タモリのオールナイトニッポン
| 放送局 | ニッポン放送(キーステーション) |
|---|---|
| 放送期間 | 1976年10月7日〜1983年9月29日 |
| 放送曜日・時間 | 毎週木曜日 1:00〜3:00(JST) |
| 放送形態 | 生放送(深夜枠) |
| パーソナリティ | タモリ |
| 代表コーナー | NHKつぎはぎニュース |
| 制作体制(当時) | ニッポン放送制作局+夜間技術班(架空) |
| スポンサー(伝承) | “夜の回路”協賛(複数社) |
(たもりのおーるないとにっぽん)は、をキーステーションに、からまで毎週木曜日の〜に生放送されていたラジオ番組である[1]。深夜の“場当たり的な即興”が売りとされ、特にのコーナーはラジオ史上の神回として語り継がれている[2]。
概要[編集]
は、深夜の相互監視ではなく、むしろ“相互解放”を志向した番組として位置づけられている。放送はを起点に全国向けで、木曜1時台は“気配だけが聞こえる時間”としてリスナーの間で記憶されることが多い[3]。
本番組の核は、毎回テープを巻き直さずに進める「即興編集」の美学にあり、その象徴としてが語られる。これは、ニュース原稿の要約・語尾だけを別の時間帯の素材に差し替えることで成立する“つぎはぎ報道ごっこ”であるとされ、当時のラジオ関係者のあいだでは「笑いが検閲をすり抜けた瞬間」とも評された[4]。
なお、開始年がとされる経緯は、当時の放送業界で流行していた“夜間実験番組”をめぐる政治的取引が原因であったという説がある。ただし、公式資料では確認できないとして、後年の回顧録に頼る部分が大きい[5]。
番組の成立と「1:00〜3:00」の設計[編集]
夜間技術班の「沈黙タイムコード」[編集]
当番組の“1:00〜3:00に限定された設計”は、単なる番組編成ではなく技術思想に由来すると説明されることが多い。制作側では、スタジオの搬送遅延をわざと一定化するため、沈黙区間(無音)をごとに挿入する運用が行われたとされる[6]。
この沈黙は、リスナーにとっては“間の気配”として聞こえ、放送作家にとっては“次の台詞を差し込む針路”として機能したとされる。実際のところ、技術班の記録(後に焼失したと伝えられる)が一度だけ引用されたため、説としての説得力は高い一方で、証明には至っていないと指摘される[7]。
木曜の縛りが生んだ「週末前の緊張」[編集]
木曜日が選ばれた理由については、当時の視聴行動研究(架空の内部調査)で「金曜の前夜は笑いの許容量が増え、土曜の前夜は“説明不足”が増える」とされ、木曜が最も“説明不要の笑い”に適する曜日だったとする見方がある[8]。
また、同枠の競合番組が放送開始直後にCMを多めに入れる方針だったため、タモリ側は逆に“最初の10分は宣伝をしない”と決め、結果としてリスナーの離脱が減ったという。もっとも、この数字は同時期の番組担当者の証言によるものであり、厳密な集計かどうかは不明とされる[9]。
NHKつぎはぎニュース:ラジオ史上の神回とされる理由[編集]
は、ニュースを“伝える”のではなく“取り替える”という発想から生まれたとされる。作り方は単純で、まず朝の原稿を切り貼りするのではなく、夕方の語尾だけを夜中のテンポに移植する。その結果、内容そのものは似ているのに、終わり方が別の季節になるという現象が起きると説明された[10]。
伝説の神回として特に挙げられるのは、のある木曜夜である。この回では、冒頭の天気表現がとだけ言い換えられ、続いて経済見通しの段落が“尺”の都合で丸ごと入れ替わったという[11]。リスナーは「NHKの声が、こちらの部屋に引っ越してきたみたいだった」と語ったとされるが、録音が現存しないため真偽は確定していない[12]。
ただし、当時の放送倫理の文脈では、これが“報道の偽装”に該当しうるとする批判も出た。そこで制作側は、つぎはぎの根拠を「時刻のずれによる錯覚」だと説明し、あえて事実と噂を同じ音質にして“違いを聞かせる”手法へ寄せたとされる[13]。
影響:深夜リスナーの行動様式を変えたとされる事例[編集]
「テープじゃない聴き方」を広めた効果[編集]
本番組は、録音文化の裏を突く形で“その場で理解する”リスニングを促したとされる。沈黙タイムコードや即興の編集が、後から聞き直したときに意味が取りにくい作りになっていたためである[14]。
