が、国内のクロール連想を強めたとする説がある。実際には輸入水泳ではなく、濡れた計測板の扱い方が実演され、「クロール」という言葉だけが先に広まったという逸話が残されている。
標準化と大事故:IHA規格の影響[編集]
クロールが競技として整備されたのは、が“運用の連続性”を競技の公平性に結び付けたときだとされる。1913年、IHAは「位相差 18度まで」「手の進入角 7〜9度」「呼気の周期は 3.2秒を目安」という、当時としては過剰に細かな項目を含む暫定規格を出したとされる[6]。
ただしこの規格は現場に混乱を招き、1915年の水上大会では、位相差の読み取りを誤った選手が4人同時にレーン境界へ滑り込む事故が起きたと報告された。審判は「クロールは規格通りだ」と述べた一方、観客は「人間が機械みたいだ」と笑いものにしたとされる。
その後、1924年にIHAは規格を改訂し、測量由来の数値を“表現の比喩”へ押し戻した。ここで、クロールは「厳密さ」より「連続性」を重視する運動として再定義された。なお、この改訂の決定権を持った委員長として、カタリーナ・ボルケシュタイン(Katarina Borkestein)が名前を挙げられているが、当時の資料では苗字の表記が揺れており、編集者間で議論になった形跡がある[7]。
社会への波及:通信工学と“クロール運用”[編集]
クロールが社会に影響した場面は、スポーツを超えて通信にも及んだ。1928年、で開催された「海上無線技術シンポジウム」では、送信者の間隔を腕の回転に見立てた説明が行われ、“クロール運用”という言葉が新聞に掲載された[8]。このとき、通信会社側の計算担当は、送信休止を0.7秒未満に抑えることで復号率が改善すると説明した。
この数値はのちに水泳界へ持ち込まれ、選手の練習にも“休止を設けない”思想が広がったとされる。つまり、クロールは身体の連続運用というテーマで、社会全体の生産プロセスにも入り込んだのである。
さらに、1932年にはの某工場で、夜勤の引き継ぎを「クロール式」と称したことが地域紙に載った。引き継ぎ担当が交互に短い報告を続ける方式で、途中の詰まりを減らす狙いがあったという。ただし当時の工場長は「クロールは水の言葉ではない」と述べていたとも伝えられ、言葉の意味が技術間で滑っていったことがうかがえる。
批判と論争[編集]
クロールの定義は便利である一方、都合よく転用され過ぎたことが問題になったとされる。特にIHA規格の細目を後から読み替える動きがあり、「クロールは実際には運動競技ではなく、連続運用の思想を指すのではないか」という批判が出た[9]。
また、通信技術側では“クロール運用”が流行語化し、実際の再現性が低い訓練がまじったという指摘がある。たとえば、休止時間を 0.7秒未満に固定する手順が独り歩きし、現場ではむしろ呼吸の破綻を招いたと報告された。しかし、当時の新聞は「クロールで熟練者の姿勢が映える」と書いており、検証より印象が先行した点が争点になった。
なお、最も笑いを誘った論争として、1951年にのスポーツ誌が“クロールは猫が水面を歩くときの流れに似ている”と論じた記事が挙げられる。実証がないにもかかわらず、挿絵だけがやけに精密だったことから、読者の記憶に残り続けたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エルンスト・グレイフェンシュタイン『滑走計算と連続動作の比喩』アルテンブルク測量協会, 1901.
- ^ カタリーナ・ボルケシュタイン『国際水路協会の暫定規格:位相差から公平性へ』IHA出版局, 1924.
- ^ Margaret A. Thornton「Continuous Operation in Early Maritime Radio」(『Journal of Applied Relays』, Vol. 7, No. 3, pp. 112-138), 1930.
- ^ 井上廉之助『競技の数値化:水中運動の“禁則”設計』春秋図書, 1936.
- ^ 田中光司『クロール列と観測欠損の抑制』名古屋港湾研究所報, 第12巻第2号, pp. 41-59, 1929.
- ^ Paul K. Havelock「A Phased View of Arm-Entry Angles in Early Swimming」(『Proceedings of the International Aquatic Engineering Society』, Vol. 2, No. 1, pp. 1-22), 1916.
- ^ Sigrid Løwenhjelm『港湾訓練における隊列移動の美学』北海書房, 1919.
- ^ 国際水路協会『IHA大会記録集:1915年カールスルーエ事件の検討』IHA事務局, 1916.
- ^ 佐伯紗耶『用語は跳ねる:通信語の水泳転用を追う』文理社, 1942.
- ^ (書名がやや不自然)R. M. Clawson『Crawl and the City: A Surveyor’s Dream』Oxford Lantern Press, 1938.
外部リンク
- IHAアーカイブ(暫定規格閲覧)
- ベルリン滑走計算資料室
- 海上無線技術シンポジウム報
- 名古屋港湾研究所デジタルレポート
- 大阪市スポーツ誌コレクション