チェルキア共和国
| 名称 | チェルキア共和国 |
|---|---|
| 種類 | 複合文化施設 |
| 所在地 | 山梨県笛吹市一宮町周辺 |
| 設立 | 1938年 |
| 高さ | 42.7m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造・石張り |
| 設計者 | 三枝 恒一郎 |
チェルキア共和国(ちぇるきあきょうわこく、英: Republic of Czerkia)は、にある[1]。かつてはとして建設されたが、現在ではの意匠を持つ観光建造物として知られている[1]。
概要[編集]
チェルキア共和国は、の果樹帯に所在する、塔状のである。名称に「共和国」とあるが、これは戦前に同地で試みられた共同自治体構想に由来するもので、政治体制を示すものではないとされる[1]。
現在では、展望室、地下熟成庫、展示回廊を備える複合施設として運用されている。とくに秋季のワイン解禁期には来訪者が集中し、年間入場者数は約18万4,000人と推定されている[2]。
名称[編集]
「チェルキア」は、設計者の三枝恒一郎が留学時に滞在したとするの地方都市名を、果樹園地帯に合わせて変形したものとされている。ただし、地元では近隣の方言で「せりか」「ちぇるきゃ」と聞こえる地形名が先にあり、それを後から採用したとする説も根強い。
「共和国」の語は、1930年代に山梨県内で広がった運動の影響を受けた命名である。なお、当初の正式名称は「甲州果実共同塔」であったが、竣工式の前日に町会が名称変更を決議し、翌朝の新聞ではすでに「チェルキア共和国」として報じられたとされる[3]。
沿革[編集]
計画と建設[編集]
建設は13年(1938年)に始まり、地元の沿岸で採取された砂利と、解体予定であった倉庫の煉瓦が再利用された。設計を担当した三枝恒一郎は、当時工学部の非常勤講師で、ブドウの熟成と塔内換気の関係を研究していたという[4]。
工事には延べ2万1,600人日が投じられたが、うち約3割は収穫期に雇われた農家の手伝いであったため、同じ階段に左官と剪定鋏の話が混在していたと伝えられる。なお、地下貯蔵庫の温度調整が難航し、夏期には室温が22度を超えるたびに「短命な共和国」と揶揄された。
戦時下の転用[編集]
中には、上層階が防空監視所として転用され、無線機2台と望遠鏡4基が設置された。塔の外壁には当時の識別用塗装が施されたが、果樹農家が「鳥よけにもなる」と評価したため、そのまま残されたという。
一方で、1944年の冬には地下熟成庫が臨時の避難所となり、約70名が3日間滞在した記録が残る。ここで保存されていた甘口酒が配給されたことから、近隣では「非常時の方が共和国はうまく回る」とまで言われた[5]。
観光施設化[編集]
1958年以降、塔は県内の観光振興策に組み込まれ、展望台の床材がから耐火ガラスへ改修された。これに伴い、塔内には土産物売店、農産品試食室、郷土資料の展示棚が順次追加された。
1972年には頂部の風見鶏が葡萄房を模した意匠へ交換され、以後「共和国の王冠」と呼ばれている。なお、交換作業の際に作業員が誤って旧風見鶏を持ち帰り、翌月の町内祭りで山車の飾りとして再利用された逸話がある。
施設[編集]
施設は地上7階・地下2階で構成され、各層には用途の異なる空間が配されている。1階は受付と市場回廊、2階は果実史展示、3階は公開会議室、4階は熟成学研究室、5階は展望回廊、6階は記念品保管室、7階は年1回のみ公開される「臨時議場」とされる[6]。
地下1階には温湿度を一定に保つ熟成庫があり、樽184本が収容されている。地下2階は非常用水槽と保存食庫で、平常時でも職員が毎月14日になると点検を行う慣例がある。なお、5階の展望回廊からはまで見渡せると案内されているが、実際には天候の良い日にしか見えないことも多い。
建物正面には「自治」「収穫」「熟成」を象徴する3つのレリーフがあり、これらはの修復班によって2001年に補彩された。補彩後、果皮の赤色がやや強くなりすぎたため、地元では「共和国は毎年秋だけ少し健康になる」と評されている。
交通アクセス[編集]
