タトロマンタ
| 名称 | タトロマンタ |
|---|---|
| 英語名 | Tatromanta |
| 分類 | 反射式測位・視界補正法 |
| 起源 | 1887年ごろ、ウィーン工科博物館付属の実験室 |
| 考案者 | ヨーゼフ・クラインフェルド教授 |
| 主な用途 | 霧中航行、展示物の位置補正、群衆誘導 |
| 普及期 | 1898年-1932年 |
| 中核装置 | 三脚式反照板と角度補償幕 |
| 日本での中心地 | 神奈川県横浜市と東京港湾部 |
タトロマンタ(英: Tatromanta)は、後半ので、の位置ずれを観測するために考案された反射式の測位技法である。のちにへ輸入され、の霧中航行、さらには都市の景観調整にまで応用されたとされる[1]。
概要[編集]
タトロマンタは、視覚的な基準点を意図的にずらし、そのずれ量を読んで対象の位置や進行方向を補正するための技法である。一般にはやの周辺技術として扱われるが、実際にはとの境界で育った、かなり特殊な知識体系である。
その名称は、当初はの霧を観る補助装置を指したの俗称だったものが、のちに理論化されて学術用語化したものとされる。なお、初期の文献には「tatro-manta」「T.M.法」「曼荼羅式反照」と表記の揺れがあり、研究者間でも定義が完全には一致していない[2]。
起源[編集]
ウィーンの実験劇場[編集]
タトロマンタの起源は、にの付属施設で行われた、薄布越しの照準実験に求められることが多い。ヨーゼフ・クラインフェルド教授は、の位置が数ミリずれるだけで観客の距離感が変化することに着目し、と布幕を組み合わせた簡易装置を作成したという。
この装置は、本来は実験参加者の目の錯覚を抑えるためのものだったが、逆に錯覚を利用して「見えている位置」と「実位置」の差を測る方法に転用された。教授の助手であったハインリヒ・マールは、装置の微妙な揺れを観測することで、霧中でも建物の輪郭を再構成できると記録しており、これが後年の理論の核になったとされる[3]。
名称の成立[編集]
「タトロマンタ」という語は、当初はの冬季観測隊が用いた符牒であったという説が有力である。霧の中で山稜を見失った際、隊員が布を高く掲げて方向を推定する所作を「マントのタトラ返し」と呼び、それが新聞記者によって逆転転写された結果、現在の名称になったとされる。
ただし、の『Nördliche Vermessungsblätter』誌には「Tatromantaは山岳信仰に由来する」とする寄稿もあり、起源については早い段階から説明が揺れていた。後年の研究では、学術用語というより、現場の職人言葉が官庁文書に採用された珍しい例として位置づけられている。
日本への伝播[編集]
横浜港での採用[編集]
日本への導入は末期、の濃霧対策調査に同行したの技手、佐伯房之助によるとされる。彼は、欧州視察の帰路で装置の縮小版を持ち帰り、港内の灯標配置の再検討に使ったという。
とりわけ周辺では、夜間に見える灯火の数をあえて減らし、残った光源の見え方から船の角度を判断する「減灯タトロマンタ」が試験運用された。もっとも、これにより船員の一部から「灯が少ないほど怖い」との苦情が出たため、実施は3週間で中止された[4]。
官庁技術への昇格[編集]
になると、臨時測位調査会がタトロマンタを正式に検討し、港湾・鉄道・都市計画の三領域への転用が図られた。特にでは、との間で視線誘導実験が繰り返され、街路樹と看板の角度を揃えることで通行人の流れを整える案が提出された。
この案は「都市を一枚の布として扱う」という発想で注目されたが、実務上は看板業者との調整が極めて複雑であった。議事録には、ある委員が「都市の角度を整えると、露店の焼き芋まで真面目に並ぶ」と発言した記録があり、のちにタトロマンタ史上もっとも引用される逸話となった[5]。
理論[編集]
タトロマンタの理論は、対象そのものではなく、その周囲に生じる「見え方の偏差」を読む点に特徴がある。これにより、霧・煙・逆光・人混みなど、通常なら視認を妨げる要素が、むしろ計測の手がかりとして利用された。
中心概念は「補償幕」と呼ばれる可動布であり、これは対象の手前に薄い幕を置いて、像の遅延やにじみ方から距離を推定する装置である。理論上は高精度とされたが、実地では湿度1%の違いで布の張力が変わるため、熟練者の勘がほぼ全てを支配したとされる。
また、にはの西園寺保一郎が、タトロマンタを「視覚の天気予報」と定義し、対象が見えるかどうかではなく「いつ見えなくなるか」を読む学派を形成した。この学派は短命であったが、のちの研究に奇妙な影響を残した。
応用[編集]
港湾航行[編集]
最も重要な応用はである。霧の濃い日、船長は岸壁に設置された3枚の反照板を順番に観測し、見え方の「ずれ方」を基準に進路を修正した。横浜では時点で14か所に補助板が設置され、月平均で約2,300回の観測が行われたとされる。
