セクシーお姉さん事件違憲判決
| 名称 | セクシーお姉さん事件違憲判決 |
|---|---|
| 通称 | セク姉判決、S.O.判決 |
| 分野 | 憲法訴訟、広告規制 |
| 時期 | 1988年 - 1992年 |
| 係属裁判所 | 東京地方裁判所、東京高等裁判所、最高裁判所 |
| 争点 | 性的表現の許容範囲、地方条例の合憲性 |
| 主要当事者 | 南雲広告研究所、東京都中野区美化指導課 |
| 影響 | 屋外広告物規制の見直し、判例名の命名慣行の混乱 |
| 通説的評価 | 違憲審査の運用を過度に具体化した判例として知られる |
| 備考 | 記録媒体の誤読により判決要旨が拡散した |
セクシーお姉さん事件違憲判決(セクシーおねえさんじけんいけんはんけつ)とは、初期ので形成されたとされる、広告表現との境界をめぐる一連の判決群の通称である。通称は、当事者名を伏せたの報道資料において「セクシーなお姉さん」と誤記されたことに由来するとされる[1]。
概要[編集]
セクシーお姉さん事件違憲判決は、内の繁華街に掲示された女性広告看板をめぐり、の一部規定が第21条に違反するとされた事件群である。もっとも、実際には「お姉さん」そのものが争点であったわけではなく、看板に添えられた「午後7時以降は笑顔を省略」という文言の解釈が中心であったとされる。
この事件は、当初は単なる行政指導の不服申立てとして始まったが、途中での書記官が事件名の仮称欄に「セクシーなお姉さん事件」と入力したことから、報道各社がそのまま採用し、以後、判例名として半ば固定化したといわれる。なお、判決要旨の写しには赤ペンで「姉さんは主観」と書き込まれた版が残っているが、これは後年の編集ではないかとの指摘もある[2]。
成立の背景[編集]
後半、では商店街景観の統一を目的とした広告規制が各区で強化されていた。とりわけとでは、飲食店や写真館の屋外看板に対し、色彩・文字サイズ・人物写真の露出度まで細かく指導する運用が行われ、年間約3,200件の是正通知が出ていたとされる。
この運用のなかで、が制作した「セクシーお姉さんと一緒に学ぶ夜の節電講座」という啓発ポスターが、実際には節電の自治会募集広告であったにもかかわらず、人物写真のコントラストが強すぎるとして撤去対象になった。研究所側は、表現の趣旨を無視した過剰規制であるとして提訴し、これがのちに「セクシーお姉さん事件」と呼ばれるようになったのである。
事件の経過[編集]
第一審[編集]
は、看板中の人物画像が「地域社会に不必要な動揺を与える程度に装飾的である」として、条例適用をおおむね適法と判断した。ただし判決理由中では、裁判官が「お姉さんの存在自体は違法ではない」とわざわざ注記しており、これが傍聴席で小さな笑いを誘ったと伝えられる。
一方で、原告側が提出した証拠写真には、問題の看板の右下に猫のシールが貼られており、裁判所はこの点を「装飾性の自白」と受け止めたともされる。
控訴審[編集]
では、条例の文言「著しく眩惑的な色調」をめぐり、担当部会が約11時間にわたる合議を行った。最終的に、看板の色調そのものよりも、自治体側が示した見本帳が末期のパチンコ店広告と酷似していたことが問題視され、行政の裁量逸脱が認定された。
この段階で、報道機関は事件名を「セクシーお姉さん事件高裁判決」と表記し始めたが、編集部の見出し担当が字数を節約するために「セク姉判決」と略し、以後ネット上で定着したとされる。
最高裁判決[編集]
第三小法廷は、条例の一部について、基準が抽象的すぎて予測可能性を欠くとして違憲と判断した。もっとも、判決文の末尾には「なお、本件看板の肩幅比率については別論である」との一文があり、これが法律実務家の間で長く引用された。
判決当日は、法廷傍聴券を求める人がの外まで並び、法学部生のほか、広告代理店社員や商店街の看板職人も来場していたという。うち1名は、記念に持ち込んだ定規で判決要旨を測ろうとして退場を命じられた。
判決の内容[編集]
本件判決は、広告表現に対する規制がの正当性だけでなく、運用上の明確性を欠く場合には違憲となりうることを示したものとして整理されている。とりわけ、行政側が「健康的な華やかさ」と「過度な親しみやすさ」を同一の基準で処理していた点が、法的に不安定であるとされた。
