デス野球拳(曖昧さ回避)
| 名称 | デス野球拳 |
|---|---|
| 別名 | 死の野球拳、終末野球拳 |
| 分類 | 曖昧さ回避ページ、俗称、都市伝説的慣用句 |
| 起源 | 昭和40年代後半の深夜娯楽誌と愛媛系芸能研究会 |
| 主な利用領域 | テレビ番組、宴会芸、同人ゲーム、学術的冗談 |
| 関連地域 | 愛媛県、東京都港区、新宿区 |
| 初出資料 | 『月刊レイトショー編集部報』1973年4月号 |
| 異説 | 学園祭由来説、酒場由来説、旧海軍余興由来説 |
| 注意 | 同名異義のため文脈確認が必要 |
デス野球拳(デスやきゅうけん)は、において「野球拳」に「敗者が即座に退場する」「判定に時間差がある」などの過激な解釈が付与された諸概念の総称である。主に発祥の芸能史、の深夜番組文化、ならびに学園祭の余興文化にまたがって用いられている[1]。
概要[編集]
デス野球拳は、厳密には単一の競技を指す語ではなく、複数の文脈で用いられる俗称の集合である。もっとも広く知られているのは、の勝敗に「即死級の罰」を上乗せした演出概念であり、地方芸能、テレビ演出、大学サークル文化のあいだを往復しながら意味を変化させてきたとされる[2]。
この語が注目されたのは前半で、の深夜番組制作現場において「やたら物騒な新規企画名」を求めた演出助手が、既存の野球拳を半ば冗談で言い換えたことが契機とされる。ただし、同時期の側資料にも似た表現が見えるため、起源については今なお一致を見ていない[3]。
語義[編集]
曖昧さ回避としてのデス野球拳は、大きく三つの意味に分かれる。第一に、勝敗がついた瞬間に衣服ではなく人格や立場を失うという、番組的な誇張表現である。第二に、実際の遊戯としては成立しないが、宴会や学園祭で「死ぬほど過酷」と評された罰ゲームの総称である。第三に、やインターネット掲示板で派生した、ルール表だけが妙に精密な架空競技である[4]。
なお、資料によっては「デス野球拳」をの上位概念とみなし、ここから派生した「超デス野球拳」「最終審判野球拳」までを含める場合がある。一方で、の郷土芸能研究では、あくまで本来の野球拳の語感を借りた比喩表現にすぎないとされている。
歴史[編集]
成立前史[編集]
前史としてしばしば挙げられるのは、30年代末から各地の飲み会で行われていた「負けると罰が重くなる拳遊び」である。とくに、のある演芸喫茶で、敗者が退席ではなく「その場で次の曲を選べない」罰を受けた記録が残っており、これが後年のデス野球拳の形式的祖型になったという説がある[5]。
もっとも、この記録は当事者の証言が互いに食い違っており、ある証言では罰は「クリームソーダの奢り」、別の証言では「店長のモノマネ三連発」であった。にもかかわらず、後年の研究者はこれらをまとめて「致命的敗北の演出」と呼び、話を大きくしがちである。
テレビ化と拡散[編集]
、の制作会社・が『深夜バトル・ナイト』という番組内企画で「デス野球拳」の語を用いたことで、全国的な認知が進んだとされる。ここでは勝者が杯を積み上げ、敗者は画面外に退場するという、実に安上がりで恐ろしい演出が採用され、視聴者アンケートでは「不穏だが目が離せない」が最頻の感想であった[6]。
また、この時期の台本には、勝敗判定の前に謎の砂時計を15秒逆回転させる指示があり、後年の研究で「時間差デス判定」と呼ばれた。制作側は単なる演出上の都合としていたが、番組終了後にそれを真似する学生が急増し、全国の学園祭で罰ゲームの過熱競争が起きたとされる。
学園祭文化への定着[編集]
に入ると、デス野球拳は大学サークルの定番余興として半ば公認化した。周辺の貸しホールやの学生会館では、ルールを厳密に書き出したA4一枚の「決闘要項」が配布され、敗者は「沈黙三分」「教授に似せた自己紹介」などの罰を受けた[7]。
この流れの中で、のある学園祭では、罰が多すぎて本戦より準備会の方が盛り上がるという逆転現象が起きた。実行委員会は後に「競技の強度が参加者の精神年齢を超えた」と総括しているが、翌年には何事もなかったように「改良版デス野球拳」が導入された。
種類[編集]
番組型デス野球拳[編集]
番組型は、視覚的な過激さと編集のしやすさを重視した形式である。ルールは単純で、手の出し方よりもリアクションの大きさが勝敗を左右するとされ、審査員にはしばしばとが兼任で置かれた。これにより、実際の勝者よりも「もっとも悲壮感のある敗者」が番組の主役になるという、極めてテレビ的な倒錯が生じた。
一部の局では、敗者が去ったあとに無音の3秒を挟む編集が慣例化し、これが視聴率の0.7ポイント上昇に寄与したとする内部メモがある。ただし、この数字は同じ回の別資料では0.2ポイントとされており、要出典とされることが多い。
