チャリケツ
| 名称 | チャリケツ |
|---|---|
| 別名 | 後乗り文化、ケツバイ、二輪着座法 |
| 発祥 | 東京都墨田区・荒川沿岸 |
| 成立時期 | 1967年頃 |
| 分野 | 都市民俗学、生活文化、交通史 |
| 主な担い手 | 学生、新聞配達員、バンドマン |
| 特徴 | 低重心着座、裾の巻き込み防止、合図の掛け声 |
| 影響 | 若者言語、衣料設計、自治体の交通啓発 |
| 研究機関 | 東京生活文化研究所 |
チャリケツは、のを基点として発生した、都市型の座り方・所作・服飾を総合した日本発の民俗的身体技法である。後半の下町で若者文化とともに成立したとされ、のちに圏を中心に独自の派生形が生まれた[1]。
概要[編集]
チャリケツは、の後部に跨る際の姿勢、荷重の預け方、さらにそれに付随する服装や会話作法までを含む概念である。単なる「後ろに乗ること」ではなく、都市の狭い路地や坂道で安定して人を運ぶために編み出された、半ば儀礼化した技法として説明される[2]。
とくに40年代末のでは、やの往来が盛んであり、前輪に荷を積んだまま人を運ぶ機会が多かったため、チャリケツは「いかに後ろで静かに座り、いかに降りるか」を競う暗黙の競技へと発展したとされる。なお、当時の若者雑誌には「ケツ乗りの礼儀」という妙に堅い表現が見られる[3]。
歴史[編集]
前史[編集]
起源は頃のとする説が有力である。戦後の細街路では、荷車の代替としての原型が用いられ、兄弟姉妹が交代で後部に座る習慣が生まれた。これがやがて「座る前に一度、車体の呼吸を読む」という独特の所作へつながったとされる[4]。
一方での町工場地帯で独自に発生したとする異説もあり、こちらでは工員が昼休みにの真似事をした際、誤って後部荷台に腰を下ろしたことが始まりとされる。記録上はほぼ同時期であり、研究者の間では「二地点同時発生説」が比較的支持されている。
1960年代の確立[編集]
、の自転車店「三笠サイクル商会」の店主、三笠善次郎が後部座席に布製クッションを標準装備した試作車を製作し、常連客の中高生に試用させたことが転機となった[5]。この試作車は、後輪泥よけに小さな足掛けを追加したことから、地元では「ケツ台車」と呼ばれたという。
同年夏、沿いで行われた非公式の試乗会では、着座したまま一度も膝をぶつけずにを走破した者に「静座免状」が与えられたと伝えられる。もっとも、免状の現物は一部の愛好家が所有しているとされるが、研究者は未確認としている[要出典]。
全国への拡散[編集]
前後には、の露店街やの学生寮へと広がり、地域ごとに細かな作法差が生じた。関東では「浅く座る」ことが礼儀とされたのに対し、関西では「深く座っても膝を外に逃がす」ことが重視され、結果として互いに「その座り方は甘い」「いや、それは重い」と批評し合う文化が生まれた。
またにはの生活番組が「自転車後部の安全な乗り方」として短く紹介したとされ、これを機に小学校のPTA研修会でも取り上げられた。番組内では司会者が「チャリケツ」という語を一度だけ口にし、放送局側が翌週に表現を「後部乗車の心得」に差し替えたという逸話が残る。
作法と分類[編集]
基本姿勢[編集]
チャリケツの基本は、骨盤を後輪の振動に対して斜めほど逃がし、上体を割だけ前傾させる「八割前屈」と呼ばれる姿勢である。これにより、段差通過時の衝撃がではなくへ分散されると説明される[6]。
愛好家のあいだでは、乗車前に一度だけサドルを軽く叩く「着座予告」が推奨される。これは無言で乗ると車体が驚く、という半ば迷信めいた考えに基づくが、実際には周囲への注意喚起として有効であるとされる。
地域差[編集]
では厚手の上着を巻き込まないよう裾を束ねる「結びチャリケツ」が普及し、の一部では荷台に木箱を敷く「箱ケツ」が見られた。とくにでは火山灰対策として、着座前に荷台を払う所作が重視され、これが後に「灰払いの礼」として記録された[7]。
なおでは、後部座席に乗る際に目立つ音を立てないことが美徳とされ、「音を立てた者は三条で降りる」という半ば冗談のような戒めが伝わっている。
用具[編集]
チャリケツには専用の補助具も開発された。に堺市の金属加工業者が作った「二輪座布」は、雨天でも滑りにくい特殊ゴムを採用し、学校帰りの利用者に人気を博した。さらににはの前身にあたる部門が、荷台に装着する折りたたみ式手すりを試験したとされる。
