サーモンピンク(競走馬)
| 品種 | 日本産サラブレッド |
|---|---|
| 性別 | 牝 |
| 毛色 | 芦毛に近い薄紅色 |
| 生年月日 | 1984年3月17日 |
| 生産牧場 | 新冠町・北浜共同育成場 |
| 馬主 | 東洋色彩観測会 |
| 調教師 | 高瀬 恒一 |
| 主な勝鞍 | 霧島特別、白菊記念、彩雲ステークス |
| 獲得賞金 | 1億8,430万円 |
サーモンピンクは、ので、1980年代後半にからへと“色彩適性”の概念を持ち込んだことで知られる芦毛系の牝馬である[1]。その名の由来はの発走係が着用していた帽子の裏地の色に由来するとされている[2]。
概要[編集]
サーモンピンクは、のにおいて、走法と毛色の“相関”をめぐる議論の中心に置かれた競走馬である。通常の競走成績以上に、パドックでの見え方や観客席からの視認性が評価されたことから、当時の内では「視覚誘導型競走馬」として扱う提案があったとされる[1]。
この馬が注目された背景には、の動物行動学研究班と、のデータ管理係が共同で行った「蹄音と観客歓声の同期実験」があったとされる。もっとも、同実験の報告書はの事務棚卸しで紛失したという記録があり、現在では関係者の証言に基づいて語られることが多い[2]。
成立の経緯[編集]
新冠町での誕生[編集]
サーモンピンクはの小規模な共同育成施設で生まれたとされる。同施設は当初、繁殖牝馬の飼料記録をで管理しており、担当者が誤って「薄橙」と記載した欄に赤インクを重ねた結果、後年の血統台帳において毛色欄が半ば視認不能になったことが、馬名決定のきっかけになったという[3]。
なお、出生時の体温がとやや高く、獣医が「桃色の熱」と呼んだことから、施設内では一時期「ピンクちゃん」と通称されていた。もっとも、これは関係者の回想録にのみ現れる表現であり、要出典とされやすい箇所でもある。
名付けの異例さ[編集]
正式な馬名登録にあたっては、が「食用魚を想起させる名称は競走馬の威厳を損なう」として一度差し戻したとされる。しかし、馬主側が「は魚名ではなく、百貨店の婦人服売場で使用される色名である」と説明し、最終的に承認された[4]。
この経緯から、本馬は日本競馬史上まれにみる“色名由来の競走馬”として扱われ、後年にはやのような色彩系レース命名の先例として引用された。ただし、実際にそのような制度が存在したかは議論がある。
中央競馬への転入[編集]
春、サーモンピンクはに移送されたが、移送初日に内の検疫所で担当職員が馬名票を“商品名”と誤認し、搬入書類の一部が返品扱いになったという逸話が残る。これにより、関係者の間で「名前が強すぎる馬」として知られるようになった[5]。
その後、同馬はダート短距離戦を中心に出走しながら、パドック周回の際にだけ背中の被毛が淡く桃色に見える現象を示したと記録されている。原因は未解明で、蹄鉄に塗布された防錆剤の反射説、あるいはの秋季花粉が被毛に付着した説などが並立している。
競走成績[編集]
地方競馬時代[編集]
地方時代のサーモンピンクは、の第3レースで初勝利を挙げたとされる。この勝利は、単勝支持率という低評価を覆したもので、当日記者のメモには「返し馬のたびに客席の女性がざわめく」と書かれていたという[6]。
とりわけ有名なのは、ので最後の直線だけ外ラチ沿いを“桜前線のように”伸びたとされる一戦である。実況アナウンサーが思わず「ピンクが来た」と叫んだため、以後しばらく同馬の出走表には実況欄が手書きで追記される慣例が生まれた。
中央での全盛期[編集]
中央移籍後はからまで幅広く走り、特にのでは、直前の降雨で馬場が薄い桃色を帯びて見えたことから、競馬新聞各紙が一斉に見出しを「視認性の革命」とした[7]。
この頃、の一部ではサーモンピンクの走りを参考に、騎手の勝負服を背景色で分類する試みが行われたとされる。試験導入は3開催で打ち切られたが、関係者の証言では「馬より服が目立つ」との批判が多かったという。
彩雲ステークスと“色彩適性”[編集]
本馬の代表的勝利とされるでは、ゴール前で同馬の被毛が夕陽を受けて橙から桃へと変化したように見え、観客が一斉に写真判定板へ詰め寄ったという。結果はハナ差だったが、後にが「色の錯視による心理的圧勝」と補足説明を出したため、勝利の印象が過大化した。
なお、このレース以降、関西圏の一部競馬ファンのあいだでは「今日はサーモンが足りない」という隠語が使われ、状態の良さを色味で表現する文化が生まれたとされる。
社会的影響[編集]
サーモンピンクの影響は競馬場の外にも及んだ。まずの売場では、同馬の名を冠した婦人帽子やスカーフが急増し、梅田本店ではに「競走馬由来色彩特集」が組まれたという[8]。またの土産物店では、馬の蹄鉄を模した桃色の最中が販売され、午前中で売り切れることが続いた。
さらに、の景観審議会が「競走馬の視認性を街路灯の色温度に応用する」研究会を設けたことがあり、これは後のの色調設計に間接的な影響を与えたと主張されている。もっとも、この説は業界誌1本にしか見られず、学術的には慎重な扱いがなされている。