この結果、リスナーのコミュニティでは「木曜の1時は、再生より記憶」という合言葉が生まれたとされる。さらに、問い合わせ葉書の投函時間が、通常より平均早まったという(当時の集計は“月次で出た数字”のみである)[15]。
新聞・放送・噂の混線を“ネタ”にした波及[編集]
の成功は、他局の深夜番組にも“編集ジョーク”を持ち込む流れを加速させたと指摘されている。具体的には、情報を正確に読むのではなく、情報の“読み方”を対象化する手法が増えたという[16]。
例えばの一部地域では、ラジオ深夜帯のあとに喫茶店で“語尾当てゲーム”が流行したとされる。もっとも、この伝聞は放送局からの公式統計ではなく、業界紙の寄稿(匿名)が出典とされ、厳密性には欠けるとされる[17]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、つぎはぎが“報道の権威を滑らせた”点にあった。特に、原稿の出所が不明確なまま音だけが再構成されるため、「誰の声が誰の事実か分からない」とする指摘が系の検討会で取り上げられたという[18]。
一方で擁護側は、番組の目的を“報道の形式への気づき”だと説明した。ある編集者は「NHKという固有の制度に、笑いで“境界線の存在”を思い出させた」と述べたと伝えられる[19]。ただしこの発言は、当時の議事録が後に別文書に紛れたため、確認不能とされる[20]。
また、放送時間が〜に固定されていたことで、学校終業後の生徒が聴取してしまう問題が時折取り沙汰された。制作側は、あえて“深夜の緩衝材”として冗談を増やし、過度に現実を断定しない方針を徹底したとされるが、論争は完全には収束しなかったとされる[21]。
放送終了とその後の評価[編集]
番組の終了はとされる。終了時期については、番組枠の再編といった一般的理由に加えて、木曜深夜の“即興編集”がスポンサーのリスク判断に触れたという説がある[22]。
終了直前の放送で、タモリがスタジオのマイクを一度だけ外して呼吸音を流したという逸話が残っている。音響担当は「呼吸が入ると、リスナーが初めてこちら側を意識する」と説明したとされる[23]。ただしこの逸話には、複数の時期の記憶が混ざっている可能性があるとして、研究者のあいだでは慎重な扱いが求められている[24]。
一方、後年の評価では、本番組が“放送の権威”を崩しつつ、完全な破壊には向かわなかった点が評価されたとされる。そのため黎明期の語り口にも影響があったとする言及が現れるが、直接的な因果関係は証明されていない[25]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田鍋実則「深夜帯における沈黙タイムコードの運用と聴取行動」『放送技術月報』第38巻第4号, pp. 11-29.
- ^ カルロ・ベネッティ『Beyond the Verbatim: Japanese Night Radio and the Fiction of Fact』Tokyo Audio Press, 1981.
- ^ 遠野薫「木曜深夜枠が“説明不要”を増幅するという説」『放送文化研究』Vol. 12, No. 2, pp. 55-74.
- ^ 佐久間文左衛門「NHKつぎはぎニュースの編集倫理:境界線の再発見」『放送と社会』第5巻第1号, pp. 101-136.
- ^ 高柳和昭「ラジオの間(ま)は再生に向かない:テープ時代の逆説」『音声メディア史研究』第9巻第3号, pp. 33-60.
- ^ M. K. Harada, “Listener Memory Effects in Fixed-Time Broadcasting,” 『Journal of Applied Broadcasting』Vol. 7, No. 1, pp. 1-18.
- ^ 平塚翠「スポンサー判断が“即興編集”を止めるとき」『広告と文化』第21巻第2号, pp. 201-219.
- ^ 吉原慎也「深夜番組の時刻神話:1:00〜3:00の物語構造」『日本語ラジオ文芸』第3巻第4号, pp. 77-95.
- ^ 小泉ユリ「ポッドキャスト語り口への継承(ただし証拠薄め)」『メディアの現在』第14巻第1号, pp. 9-21.
- ^ ロバート・クライン『The Sound of Authority: How News Becomes Style』Nihon Academic Books, 1990.
外部リンク
- 深夜編集アーカイブ
- 木曜一時リスナーメモ
- 沈黙タイムコード図鑑
- NHKつぎはぎニュース復元室
- オールナイト監修メモリアル