タヒチスネイク
| 別名 | タヒチ式蛇歩き、島蛇式滑走 |
|---|---|
| 起源 | 1894年頃、パペーテ港湾地区 |
| 発祥地 | フランス領ポリネシア タヒチ島 |
| 考案者 | エティエンヌ・ラロックとマテオ・ヴァイアレ |
| 運用主体 | パペーテ民俗保全委員会 |
| 主な用具 | 編縄、樹脂滑走板、貝殻鈴 |
| 競技距離 | 標準12.8メートル |
| 危険等級 | 港湾条例上は第3類 |
| 記録保持 | 1分14秒台 |
| 関連地域 | モーレア島、ボラボラ島、ヌクヒバ島 |
タヒチスネイクは、の周辺で発生したとされる、細長いを用いて滑走する儀礼的な移動様式、またはそれを模した競技形式である。の航海記録に初出するとされ、のちにの民俗研究と都市娯楽が接続することで広く知られるようになった[1]。
概要[編集]
タヒチスネイクは、上半身を低く沈めた姿勢で前進し、床面に敷いた樹脂板の上を蛇行しながら進む技法を指す。現地ではの強い日や祝祭の前夜に行われ、元来は海上移動の安全祈願として整えられたとされる。
その名の由来については、参加者が進路の修正時に腰を細かく振る様子が帯の蛇行に似ていたためという説と、初期の記録者がの群れと誤認したためという説がある。いずれにせよ、20世紀中葉には半ば見世物化し、港湾の倉庫や学校の体育館でも催されるようになった。
定義と分類[編集]
学術的には、タヒチスネイクは「海洋儀礼由来の低重心滑走芸」とされることが多い。ただし、民俗学、港湾文化史、初期観光産業史のいずれに分類するかで見解が分かれており、系の研究では準競技、では儀礼芸能として扱われる。
名称の揺れ[編集]
の新聞では「タヒチ・スネーク」と英字混じりで表記される一方、地元の記録帳には「タヒチ蛇式」「海蛇歩き」などの表記が並立している。なお、の観光案内では「Snake of Tahiti」と逆順に訳され、これが欧州側の誤記を固定化したとされる。
歴史[編集]
起源伝承[編集]
最古の起源譚では、に港で荷役員のエティエンヌ・ラロックが、滑りやすい燻製魚の箱を避けながら船倉を移動した動作を、島民の語り部マテオ・ヴァイアレが神聖化したのが始まりとされる。もっとも、この逸話はとされ、実際には倉庫の床板に塗られたココヤシ樹脂の余剰処理から生まれたという説もある。
制度化と競技化[編集]
、植民地行政の副書記官ジョルジュ・クレマンは、港湾祭の雑踏を整理する目的で「蛇行移動順路」を定め、距離をとした。これが後の標準化の原型である。には系慈善学校が体育教材として採用し、片足に鈴を結ぶ形式が導入された。鈴の音で歩幅を測る方式は子どもに好評で、授業中にまで同時進行できることが記録されている。
都市娯楽としての拡散[編集]
に入ると、タヒチスネイクはパペーテの映画館前広場で夜間興行として上演されるようになり、観客はを投げ入れて勝者を決めた。1957年の記録では、雨季にもかかわらずが集まり、うちが「自宅でも再現したい」として板切れと蜜蝋を買い求めたという。これにより家庭内での転倒事故が増え、翌年にはが床面の摩擦係数を公表した。
技法[編集]
タヒチスネイクの基本は、肩を前に出しすぎず、骨盤を左右に揺らしながら視線を進行方向のやや上に保つことである。熟練者はごとに重心を切り替え、滑走板上で「S字」「珊瑚湾」「逆潮」の3種類の軌跡を描くとされる。
また、上級者は腰紐に結んだ小型のを用いてリズムを取り、3歩ごとに片肩を落とす。この動作は見た目以上に膝への負担が少ないとされるが、にの保健技師が行った簡易実験では、初心者のが「進んでいるのに笑われる」という心理的疲労を訴えたという。
用具[編集]
標準用具は、長さの樹脂滑走板、幅の編縄帯、そして先端に取り付ける貝殻鈴である。最上位大会では、板の裏面にを薄く塗ることが認められており、塗布量が多すぎると「海に帰りすぎる」として失格になる。
審判基準[編集]
審判は速度よりも蛇行の美しさを重視し、進路の乱れが続くと「乾いた蛇」と判定される。なお、の大会では、完全直進してしまった選手が優勝しかける事態が起き、以後「直線の禁」と呼ばれる規定が追加された。
社会的影響[編集]
タヒチスネイクは、島嶼部の共同体において身体技法の継承と観光収入の両面で重要な役割を担ったとされる。とくにには、村落間の婚礼で新郎が5メートル、親族が7メートルずつ滑走する慣習が一部で行われ、親族関係の強さを視覚化する装置として評価された。
一方で、外部からは「南太平洋版の曲芸」と単純化されることも多く、との共同調査では、名称の観光資源化が進むほど儀礼的意味が薄れると指摘された。また、港湾の土産物店では、実際の競技とは無関係な蛇柄Tシャツが大量に流通し、には年間約が販売されたという。
教育への導入[編集]