また、判決理由中では、看板の人物表現に関して「社会通念上、写真のひざの角度まで規制根拠とするのは相当でない」との趣旨が述べられたと伝えられる。もっとも、この一節は後に判決要旨の要約者が勝手に脚注を付した可能性があり、学説上は今なお微妙な扱いである。
このように、本判決はを広く保護したというより、規制文言の雑さを叱った判決として理解されることが多い。なお、判決直後にが作成した内部メモには「次回からは“セクシー”を使わず“親しみやすい”で統一」とあるが、これはかえって文書の危うさを増したと評される。
社会的影響[編集]
本判決後、全国の自治体では屋外広告物条例の条文がやけに長文化し、色彩の項目だけでA4判3枚を要する例が続出した。とくにとでは、違憲回避のため「人物画像の顔面比率」「視線の先に信号機が写る場合の取扱い」まで規定され、行政実務が半ば迷走したといわれる。
一方で、広告業界は本件を逆手に取り、抽象的な規制を回避するために「お姉さん」ではなく「アシスタント」「ナビゲーター」「案内役」という語を大量投入するようになった。1991年頃には、駅前における「案内役」の登場率が前年比18.4%上昇したという業界紙の集計があるが、統計の取り方はかなり粗い。
また、本判決は法学教育にも影響し、やの憲法ゼミでは、違憲審査基準の説明例として「セク姉」を用いる講義が一時期流行した。教授の中には、判例名だけで学生が笑ってしまい、肝心の法理が頭に入らないとして使用を控える者もいたという。
批判と論争[編集]
批判の第一は、判決名が内容に比して過度に扇情的であるという点である。実務家の間では、事件名が先に独り歩きしたことで、後世の研究者が「性的表現の自由」を扱う重大判例だと誤認しやすくなったとの指摘がある。
第二に、判決文の引用がきわめて断片的で、要旨集によって結論が違って見える問題がある。特にの内部研修資料では違憲、の行政説明資料では合憲寄りとされる版が併存しており、同一事件が二つの顔を持つ珍しい例となった。
なお、1992年に出た再審請求では、看板のモデル本人が「私はお姉さんではなく、当時27歳だった」と陳述したため、そもそもの通称が不正確であったことが話題になった。ただし裁判所は、年齢の真偽よりも本件名がすでに社会的用語になっているとして、名称修正の必要はないとした。この判断は、判例名の固定化を促した一方で、命名の暴走として法学者の議論を呼んだ。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯隆一『都市看板規制と判例名の生成』法律文化社, 1994年.
- ^ 松浦由紀子『表現の自由と自治体条例』有斐閣, 1996年.
- ^ H. Thornton, "Decorative Speech and Municipal Restraint", Journal of Comparative Constitutional Studies, Vol. 12, No. 3, 1995, pp. 201-228.
- ^ 渡辺精一郎『景観行政の法と現実』第一法規, 1993年.
- ^ M. A. Kessler, "The Case of the Sexy Older Sister", American Review of Urban Law, Vol. 8, No. 1, 1994, pp. 44-67.
- ^ 『東京都迷惑広告抑制条例逐条解説』東京都総務局, 1990年.
- ^ 小林志津香『違憲判決はなぜ笑われるのか』三省堂, 1998年.
- ^ Nishimura, T., "Predictability in Aesthetic Regulation", Kyoto Law Quarterly, Vol. 5, No. 2, 1997, pp. 89-113.
- ^ 『セクシーお姉さん事件要旨集 第2版』中央司法資料館, 1992年.
- ^ 中野美術法研究会『看板・人物・肩幅比率の法史』みすず書房, 1999年.
外部リンク
- 日本判例アーカイブ・仮想版
- 霞が関法学資料室
- 都市広告規制研究会
- セク姉判決デジタル年鑑
- 自治体条例比較ポータル