ただし、手すり付き車両は「親の目があるときだけ上品になる」と批判され、普及率はにとどまったという調査もある[要出典]。
社会的影響[編集]
チャリケツは、単なる乗り方の流儀にとどまらず、都市の移動文化そのものに影響を与えた。自転車店では「荷台の強度」だけでなく「会話しやすさ」が評価項目に加わり、には一部メーカーが「後部会話距離1.2メートル」を売り文句にした広告を出したとされる。
また、学生文化においては、チャリケツが「相手との距離を保ちながら同乗する」象徴として扱われ、恋愛小説や学園ドラマでたびたび引用された。特にの深夜ドラマ『夜更けの荷台』では、主人公が交際初日にチャリケツの失敗で転倒し、翌話で街の自転車屋に礼儀を学びに行く展開が視聴者の記憶に残っている。
一方で、は「後部同乗の際の無理な姿勢は危険である」として啓発ポスターを作成したが、ポスターの図解があまりに洗練されていたため、逆に若者の間で「美しいチャリケツ」として模倣されたという皮肉な結果も生じた。
批判と論争[編集]
チャリケツをめぐっては、そもそも独立した文化として認めるべきかという論争が長く続いた。民俗学者の久世真理子は、の論文で「これは生活の知恵に過ぎず、体系化は後世の過剰な言語化である」と批判したが、これに対し愛好家側は「言語化されない技法こそが文化である」と反論した。
さらに、頃にはインターネット掲示板で「チャリケツは危険運転を美化するものだ」という投稿が炎上し、各地の同好会が一斉に「安全座法宣言」を発表した。もっとも、その宣言文の末尾に「ただし2人乗りは原則として推奨しない」と書かれていたため、むしろ定義が曖昧になったとの指摘がある。
現代のチャリケツ[編集]
に入ると、チャリケツは実用技法としてよりも、レトロな都市文化を象徴する語として用いられることが増えた。内の自転車イベントでは、昭和風に再現した荷台付き車両で「静座デモンストレーション」が行われ、毎回前後の見物客が集まるという。
また、の普及により「移動そのものが減ったため、チャリケツの経験がない若者が増えている」との懸念もある。これを受けて一部の自治体では、体験学習として段差の少ない公園内での後部乗車講習を試行しているが、参加者の大半が「思ったより姿勢が難しい」と述べたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三笠善次郎『荷台と身体技法の民俗誌』東京生活文化研究所, 1974, pp. 18-41.
- ^ 久世真理子「後部着座の儀礼化について」『都市民俗学研究』Vol. 12, No. 3, 1993, pp. 201-219.
- ^ A. Thornton, “Rear Saddle Etiquette in Postwar Tokyo,” Journal of Urban Transport Folklore, Vol. 5, No. 1, 1988, pp. 44-67.
- ^ 佐伯達也『自転車荷台史序説』交通文化社, 1981, pp. 90-112.
- ^ M. Ito, “Chari-ketsu and the Politics of Balance,” Proceedings of the Institute for Everyday Mobility, Vol. 9, 2002, pp. 15-29.
- ^ 東京生活文化研究所 編『下町身体技法資料集 第3巻』東京生活文化研究所, 1976, pp. 7-33.
- ^ 山辺光一「後輪荷重と会話距離の相関」『生活工学ジャーナル』第18巻第2号, 1998, pp. 55-73.
- ^ 大庭ユキ『昭和後期の若者語と乗り物』河出架空新書, 2009, pp. 121-138.
- ^ National Institute of Everyday Transportation. The Chari-ketsu Handbook. London: Fleet Street Academic Press, 1991, pp. 3-26.
- ^ 平松一郎『ケツ台車の研究――都市下町における静座の美学』青林堂, 1986, pp. 5-19.
外部リンク
- 東京生活文化研究所
- 全国チャリケツ愛好会
- 下町民俗デジタルアーカイブ
- 都市身体技法フォーラム
- 日本荷台文化協議会