トイレに行きたくなる気分
| 名称 | トイレに行きたくなる気分 |
|---|---|
| 別名 | 尿意誘発感、便意前兆感、M-2症候群 |
| 分類 | 俗心理学・都市衛生文化 |
| 提唱時期 | 1968年頃 |
| 提唱地 | 東京都千代田区 |
| 主な研究者 | 佐伯重彦、Margaret L. Fenwick |
| 関連施設 | 日本公衆便所学会、都営衛生史資料館 |
| 影響 | 通勤動線設計、学校の休憩時刻、広告の色彩設計 |
トイレに行きたくなる気分(トイレにいきたくなるきぶん、英: Bathroom Urge Mood)は、排泄の必要がないにもかかわらず、特定の環境や心理的刺激によって強く便所を意識してしまう状態を指すの俗心理学用語である。20世紀後半にの公衆衛生研究会で整理されたとされ、のちに通勤文化と結びついて一般化した[1]。
概要[編集]
トイレに行きたくなる気分は、実際の生理的切迫とは切り離されて語られる心理状態である。駅の改札前、会議の開始直前、あるいは水音を聞いた瞬間に生じることが多いとされ、以降の都市生活において独立した現象として扱われた[2]。
この概念は、当初はの車内苦情記録における「突然の退席理由」の分類から派生したものである。のちにの生活環境学研究班が、空腹感や睡魔と同様の“身体が先回りして訴える気分”として再定義し、1983年の報告書で「トイレに行きたくなる気分」という現在の表現が定着したとされる[3]。
一方で、実際には単なる緊張や条件反射の一種ではないかという指摘も根強い。ただし、都内の一部企業では会議室の照明をからに変えることで発生率が17%低下したとの報告があり、完全に迷信とも言い切れない領域に置かれている[要出典]。
歴史[編集]
起源と命名[編集]
最初の記録は、の喫茶店で行われた「都市勤労者の中断行動調査」だとされる。調査票の自由記述欄に、被験者の一人が「便意はないが、なぜかトイレに寄るべき気がする」と記したことが契機となり、研究班はこれを“予告的退避感”と呼んだ[4]。
その後、班の事務補助を務めていた佐伯重彦が、より大衆向けに「トイレに行きたくなる気分」と言い換えたとされる。なお、佐伯は後年の回想録で「学術用語としてはどうかと思ったが、現場の説得力はあった」と述べているが、原稿の所在は確認されていない。
普及期[編集]
に入ると、新幹線の長距離移動やオフィスビルの高層化に伴い、この気分は“都会的な病”として新聞に取り上げられるようになった。特にの『首都圏勤労衛生白書』では、からへの通勤者のうち38.4%が「始業前に一度、便所の位置を確認しないと落ち着かない」と回答したとされる[5]。
この時期、の社内デザイナーが、トイレットペーパーの包装に使う薄青色が“気分を呼び込む”として一時的に変更を提案した逸話がある。採用はされなかったが、会議では19分間にわたって賛否が割れ、議事録の末尾にだけ「便意と色彩は無関係とは言えぬ」と手書きが残されている。
制度化と研究[編集]
にはの外郭研究会が、これを単なる心理現象ではなく“都市衛生上の準備反応”として整理した。1986年の『公共空間における排泄予期感の管理指針』では、発生時の推奨行動として「無理に否認せず、最寄りの施設位置を確認すること」が明記され、自治体の案内表示にも影響を与えた[6]。
また、の旅館組合では、宿泊客がチェックイン直後にこの気分を訴える事例が多発したため、玄関から便所までの歩数を平均14歩以内に収める“十四歩設計”が導入されたとされる。これは後にホテル業界へ輸出され、都市型宿泊施設の標準設計に似た思想を残した。
症状と分類[編集]
研究者はトイレに行きたくなる気分を、持続時間と確信度によって三類型に分けている。第一類は「前景型」で、目の前の会話より便所の位置情報が優勢になるタイプである。第二類は「反響型」で、水の音や紙の擦れる音により突然強まるもの、第三類は「儀式型」で、会議開始前に必ず一度確認しないと不安が残る型とされる[7]。
の便通心理研究室によれば、発症ピークは冬季の午前9時12分前後に多く、特に内回りの混雑時に上昇する傾向があるという。もっとも、この統計は調査員が駅ごとに自らの感覚を記録した半主観データであり、学術的にはきわめて評価が分かれている。
なお、重症例では、トイレの場所を地図アプリで見つけた瞬間に安心して収束することがある。これを研究会では「地図確認による解除」と呼び、逆に地図上でトイレが見つからない場合には“幻の尿意”へ移行すると説明した。
社会的影響[編集]
この概念が最も大きな影響を与えたのは、都市の動線設計である。の商業施設では、エスカレーターの踊り場から便所案内までの視認距離を23メートル以内に抑える基準が作られたとされ、結果として「安心して買い物ができる街」として宣伝された[8]。