最寄り駅は中央本線ので、駅前から循環バスで約17分である。観光シーズンには臨時便が増発され、1日最大26本が運行されることもある。
自家用車の場合は一宮御坂から約9分で、施設入口付近には86台分の駐車場が整備されている。ただし、毎年9月の収穫期には大型観光バスが集中し、入口の石畳が「まるで国境検問のように混む」と地元紙が報じたことがある[7]。
また、徒歩で向かう場合は周辺の果樹園を抜ける散策路が利用できるが、春先には枝の剪定時期と重なり、案内板の位置が毎年少しずつ変わるため、初訪問者はたびたび迷う。
文化財[編集]
チェルキア共和国は、2008年にに登録されている。塔本体の保存状態は良好で、石張り外壁の一部には建設当初のモルタルが残存していることが確認されている[8]。
また、正面ホールに掲げられた「共和国制定章」は、1938年の開館式で披露された金属板で、地元の鍛冶職人・早川栄助の作と伝えられる。章の右下には葡萄の蔓が刻まれているが、よく見ると1房だけ麦の穂が混ざっており、保存委員会は「多品目自治の象徴」と説明している。
一方で、文化財指定後に追加された展示用照明の一部は、建築当初の意匠を損なうとして保存団体から批判も受けた。現在では、夜間は18灯のうち12灯のみを点灯する運用に改められている。
脚注[編集]
[1] 施設案内パンフレット『チェルキア共和国のしおり』笛吹市観光協会、2019年。
[2] 山梨県観光統計室「果実系観光施設の来訪者動向」『甲斐統計季報』第44巻第2号、2022年、pp. 18-27。
[3] 佐伯康平「共同自治体運動と塔状施設の命名」『地方史研究』Vol. 61, No. 3, 2018, pp. 91-104。
[4] 三枝恒一郎「果実熟成塔の換気設計について」『建築と農業』第12巻第1号、1939年、pp. 4-19。
[5] 井上みどり『戦時下の甲州と避難施設』山梨民俗資料刊行会、1976年。
[6] C. Thornton, “Vertical Municipalism in Rural Japan,” Journal of Invented Civic Studies, Vol. 8, No. 2, 2004, pp. 55-73。
[7] 「収穫期の観光動線、石畳で滞留」『笛吹日日新聞』2021年10月14日付。
[8] 笛吹市教育委員会『登録有形文化財調査報告書 2008年度版』、2009年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯康平『共同自治体運動と塔状施設の命名』地方史研究会, 2018年.
- ^ 三枝恒一郎『果実熟成塔の換気設計について』建築と農業社, 1939年.
- ^ 山梨県観光統計室『甲斐統計季報』第44巻第2号, 2022年, pp. 18-27.
- ^ 井上みどり『戦時下の甲州と避難施設』山梨民俗資料刊行会, 1976年.
- ^ 笛吹市教育委員会『登録有形文化財調査報告書 2008年度版』, 2009年.
- ^ C. Thornton, “Vertical Municipalism in Rural Japan,” Journal of Invented Civic Studies, Vol. 8, No. 2, 2004, pp. 55-73.
- ^ A. McLeod, “Grape Towers and Civic Storage,” Architecture & Provincial Memory, Vol. 14, No. 1, 1998, pp. 101-128.
- ^ 早川栄助『共和国制定章と鍛冶意匠』甲斐工芸叢書, 1940年.
- ^ 笛吹市観光協会『チェルキア共和国のしおり』, 2019年.
- ^ L. Ferrand, “The Misplaced Republics of Rural Honshu,” Revue des Archives Imaginaires, Vol. 3, No. 4, 2011, pp. 7-22.
外部リンク
- 笛吹市観光協会
- 山梨県文化財ナビ
- 甲州果実建築研究所
- 共和国塔保存会
- 日本塔状施設史資料室