テクニカル殺人主義
| 名称 | テクニカル殺人主義 |
|---|---|
| 別名 | 工程的殺意論、実務的殺人美学 |
| 提唱者 | 高瀬伊作、マーガレット・ソーン |
| 成立 | 1928年ごろ |
| 主な拠点 | 東京、横浜、神戸 |
| 影響分野 | 工業デザイン、映画、広告、舞台演出 |
| 中核概念 | 殺意の標準化、工程分割、感情のトルク管理 |
| 批判 | 倫理的空虚化、演出過剰、現場再現性の低さ |
| 関連文書 | 『殺意工程表』、赤坂設計覚書 |
テクニカル殺人主義(テクニカルさつじんしゅぎ、英: Technical Homicidism)は、前半のとの接点から生まれたとされる、殺意の表現を極度に手続化・最適化する思想体系である。主にの設計事務所や周辺の文献で言及され、のちにおよびへ波及したとされる[1]。
概要[編集]
テクニカル殺人主義は、個人の激情に頼る「衝動的な殺意」を否定し、むしろ手順、検証、再現性を重視する思想として説明されることが多い。支持者はこれを「感情を排した冷徹な合理主義」ではなく、「感情を最小単位まで分解して扱う実務哲学」であると主張した。
この思想は、後の復興期における都市計画、流通管理、工場の安全手順が相互に影響した結果として、末に可視化されたとされる。また、当初は犯罪思想というよりも、舞台装置の転換効率や映画の殺陣設計を記述するための比喩として使われたという説が有力である[2]。
一方で、後年の解説では「殺人」という語が過剰に目立つため、実態以上に危険思想として喧伝された面があるとされる。実際には、会合の議題の半分以上が安全弁、導線、照明、予算配分であったとする証言も残る[3]。
名称と定義[編集]
「テクニカル」の語は、の実務語彙に由来するとされるが、初期文献では期の美術評論に見られる「テクニカルな殺意」という逆説的表現が転用されたと説明される。つまり、攻撃性を高めるのではなく、むしろ攻撃の不確実性を減らすための論理であった。
「殺人主義」という呼称は、に横浜の翻訳雑誌『工業と寓意』で初めて定着したとされる。ただし編集後記には、担当者が「殺人」と「殺陣」を誤記したまま校正が通った可能性があるとの指摘もある。なお、この誤記がかえって概念の印象を強め、思想運動としての寿命をほど延ばしたともいわれる。
定義上は、①行為の段階化、②感情の数値化、③結果責任の工程分担、の三要素からなる。支持者はこれを「倫理の放棄」ではなく「倫理の図面化」と呼び、反対派は「官庁的暴力の詩学」と批判した。
歴史[編集]
前史と萌芽[編集]
前史としてしばしば挙げられるのは、にの印刷所で回覧された『小型機械と人間動作の互換性』という小冊子である。この冊子では、作業者の手元動作を単位で記録し、失敗率を下げた事例が紹介されていた。のちにこれが「行為の最適化は、破壊行為にも適用できる」と読み替えられたとされる。
また、の舞台機構設計者であったが、回転舞台の転換時間を短縮する研究のなかで「対象の消失には、観客の注意を分割する工程が要る」と語ったことが、思想の原型になったという説もある。これに対し、扱いのまま放置された回想録では、伊作は「私は一度も人を殺す方法を考えたことがない」と書いており、むしろ比喩の暴走が大きかった可能性が示唆される。
一方、にはの工場主向け講習会で、マーガレット・ソーンという英国人安全技師が「最小損失で最悪事態を処理する設計」について講演したとされる。講演録の末尾にだけ妙に詳しい手書き注が残っており、ここで「殺意の手順化」という語が生まれたとする研究もある。
黄金期と拡散[編集]
からにかけては、東京の設計事務所を中心に、テクニカル殺人主義が準専門用語として流通した時期である。特にの映画館で上映された連続活劇『白い手袋の工程』は、主人公の動線設計が異様に精密であったため、批評家から「テクニカル殺人主義の大衆化」と評された。
当時の会員数は最大でとされ、内訳は設計士が、編集者が、舞台監督が、残余が法律事務員や広告文案家であったという。特に港湾地区の倉庫会社では、荷役事故対策のマニュアルにこの思想が流用され、現場では「一撃より一工程」という標語が掲げられた。
しかし、拡散に伴い意味は急速に変質した。広告業界では「商品を一瞬で消費者の視界から消す技術」を指す隠語として使われ、映画界では「悪役の倒し方が妙に細かい演出」を褒める表現として定着した。この過程で、本来は手順の透明化を意味していたはずの理屈が、むしろ神秘性を帯びていったとされる。
戦後の再解釈[編集]
後、思想は明確に衰退したが、完全には消えなかった。むしろには、の出版関係者を中心に「暴力の技法を批判するための比喩」として再利用され、倫理学の文脈で引用されるようになった。
この時期に刊行された『工程化された残酷さ』では、テクニカル殺人主義は「目的が手段を洗浄しすぎた状態」と定義されている。著者のは、同書の初版でわざわざ図版をも掲載し、うちは包丁ではなく製図用シャープペンシルの構造図であった。これがかえって読者を混乱させ、学会では「武器ではなく文房具の話に見える」とまで言われた。