以降、タヒチスネイクは一部の初等教育機関でバランス感覚訓練として取り入れられた。教材では「右へ寄りすぎないこと」が強調され、算数の授業で曲線の長さを学ぶ際の補助にも用いられたとされる。
観光化と反発[編集]
、クルーズ船寄港増加を背景に「15分で学ぶタヒチスネイク体験」が始まり、観光客の満足度は高かったが、地元保存団体は「床に立ったまま蛇になったつもりで帰るな」と抗議した。なお、この標語は実際にはの新聞見出しを保存団体が後年引用したものである。
大会[編集]
最大規模の大会は毎年にで開かれる「国際タヒチスネイク選手権」であり、標準部門、即興部門、雨天部門の3部門がある。標準部門では12.8メートルを最短時間で通過しつつ、途中2回以上の蛇行を保つ必要がある。
歴代最多優勝はの7回であるが、彼女は第4回大会で審判席に向けて進路を誤り、観客席のまで滑り込んだ逸話で知られる。以後、観客席側に「進入禁止の珊瑚線」が引かれ、現在も消えずに残っている。
著名選手[編集]
ファレア・モエラのほか、、、が名選手として知られる。ジャック・テウラは無表情で滑る「冷やし蛇」の異名を取り、ルイ・カヴァリは逆向きに見えるほど体幹を捻ることで記録を伸ばした。
大会記録[編集]
の記録では、風速の条件下でが公認最速とされる。ただし、この記録は途中で審判が帽子を拾いに行った隙に計測が始まったため、後年まで議論の的となった。
批判と論争[編集]
タヒチスネイクをめぐっては、文化継承か商業演出かという論争が繰り返されてきた。特にの公演では、観客向けに安全装置が増えすぎた結果、参加者がほぼ水平の板の上を「静かに歩く」だけになり、現地紙はこれを「もはや蛇ではなく帯である」と評した。
また、起源をめぐる議論も絶えない。港湾労働説、宗教儀礼説、税関職員の暇つぶし説が対立しており、の展示解説では三説を併記したまま「いずれも完全には否定されていない」とされている。もっとも、同館の元学芸員によれば、初期の展示札は誤ってとを逆に記していたという。
安全性の問題[編集]
には、滑走板の樹脂が高温で軟化し、12名の参加者が同じ方向にゆっくり流れていった事故があった。この事故は死傷者こそ出さなかったが、「集団的な迷子」として新聞の一面を飾った。
文化所有権[編集]
の大学で開催されたシンポジウムでは、タヒチスネイクの国際普及が「誰の伝統か」を曖昧にしたと批判された。一方で、保存団体は「曖昧さこそ海の文化である」と反論し、この応酬はのちに論文集『境界線の蛇行』に収録された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エレーヌ・マルシャン『パペーテ港湾儀礼の変容』Presses Universitaires de Polynésie, 2004, pp. 41-78.
- ^ 渡辺精一郎『南洋滑走芸の比較民俗学』青潮社, 1998, pp. 112-139.
- ^ Jean-Luc Moreau, "Snake Motion and Maritime Memory in Tahiti", Journal of Oceanic Studies, Vol. 17, No. 2, 2011, pp. 203-229.
- ^ マリア・テヴァ『タヒチスネイクの身体技法』【タヒチ文化院】紀要, 第12巻第1号, 2007, pp. 5-33.
- ^ Catherine Bell, "Ritual Slipping and Urban Festivity", Pacific Anthropology Review, Vol. 9, Issue 4, 1996, pp. 88-104.
- ^ 佐々木伸一『港湾倉庫における余剰樹脂の処理と民俗化』海風書房, 2013, pp. 9-27.
- ^ Thierry Lemaire, "The Straight Snake Problem" in Tahitian Games of the Century, Vol. 3, 1990, pp. 77-81.
- ^ 高橋みどり『海蛇式競技の安全基準と事故例』【港湾保安研究所】報告, 第5号, 2016, pp. 64-90.
- ^ Arnaud Pires, "From Board to Belief: Tahiti Snake as Performance", Revue d’Ethnographie Maritime, Vol. 22, No. 1, 2018, pp. 15-46.
- ^ 小川真理子『境界線の蛇行――観光化と伝承の相克』新島出版, 2021, pp. 201-240.
外部リンク
- パペーテ民俗保全委員会
- タヒチ文化院デジタルアーカイブ
- 国際タヒチスネイク連盟
- 海洋儀礼比較研究ネットワーク
- 南太平洋身体技法博物誌