宴会型デス野球拳[編集]
宴会型は、や企業の懇親会で行われる簡略版である。ここでは衣服の脱衣は原則として行われず、代わりに名刺交換のやり直し、上司の若い頃の武勇伝を復唱するなど、社会的ダメージを与える罰が採用された。とくにの商社系宴会では、敗者が翌営業日に全員の机を磨くという規定があったという。
宴会型の特徴は、ルールが厳格なようでいて運用がきわめて曖昧な点にある。司会者が酔ってルールを忘れると、その場の最も偉い人物が即座に「今のはデスだった」と宣言し、競技が終わる。この権力構造が、逆に日本的な秩序感をよく表していると評されることもある。
同人ゲーム型デス野球拳[編集]
後半になると、のPCゲーム文化の影響で、デス野球拳はシミュレーションゲームの題材として再解釈された。ここでは野球拳の勝敗に加えて、精神力、社交性、カフェイン耐性などが数値化され、勝敗よりも「どの段階で尊厳が尽きるか」が重要視された[8]。
この系統の作品では、勝ち進むほど背景音楽が派手になる一方、敗者側の立ち絵だけが徐々に画面からはみ出す演出が好まれた。ある作品では、最終ボスが都庁舎を模した巨大な手札で現れるという荒唐無稽な設定があり、批評家からは「ルール説明だけで午後が終わるゲーム」と評された。
社会的影響[編集]
デス野球拳は、単なる宴会芸の語を超えて、日本の「負け方」に関する美学を拡張したとされる。敗北を恥ではなく儀礼へ変換する仕組みは、企業研修、学生自治会、地方祭礼の余興にまで浸透し、初期には「敗者の所作」を研究する民俗学的な試みも現れた[9]。
一方で、過度の誇張表現が若年層に「何をしてもデスになる」という誤解を与えたとして、いくつかの学校では名称の使用が禁じられた。とはいえ、禁止令はかえって流行を加速させ、の中古レコード店では「デス野球拳」と書かれた手書きPOPが2週間で4回貼り替えられたという記録がある。
また、地方自治体の観光パンフレットが「野球拳の新しい楽しみ方」としてこの語を半ば冗談で掲載した事例もあり、の一部では土産菓子の名称候補にまでなった。最終的には「語感が不穏すぎる」として採用されなかったが、地元の菓子店では今も内輪でその名が使われているという。
批判と論争[編集]
批判の多くは、デス野球拳が「過激であること自体」を価値にしている点に向けられた。とくにの報告書では、競技名が実態以上に暴力的印象を与え、地域の伝統芸能を誤認させると指摘された[10]。
これに対し擁護派は、デス野球拳は暴力ではなく「緊張の記号化」であると反論した。ただし、擁護派の座長が討論会の途中で「それでは続いて、死の三回戦です」と発言してしまい、会場が妙な沈黙に包まれたことはよく知られている。
なお、とされる逸話として、ある県立高校では文化祭の演目から当該名称を外したところ、来場者数が前年より128人減少したため、翌年に「ソフトデス野球拳」として復活したという話がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯 恒一『深夜娯楽と罰ゲームの変遷』東都書房, 1991.
- ^ Margaret A. Thornton, "Punishment as Performance in Postwar Japan", Journal of Popular Ritual Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 44-71, 2004.
- ^ 黒川 俊介『愛媛芸能誌補遺 デス語彙の成立』松山文化出版社, 1988.
- ^ 田辺 みどり『学園祭と過剰演出』北海学術, 1996.
- ^ Robert J. Ellis, "The Ballad of Death Rock-Paper-Scissors", Entertainment History Review, Vol. 12, No. 1, pp. 101-119, 2011.
- ^ 日本深夜文化研究会 編『夜の番組と全国的流行語』港区資料叢書, 1978.
- ^ 藤堂 一馬『宴会芸の社会学』みすず誤信, 2002.
- ^ Chihiro Watanabe, "A Comparative Study of Losing Rituals", Asian Folklore Quarterly, Vol. 19, No. 4, pp. 233-260, 2018.
- ^ 久保田 玲『ソフトデスの民俗誌』新潮別館, 2009.
- ^ 『月刊レイトショー編集部報』1973年4月号, pp. 6-9.
外部リンク
- 日本深夜娯楽アーカイブ
- 愛媛拳遊戯研究センター
- 全国罰ゲーム資料室
- 昭和テレビ企画年鑑データベース
- 学園祭演目保存会