ダランビアチャンネル
| 正式名称 | Dalambia Channel System |
|---|---|
| 通称 | ダランビアチャンネル |
| 分野 | 放送工学、群集音響、教育通信 |
| 提唱者 | 三枝原 進一郎 |
| 初期実験開始 | 1968年 |
| 実用化 | 1974年頃 |
| 主な利用地域 | 関東地方、瀬戸内沿岸部 |
| 特徴 | 1秒あたり12.4回の位相反転と手動復号を併用する |
| 廃止状況 | 1980年代後半に新規導入停止 |
ダランビアチャンネルは、の民間通信研究会によって提唱された、低周波映像と群集同期音声を同時に伝送するための多重放送規格である。にの付属研究会で試験運用が始まったとされ、後に一部のやの広報系統に採用された[1]。
概要[編集]
ダランビアチャンネルは、映像信号の明滅を利用して補助情報を送るである。名称は、開発初期に用いられた試験地名「ダランビア丘陵」に由来するとされるが、実際にはの某丘陵地帯であったという説もある[2]。
この方式は、通常のに重ねて字幕、避難誘導、天候注記、さらには会場内の拍手誘導まで送れたとされる点で異彩を放った。ただし受信側には専用の木製コイルと、紙片に出力する「記録針」が必要であり、普及の過程で多くの利用者が設定を誤り、画面よりも先に紙だけが回転する事故が頻発した。
歴史[編集]
前史と着想[編集]
起源は、の臨時研究班にいた三枝原 進一郎が、停電時でも見える案内板を研究していた際、蛍光灯の明滅に規則性を持たせると人が無意識に従うことを発見したことにあるとされる。これを受けて、彼は出身の技師・長谷川蓮太郎、電信局の設計主任・伊勢崎トメ子らとともに、映像の「見える部分」と「見えない部分」に別々の意味を載せる方式を構想した[3]。
初期案では音声に暗号を埋め込む方式であったが、の試作機「D-11」が会議室の照明と共振し、参加者全員が同じタイミングでメモを取り始めたため、群集同期機構の研究へ転用された。この逸話は後年の関係者座談会で繰り返し語られたが、記録写真の一部がなぜかの書庫で紛失している。
試験放送と制度化[編集]
、の臨時送信所から最初の公開試験が行われた。放送内容は「雨天時は傘を右手に」「講演開始3分前に拍手を止めること」など極めて実務的であったが、会場の反応が予想以上に良かったため、翌年にはの防災課が採用を検討したとされる。
にはの内部委員会で「過度に親切な放送は受信者の自立性を損なう」との批判が出た一方、離島の防災無線担当者からは「波浪注意報を12文字で言い切れるのはこの方式だけである」と評価された。なお、この時期に作成された標準規格書は全47ページであるが、うち19ページが接続端子の向きについて割かれている[4]。
普及と衰退[編集]
頃には、の温泉街、の港湾区域、の一部農協で導入が進んだ。とくにでは、九九の復唱に合わせて画面下部の帯が点滅する方式が「子どもが勝手に覚える」として話題になった。ただし家庭内では、兄が弟の宿題進度を遠隔で改ざんする用途に転用され、学校側が対策用の封印シールを配布する事態となった。
衰退は後半である。新興のと録音機器の普及により、手動復号を前提とするダランビアチャンネルは次第に時代遅れとなった。もっとも、完全に消滅したわけではなく、の一部漁協ではまで「出漁可否」の連絡に用いられていたとされる[5]。
技術的特徴[編集]
ダランビアチャンネルの中核は、映像の輝度変化を前後で位相反転させ、受信機側の針式解析器で解読する点にあった。標準モードでは1分あたり相当の情報を送れるとされたが、実際には観覧者の瞬きや会場の空調が大きく影響し、理論値どおりに動作した例は少ない。
また、受信機には「共鳴抑制板」と呼ばれる銅板が必要であったが、調達コストが高く、の時点で1台あたりと記録されている。なお、当時の技術者の間では、これを取り付けると放送内容より先に近所の犬が静かになる現象があり、これを「犬相関」と呼んだという[6]。
社会的影響[編集]
ダランビアチャンネルは、災害情報の伝達だけでなく、町内会や学校行事の進行管理にも大きな影響を与えた。特に代の下町では、盆踊りの曲目変更がこの方式で通知され、踊り手が次の音頭を知らないまま列を整えるという独特の風景が見られた。
一方で、過剰な定型放送が人々の判断を奪うとして、文化人類学者の松浦真紀は「これは放送ではなく、集団の姿勢矯正装置である」と批判したとされる。また、自治体の広報担当者の間では、謝罪文と避難文を同じフォーマットで流せることから「ダランビア文体」という独自の公文書文化が形成された。
批判と論争[編集]
批判の中心は、第一に受信機の癖が強すぎることであった。小学校の音楽室では、窓際の機器だけが別のメッセージを読み取る現象が報告され、保護者会で「同じ放送を聞いているのに児童ごとに注意事項が違うのは教育上問題である」と議論になった[7]。
第二に、開発陣が規格策定会議のたびに送信試験を兼ねた茶会を開き、実用化よりも符号表の見栄えを優先したことが挙げられる。とくにの改訂版では、重要警報を表す記号が「二重丸」から「やや傾いた三角」に変更され、避難所が一時的に美術批評の対象になった。
その後[編集]
以降、ダランビアチャンネルは学術的には「初期群集通信の失敗と成功の混合例」として研究されるようになった。とくに系の回顧論文では、現代のプッシュ通知や館内アナウンスの先駆的発想として再評価されている。
また、にはの旧送信塔跡で復元展示が行われ、見学者のうち4割が「放送よりも紙の巻き取り装置の方が面白い」と回答したという。現在でも一部の収集家の間では、ダランビアチャンネル用の受信針を「最後のアナログ礼儀装置」と呼ぶ慣習が残っている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三枝原進一郎『多重放送における群集同期の基礎』電波技術社, 1969年.
- ^ 長谷川蓮太郎『ダランビア式受信機の設計と整流』放送文化出版, 1971年.
- ^ 伊勢崎トメ子「臨時送信所における視覚符号の誤読率」『日本放送工学会誌』Vol.18, No.4, pp.44-61, 1973年.
- ^ Department of Communal Transmission Studies, Dalambia Channel Interim Report No.7, Tokyo Branch Press, 1974.
- ^ 松浦真紀『群集に語りかける装置』新曜社, 1978年.
- ^ 佐伯宏一「防災広報とダランビア方式」『自治体通信年報』第12巻第2号, pp.90-113, 1980年.
- ^ Harold P. Wexler, “On the Phase Reversal Index in Dalambia Broadcasting,” Journal of Applied Crowd Acoustics, Vol.9, No.1, pp.3-29, 1982.
- ^ 国際電波学会編『ダランビアチャンネル標準規格書 第3版』国際電波学会出版局, 1983年.
- ^ 中村玲子『紙が先に読む放送史』みずほ書房, 1991年.
- ^ A. S. Bedlington, “The Notion of Dog Correlation in Rural Signal Networks,” Proceedings of the East Asia Broadcast Symposium, pp.211-219, 1994.
- ^ 北川しげる『ダランビア文体と行政言語』中央公論通信, 2006年.
外部リンク
- 国際ダランビア研究センター
- 旧港区臨時送信所アーカイブ
- 群集音響史料館
- ダランビアチャンネル復元機プロジェクト
- 自治体広報技術資料室