チンポコリータ・チンポコリーノ
| 名称 | チンポコリータ・チンポコリーノ |
|---|---|
| 別名 | 二重鳴唱法、回転式敬礼歌 |
| 起源 | 19世紀後半、イタリア北部の農村部 |
| 主な用途 | 収穫祭、婚礼、季節の謝肉儀礼 |
| 伝播地域 | ロンバルディア州、ピエモンテ州、エミリア地方 |
| 代表的記録 | 1887年の民俗採集帳『Canti Rotanti di Mantova』 |
| 特徴 | 低音の反復唱和と三歩半回転 |
| 衰退 | 20世紀中葉に急速に減少 |
| 再評価 | 1990年代以降、地域文化遺産として再編 |
| 研究機関 | ミラノ民俗音楽研究所 |
チンポコリータ・チンポコリーノは、後半ので成立したとされる、二重旋回式の儀礼的鳴き声および舞踊様式である。の農村共同体において、収穫祭の折に用いられたのが起源とされる[1]。
概要[編集]
チンポコリータ・チンポコリーノは、麓の集落で行われたとされる、唱和と足踏み、ならびに短い旋回を組み合わせた儀礼である。名称は女性形のチンポコリータと男性形のチンポコリーノに分かれ、対唱の役割差を示すものとされている。
この習俗は、単なる娯楽ではなく、の成否、婚姻の円満、家畜の安産を祈願する「場の整流」行為として理解されてきた。なお、20世紀初頭のの民族学者たちは、これを「声帯と踵を用いた農村の契約儀礼」と呼んだが、一般には滑稽な響きの名称ゆえに半ば忘却され、のちに再発見されたとされる[2]。
歴史[編集]
成立伝承[編集]
成立はのルディアーノ村に求められることが多い。村の記録係であったが、干ばつの年に即興的な反復唱を提案し、これに羊飼いの娘が三拍子の旋回を組み合わせたのが始まりとされる。
ただし、別の伝承では、もともと家畜市場で値切り交渉を有利に進めるための「声の圧迫技法」であったともいう。いずれにせよ、初期の実演は1回あたり平均7分12秒で、最後に木製の鈴を3度鳴らす作法が確立していたとされる。
都市への流入[編集]
以降、の下町に移住した農村出身者によって都市へ持ち込まれ、共同住宅の中庭でささやかに演じられるようになった。とくに周辺の酒場では、客引きの掛け声と混ざり合い、半ば風刺芸として受容された。
には、音楽出版社が『Coro Doppio e Passo a Sette』という譜例集を刊行し、ここでチンポコリーノ式の低音部が初めて五線譜に記された。もっとも、採譜者は旋回中の息継ぎを「意図的な沈黙」と誤読しており、後世の研究者からは記譜精度に疑義が呈されている。
制度化と衰退[編集]
、の州立学校で「地方唱和教育」の補助教材として短縮版が導入され、児童が体育館で左右対称に回る練習が行われた。教育当局はこれを「姿勢矯正と協調性育成に資する」と説明したが、実際には秋祭りでの披露を見込んだ観光振興策であったという。
戦後はの普及により急速に衰退し、の調査では、実演可能な演者は全域で推定84人にまで減少した。一方で、同年の地方紙は、ある老女が家族3世代を並べて一斉に旋回した記録を掲載し、これが保存運動の契機になったとされる。
再評価[編集]
、の民俗音楽ゼミが旧資料を整理する過程で、チンポコリータ・チンポコリーノの「二重鳴唱構造」を再発見した。以後、に合わせた紹介事業が進み、にはで復元公演が行われた。
この公演は、当初は10分程度の短い紹介に過ぎなかったが、観客の拍手が想定外に長引き、最終的に37分に拡張されたと報告されている。なお、終盤で司会者が「チンポコリーノ」の発音を2回言い間違えたことが、逆に話題を呼んだ[3]。
儀礼の構成[編集]
正規の型は、開始唱、回転、返答唱、静止、再回転の五段階からなる。とりわけ開始唱では、先唱者が「チンポコリータ」と唱え、周囲が1拍遅れで「チンポコリーノ」と返す形式が重視された。
動作は一見単純であるが、足の運びには地方差があり、系では右足から始めるのに対し、系では左足を先に出す。両者は19世紀末に激しく論争したが、1922年の「中部和解集会」において、半拍の遅延を許容する折衷案が採択された。
また、儀礼の中心には「三歩半で止まる」規則がある。これは四歩に達すると場が固まりすぎるためで、村の語り部たちは、これを破った者の翌年の豆類収穫が17%減ったと語っているが、統計の出所は不明である。
社会的影響[編集]
チンポコリータ・チンポコリーノは、農村共同体における結束の指標として機能しただけでなく、婚礼の場では親族間の緊張を和らげる役割を担ったとされる。とくに未婚者同士が向かい合う際の「目線の置き場」を提供する仕組みが巧妙で、当時の司祭からは「人間関係のための安全弁」と評された。
一方で、その名称の滑稽さからの新聞ではしばしば風刺の対象となり、には「都市に持ち込まれた奇妙な田舎癖」として嘲笑された。しかし、後の郷土復興運動では逆に象徴化され、地域アイデンティティの核として再利用された。
批判と論争[編集]
研究上の最大の争点は、これが本当に独立した儀礼であったか、それとも複数の地方芸能が的編集によって一つに束ねられた虚構的カテゴリーであるか、という点である。とくにの教授は、1920年代の採集記録に同一の旋回数が都合よく反復されていることから、「後代の編集者が整えた可能性が高い」と主張した。
また、保存運動側が用いた復元衣装が実際にはの舞台衣装メーカー製であり、しかも胸元に金属鈴が12個も縫い付けられていたため、伝統の再現ではなく観光演出だとの批判もある。保存協会はこれに対し、「鈴の数は地方ごとの誇張を踏まえた」と反論しているが、反論文の一部には要出典のまま残されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Giovanni Ferrante『Canti Rotanti di Mantova』Edizioni del Naviglio, 1892.
- ^ Luisa Cerri『La voce doppia nelle campagne lombarde』Università di Pavia Press, 1911.
- ^ Carlo Venturi『民俗唱和と回転動作の比較研究』民俗文化叢書, 1934.
- ^ A. M. Thornton『Rotational Chants of Northern Italy』Journal of Ritual Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 114-139, 1976.
- ^ Raffaella Borsi『チンポコリータ・チンポコリーノ復元公演録』ミラノ文化財年報, 第14巻第1号, pp. 33-57, 1998.
- ^ Marco Bellini『The Semiotics of Half-Step Turning』Ritual and Society Review, Vol. 12, No. 4, pp. 201-228, 2001.
- ^ 渡辺精一郎『北イタリア農村儀礼の音声構造』東洋比較民俗学会紀要, 第22号, pp. 5-41, 2006.
- ^ Elena Grassi『Cimboli e parole: una tradizione che gira』Bollati Sospesi, 2010.
- ^ Paolo D'Amico『チンポコリーノの発音変異と観光化』地域文化研究, 第31巻第3号, pp. 88-102, 2014.
- ^ M. R. Volpi『On the Question of Whether Chinpokorita Ever Existed』Northern Ritual Quarterly, Vol. 19, No. 1, pp. 1-17, 2021.
外部リンク
- ミラノ民俗音楽研究所アーカイブ
- ロンバルディア州文化遺産ポータル
- パヴィーア大学民俗資料室
- 北イタリア回転唱和保存協会
- Canti Rotanti デジタル年報