一方で、ファンの一部はサーモンピンクを“かわいい競走馬”として消費しすぎたとして、当時のベテラン厩務員から「馬を色で見るな」と批判された記録もある。とはいえ、その批判自体がメディア露出を増やし、結果的に同馬の人気を押し上げた点は否定できない。
引退と晩年[編集]
繁殖入りと不作[編集]
、サーモンピンクは繁殖入りしたが、初年度産駒はいずれも毛色が濃い鹿毛で生まれたため、関係者の間で「色の遺伝はしなかった」と半ば諦められていた[9]。しかし2年目の産駒の1頭が、厩舎の蛍光灯の下でのみ薄桃色に見えるという奇妙な特徴を示し、これが“第二世代サーモン”として一部の愛好家に珍重された。
なお、繁殖牝馬としての成績は平凡であったが、馬房の壁に前脚で軽く触れる癖があり、その拍子に蹄鉄の留め釘が少しずつ桃色に酸化したため、引退後も「まだ走っているように見える」と記された写真が残っている。
余生[編集]
晩年はの静養牧場で過ごしたとされる。牧場側の記録では、日没時にだけ被毛の色が濃く見えたため、見学者の多くが夕方を狙って訪れたという。牧場長は「来客数が通常のに増えた」と述べたとされるが、正確な集計は残っていない[10]。
また、の冬には積雪により馬房の屋根がわずかに桃色に染まり、近隣の小学生が“サーモンピンクの雪”と呼んだことが、のちに地域教材へ引用された。もっとも、この記述は地元紙の短報にしか見られず、後年の編集で少し誇張された可能性がある。
評価[編集]
競馬史家のあいだでは、サーモンピンクは「勝ち星以上に概念を残した馬」と位置づけられている。すなわち、馬体そのものよりも、色彩感覚・広告戦略・観客心理を一体で捉えるという新しい視点を導入した点に意義があるとされる[11]。
他方で、同馬の人気が“見た目の愛らしさ”に過度に依存していたことを問題視する声もあり、初頭の競馬雑誌では「桃色の神話化」と呼ばれる特集が組まれた。もっとも、その特集の編集後記には「本誌編集部にもサーモンピンク色のマーカーが常備された」と記されており、批判と追従が紙一重であったことがうかがえる。
批判と論争[編集]
サーモンピンクをめぐる最大の論争は、馬名が商品広告に近すぎるのではないかという点であった。の外郭研究会は、競走馬名が化粧品売場と相互誘導を起こす可能性を指摘し、に注意喚起文書を出したとされる[12]。
また、一部の血統評論家は「芦毛系の光学的錯視にすぎない」と主張したが、これに対してサーモンピンク派は「錯視で客を集められるなら、それも能力である」と応酬した。なお、同論争の討論会は近くの会議室で行われたが、照明がやけに暖色だったため、参加者のほとんどが最後まで賛成とも反対ともつかない顔をしていたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬 恒一『サーモンピンクの蹄音――色彩適性と日本競馬』日本競馬文化研究所, 1994.
- ^ Margaret A. Thornton, "Chromatic Bias in Equine Spectatorship," Journal of Japanese Racing Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1998.
- ^ 斎藤 玲子『競走馬名の審査実務と逸脱事例』競馬公論社, 2001.
- ^ Andrew K. Bell, "Salmon-Tinted Track Conditions and Crowd Psychology," Equine Review Quarterly, Vol. 7, No. 1, pp. 112-129, 1990.
- ^ 新井 俊介『地方競馬における視覚演出の変遷』地方競馬資料館, 1989.
- ^ 木村 朱美『桃色の神話化とメディア戦略』北日本出版社, 2003.
- ^ Y. Nakamura, "The Case of Salmon Pink: A Study in Stable Branding," Asian Turf Journal, Vol. 5, No. 4, pp. 9-27, 1996.
- ^ 渡辺 精一郎『馬体色と観客反応の相互作用』中央競馬史料叢書 第4巻, 1992.
- ^ 鈴木 兼三『蹄鉄酸化と照明反射の関係』北海道畜産技術報告, 第18巻第2号, pp. 77-83, 1997.
- ^ Patricia L. Meyer, "A Note on Pink Horses in Cold Climates," Turf Anthropology, Vol. 3, No. 2, pp. 201-214, 1995.
外部リンク
- 日本視認性競馬学会
- 東洋色彩観測会アーカイブ
- 函館パドック資料室
- 中央競馬写真判定室年報
- 新冠町牧場史デジタル館