にはの私設資料館で『殺意工程表』の断片が発見されたが、内容の大半は人員配置表、昼食時間、換気扇の点検記録であった。研究者の間では、これを「概念の空洞化を示す重要資料」と見る説と、「最初から空洞だった」とする説が対立している。
思想と実践[編集]
テクニカル殺人主義の実践は、しばしば三層構造で整理される。第一に、対象の把握を定量化する層、第二に、行為を手順化する層、第三に、責任の所在を分散する層である。支持者はこの三層を「熱量の分配」と呼び、感情の暴発を防ぐための安全装置だと説明した。
また、実務面では「角度」「距離」「視線」「音量」の四項目を特に重視したとされる。とりわけでの応用例が多く、殺陣師たちは「0.8歩の遅延」「呼吸の二拍ずらし」「照明の反射率12%」など、きわめて細かな指標を共有していた。これがのちに一般社会へ漏出し、会議室で人を圧倒するための話法として転用されたという。
さらに、一部の支持者は「完全な実行より、実行に見える未遂の方が思想的に純度が高い」と主張した。これは当然ながら批判を呼び、のちに運動内部でも「未遂主義への堕落」として総括されている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、倫理の不在ではなく、むしろ倫理を技術仕様に変換してしまう点にあった。の社会学者は、1949年の講演で「この思想は人間を最終的に部品へと見なす誘惑を持つ」と述べたとされる。これに対し支持者は、「部品化は失礼だが、分解は必要である」と応じたという。
なお、の資料には、同思想に影響されたと見られる私的サークルが確認されたとあるが、実際にはその多くが読書会、演劇部、あるいは模型飛行機の愛好家団体であった。後年の研究では、この数字が過大に伝えられたことがほぼ確実視されている。
一方で、テクニカル殺人主義が企業統治や官僚制の言葉遣いに与えた影響は無視できないとする立場もある。書類上の「処理」「切断」「排除」といった語彙が、比喩として流通しやすくなったのはこの思想の残響だという指摘があり、現在でものまま引用されることがある。
後世への影響[編集]
後世では、テクニカル殺人主義そのものよりも、その語り口が影響力を持ったとされる。たとえばのテレビCMでは、商品説明を過剰に精密化する手法が「殺意のないテクニカル主義」と呼ばれ、業界内で流行した。
また、の舞台芸術では、登場人物が無言で段取りを進める演出が「テクニカル殺人主義的」と評されることがあり、批評用語として半ば残存している。さらに、の一部大学では、都市安全設計の講義で「極端な合理化が人間関係に及ぼす副作用」を説明するための反面教材として紹介されることがある。
もっとも、現在の研究者の多くは、この思想を実在の組織的運動としてではなく、複数の業界用語が戦前戦後をまたいで混線した結果生じた「都市的な幻影」とみなしている。ただし、その幻影がの広告、映画、設計文化に実際の痕跡を残したことは否定しがたい。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬伊作『殺意工程表』赤坂計画社, 1932年.
- ^ Margaret A. Thornton, “On the Standardization of Intent,” Journal of Applied Semiotics, Vol. 8, No. 3, 1931, pp. 114-139.
- ^ 佐伯光彦『工程化された残酷さ』青磁書房, 1954年.
- ^ 三浦澄子「暴力と図面のあいだ」『社会設計研究』第12巻第2号, 1949年, pp. 44-61.
- ^ E. Caldwell, “The Mechanical Ethics of Stage Combat,” The Atlantic Review of Dramatic Arts, Vol. 4, No. 1, 1935, pp. 9-27.
- ^ 『工業と寓意』編集部「殺人主義小史」『工業と寓意』第3巻第7号, 1931年, pp. 2-15.
- ^ 山田冬彦『都市の刃先――戦前東京における比喩暴力の生成』東都出版, 1978年.
- ^ J. P. Wainwright, “Aesthetics of Procedural Harm,” Proceedings of the London Institute of Design Studies, Vol. 2, 1936, pp. 201-233.
- ^ 『赤坂設計覚書』復刻委員会『赤坂設計覚書・別冊』文化資料社, 1967年.
- ^ 渡辺精一郎『殺陣と殺意の混交史』丸善工学文庫, 1989年.
- ^ Harold F. Jennings, “Technical Homicidism in Urban Planning,” Transactions of the Royal Society of Civic Engineers, Vol. 19, No. 4, 1958, pp. 77-102.
- ^ 中村尚人『テクニカル殺人主義の誤読史』岩波書店, 2003年.
外部リンク
- 赤坂近代思想アーカイブ
- 横浜港湾史資料室
- 戦前映画工程研究会
- 都市暴力比喩データベース
- 殺意語彙年表館