セクがりましょう
| 名称 | セクがりましょう |
|---|---|
| 読み | せくがりましょう |
| 別名 | 促進礼法、急進合図 |
| 起源 | 1908年頃の東京市下請工事現場 |
| 主な適用分野 | 建設、鉄道、役所の朝礼 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎と甲斐原道雄 |
| 流行期 | 1912年 - 1934年 |
| 特徴 | 一歩前進しながら短句を唱える |
| 関連機関 | 鉄道院、東京市営土木課 |
セクがりましょうとは、末期ので発生したとされる、建築現場における合図と姿勢確認を兼ねた作業慣行である。のちにとの一部で採用され、集団行動の速度と統率を測る半儀礼的な手順として知られるようになった[1]。
概要[編集]
セクがりましょうは、一定の間隔で身体を前傾させ、周囲の者に進行の意思を示すための作法である。形式上は掛け声の一種であるが、実際には内の現場監督が遅延を避けるために用いた「促しの儀礼」とみなされている。
語形は「急ぐ」や「促す」を意味する職工語の「セク」と、依頼表現の「がりましょう」が結合したものとされる。ただし、初期資料では「堰がりましょう」「責ぐりましょう」とも記されており、由来については今なお議論がある[2]。
歴史[編集]
成立[編集]
1908年、の高架橋補修工事において、現場主任の渡辺精一郎が「作業員が足を止めるたびに全体の士気が落ちる」として考案したとされる。渡辺は土木局の委託を受け、1日あたり平均17回の停滞が発生していた現場で、前進と発声を同時に行う練習を導入した[3]。
最初は「せく、がり、ましょう」の三拍子であったが、発声に時間がかかり過ぎるため、翌月には2拍に短縮された。なお、最初の指導書には「膝を15度曲げ、視線を2メートル先に置くこと」とあり、後年の研究者からは「妙に体育学的である」と評されている。
普及[編集]
1912年になるとが駅構内の整列訓練に転用し、東京-間の工事区間で採用率が38%に達したとされる。これにより、作業員が単に歩くのではなく「歩きながら進捗を共有する」という独特の文化が形成された。
また、の倉庫業者が「荷役のたびに口頭確認を減らせる」として注目し、1916年には関西圏で独自の短縮形「セガマシ」が生まれた。これが後の標準化論争を招き、とのあいだで「どちらが正統か」をめぐる細かな対立が起きた[4]。
衰退[編集]
1930年代後半、機械化の進展とともに、合図を声ではなくベルや旗で行う方式が主流となり、セクがりましょうは急速に姿を消した。もっとも、12年の役所文書には、なおも庁舎内で「書類を持って半歩前へ出る」形式が残っていたことが示されている。
戦後には、地方自治体の朝礼や運動会の入場練習に断片的に残ったが、1970年代以降は民俗行為として記録されるにとどまった。ただし、の一部の土木事務所では2004年時点でも年4回の「伝統確認日」に実施されていたとの証言がある。
作法[編集]
セクがりましょうの基本は、右足を半歩前に出し、肩をやや上げ、息を短く吸ってから「セク」と発声することである。続けて同伴者が「がりましょう」と応じるが、現場によっては「参りましょう」「進みましょう」などの変種があった。
一方で、熟練者は声を出さずに口だけ動かす「無声セク」を用いたとされ、雨天時や騒音の大きい区画で重宝された。これが後にの市場関係者に伝わり、荷車を押す際の定型動作として再解釈されたという。
社会的影響[編集]
セクがりましょうは、単なる掛け声を超えて、遅延を恥とみなす都市労働倫理の象徴となった。1920年代のでは、始業時にこれを唱和する部署があり、書類決裁の平均所要時間が12分短縮されたとされる[5]。
また、学校教育においては「協調と速度」を教える教材として引用され、の体操教本に似た形式で取り入れられた。もっとも、当時の教員の一部からは「児童が歩幅ばかり気にして文章を読まなくなる」との批判もあり、教育効果については評価が割れていた。
都市文化への波及も大きく、駅の乗り換え案内や工場内放送の抑揚にまで影響したとする説がある。特にの貨物ヤードでは、笛の合図を「セク」の二音に合わせる調整が行われ、結果として職員の歩行速度が平均で7.4%上昇したという記録が残るが、計測方法には要出典の余地がある。
批判と論争[編集]
批判の中心は、セクがりましょうが「促し」を名目に過度な同調圧力を生んだ点にあった。とくに期の労働運動では、労務管理側がこれを用いて休憩の申し出を抑制したとする告発があり、労働者側は「前に出ることを強制する思想」として反発した[6]。
また、言語学者の一部は、語尾の「ましょう」が本来の依頼ではなく命令化していることに注目し、「丁寧語の暴走」と評した。これに対し、擁護派は「礼儀を保ったまま速度を上げる点にこそ美がある」と主張し、の講堂で3時間に及ぶ公開討論が行われたという。
なお、1932年にが発した通達では、交通整理の現場での過剰な唱和が歩行者の混乱を招くとして、1回の交差点での使用回数を5回以内に制限した。これは実質的な初の規制であり、同時に流行の終息を早めたと考えられている。
再評価[編集]
1980年代以降、民俗学とパフォーマンス研究の双方から再評価が進んだ。特にの調査班は、地方の倉庫、旧官庁、学校の体育倉庫に残る唱和記録を収集し、セクがりましょうを「近代日本における集団加速の儀礼」と位置づけた[7]。
21世紀には、企業研修でこれを引用する事例も見られたが、実際には名称だけを借りた簡略版であることが多い。2021年にはの物流会社が新人研修に導入し、1日で離脱者が2名出た一方、部署内の会話量は18%増加したという。もっとも、研修担当者は「成果があったのか、疲れただけなのか判別しにくい」と述べている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『土木現場における促進礼法の研究』東京市工務研究会, 1913.
- ^ 甲斐原道雄「『セク』語の語源再考」『職工言語学雑誌』第4巻第2号, 1921, pp. 14-29.
- ^ 山城八郎『都市工事と唱和規範』内務省出版局, 1927.
- ^ Margaret A. Thornton, "Forward Motion Rituals in Meiji Urban Works," Journal of Civic Kinetics, Vol. 8, No. 1, 1986, pp. 33-57.
- ^ 佐伯みどり「近代日本の加速儀礼と集団心理」『民俗と身体』第12巻第3号, 1994, pp. 102-119.
- ^ Edward L. Haskins, "A Note on Sekugarimashou and Bureaucratic Tempo," The East Asian Review of Protocol, Vol. 3, No. 4, 1978, pp. 201-215.
- ^ 東京民俗資料編纂室『東京市役所唱和記録集』都政資料刊行会, 1959.
- ^ 小笠原律子『無声合図の文化史』青葉社, 2008.
- ^ Philip J. Kershaw, "The Curious Case of the Two-Beat Courtesy," Proceedings of the Institute for Urban Folklore, Vol. 21, 2011, pp. 77-88.
- ^ 『セクがりましょう研究の手引き 令和版』国立民俗博物館資料部, 2022.
- ^ 中村照夫「『責ぐりましょう』表記の発生と官庁文書」『日本近代俗語研究』第9巻第1号, 1935, pp. 5-19.
外部リンク
- 国立民俗博物館デジタルアーカイブ
- 東京近代作法研究会
- 職工語史料室
- 都市儀礼研究フォーラム
- 近代唱和文化資料館