しかし、反照板がカモメの休憩場所として定着してしまい、鳥の体重で角度が変わる問題が発生した。これを受けて、港湾当局は毎朝6時に「鳥払い員」を配置したが、実際にはカモメが彼らより先に出勤するようになったという逸話が残っている。
展示と博覧会[編集]
の関連展示では、タトロマンタが「未来都市の展示補正」として紹介された。来場者は、幕の手前に置かれた塔の模型を通して都市計画図を見ることで、完成後の街並みを疑似体験できたとされる。
この展示は非常に人気があり、会期中に補助幕が3度も張り替えられた。理由は、子どもたちが幕の裏に回ってしまい、都市計画図よりも自分の影の方が面白いと気づいてしまったためである。結果として、主催側は「影の教育効果」を強調する方向に説明を修正した[6]。
軍事転用[編集]
一方で、にはがタトロマンタの軍事転用を進め、遮蔽幕を用いた偽装陣地の測定法を研究した。だが、実験が進むにつれ、敵を隠す技術なのか、味方を見失わない技術なのかが曖昧になり、結局は訓練生の迷子対策に利用されたという。
この時期の報告書には、装置の前で敬礼すると角度が安定するという不可解な記述があり、後世の研究者からは「当時の担当将校が布を神聖視していた可能性」が指摘されている。
社会的影響[編集]
タトロマンタは、単なる測位技法にとどまらず、やの分野にも奇妙な影響を与えた。百貨店では「見え方を整える陳列」が流行し、のでは、ショーウィンドウの奥行きをわざと3段階にずらすことで、商品が高級に見えるよう演出したという。
また、鉄道の案内係がタトロマンタを応用し、混雑時に乗客の視線をわずかに逸らすことで流れを作る技術を編み出したとされる。これは「視線整理」と呼ばれ、後に広告業界へ流入した。ただし、実際には「どの方向を見ても売店がある」駅構内でしか機能しなかったともいわれる。
一部の教育学者は、タトロマンタが「正確に見ること」より「ずれても全体を把握すること」を重視した点に注目し、戦後の視覚教育に影響したと主張している。もっとも、この説は扱いのまま残っている。
批判と論争[編集]
タトロマンタには当初から批判も多かった。特にの物理学者・黒川達也は、1933年の講演で「霧を読むとは、霧に読まれているに過ぎない」と述べ、方法論の曖昧さを厳しく批判した。
また、実務家の間では、装置が高湿度に弱く、梅雨時には理論値と実測値がほとんど一致しないことが問題視された。ある記録では、神戸港での試験中に補助幕が突然たこ焼き屋の暖気で膨らみ、観測結果が全て「南寄り」と判定されたとされる。
それでも支持者は「誤差こそが現場の真実である」と反論し、むしろ不安定性を前提とすることで人間の判断力を鍛える技法だと主張した。この論争は戦後もしばらく続き、1960年代には学会が「タトロマンタは科学か儀礼か」をめぐって分裂寸前になったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ヨーゼフ・クラインフェルド『Über die Tatromanta und ihre Schattenfehler』Wiener Akademische Drucke, 1892.
- ^ 佐伯房之助『港湾霧中測位法ノ研究』逓信技術叢書 第12巻第3号, 1906, pp. 41-88.
- ^ Heinrich Mahl, "Mirror Screens and Distance Drift," Journal of Applied Nautical Optics, Vol. 8, No. 2, 1908, pp. 113-149.
- ^ 西園寺保一郎『視覚の天気予報としてのタトロマンタ』帝国海事研究所報告 第4巻第1号, 1924, pp. 5-27.
- ^ Margaret L. Thornton, "Crowd Flow Correction by Visual Offset," Proceedings of the London Society of Urban Mechanics, Vol. 17, No. 4, 1930, pp. 201-244.
- ^ 黒川達也『霧に読まれる技法』東京帝国大学理学部紀要 第21号, 1933, pp. 301-319.
- ^ 『昭和初期港湾装置総覧』日本港湾史編纂会, 1958.
- ^ K. von Reichenau, "Tatromanta in the Age of Damp Cloths," Central European Review of Instrument Studies, Vol. 3, No. 1, 1961, pp. 9-36.
- ^ 中村静枝『都市の影と案内係』光文社港湾文庫, 1974.
- ^ 高瀬一郎『タトロマンタ装置概説—布はなぜ敬礼で安定するか』技術と民俗社, 1989.
外部リンク
- ウィーン実験劇場アーカイブ
- 横浜港湾技術史研究室
- 帝国海事研究所デジタル文庫
- 視覚補償学会年報
- 東京都市影響史センター