また、学校教育にも波及した。の一部中学校では、定期試験の開始10分前に校内放送で「必要な方は先に確認を」と流す慣習が生まれ、これが生徒の集中力を著しく改善したという。一方で、放送を聞いた全員が便所へ向かったため、試験開始が平均7分遅れるという副作用もあった。
広告業界では、青や白を基調とした清潔系イメージがこの気分を緩和するものとして多用された。とりわけの某制汗剤CMでは、最後に唐突な水流音を入れることで視聴者の“準備反応”を誘導したとされ、放送直後に「妙に落ち着かない」との投書がに21通寄せられた。
批判と論争[編集]
批判の中心は、そもそもこの気分が独立した概念として成立するのかという点にある。の行動科学者・吉見潤一は、「空腹、緊張、冷え、そして会議への嫌悪が同時に現れたものを雑に束ねた可能性が高い」として、1988年に反論論文を発表した[9]。これに対し支持派は、雑に束ねられた感情ほど都市生活の実態をよく表すと応じた。
また、にはの保健所が「トイレに行きたくなる気分」を自己診断表に含めようとしたところ、行政文書としては軽すぎるとして却下された。却下理由の欄には「名称がすでに症状というより文学である」と記されていたという。
一方で、心理療法の現場では役立つ場面もある。緊張が強すぎる患者に対して「いまトイレに行きたくなる気分ですね」と言い換えることで、本人が症状を客観視しやすくなるためである。もっとも、この手法は一部の患者に無用の不安を与えることもあり、実施には慎重さが求められる。
文化的受容[編集]
以降、インターネット掲示板の普及により、この気分は「わかる人にはわかる都市の共通体験」として再解釈された。特に深夜帯の投稿文化では、「コンビニで飲み物を買った瞬間に発症した」などの報告が相次ぎ、経験談が半ば定型句として流通した[10]。
では、これを単なる不安ではなく“段取りの良さ”として肯定的に捉える傾向があり、飲食店の店員が「お手洗い先にどうぞ」と先手を打つ文化が形成されたという。これに対しでは、静かに席を立つことが礼儀とされ、地域差が細かい行動様式として観察された。
なお、にの雑誌『生活動線学』が実施した読者アンケートでは、回答者の62.7%が「会議の冒頭でこの気分を感じた経験がある」と答えたが、同時に81.2%が「実際にはトイレに行っていない」と回答しており、気分の存在が行動に直結しないことも示された。
脚注[編集]
[1] 佐伯重彦『都市便所感覚の基礎研究』東都出版、1984年、pp. 14-19。 [2] M. L. Fenwick, "Pre-emptive Restroom Affect in Postwar Cities," Journal of Urban Psychophysiology, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 201-218。 [3] 日本大学生活環境学研究班『通勤者の中断行動と準備反応』日本大学紀要別冊、1983年、第7巻第2号、pp. 55-73。 [4] 神田中央調査室『喫茶店環境における自由記述分析』内部資料、1968年、pp. 3-11。 [5] 首都圏勤労衛生協会『首都圏勤労衛生白書 1978』pp. 88-92。 [6] 厚生省都市衛生研究会『公共空間における排泄予期感の管理指針』1986年、pp. 41-47。 [7] 佐伯重彦・中村礼子『尿意前兆の三分類』日本公衆便所学会誌、第4巻第1号、1989年、pp. 1-16。 [8] 横浜商業施設協議会『安心導線と案内表示の実務』1997年、pp. 22-30。 [9] 吉見潤一「排泄感覚の比喩的転用について」『行動と構造』第15巻第4号、1988年、pp. 119-131。 [10] 『深夜掲示板アーカイブ 1999-2003』ネット文化資料室、2005年、pp. 402-409。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯重彦『都市便所感覚の基礎研究』東都出版, 1984.
- ^ M. L. Fenwick "Pre-emptive Restroom Affect in Postwar Cities" Journal of Urban Psychophysiology, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 201-218.
- ^ 日本大学生活環境学研究班『通勤者の中断行動と準備反応』日本大学紀要別冊, 第7巻第2号, 1983, pp. 55-73.
- ^ 厚生省都市衛生研究会『公共空間における排泄予期感の管理指針』1986.
- ^ 吉見潤一「排泄感覚の比喩的転用について」『行動と構造』第15巻第4号, 1988, pp. 119-131.
- ^ H. B. Carter "The Architecture of Urgency" Restroom Studies Quarterly, Vol. 8, No. 1, 1994, pp. 33-49.
- ^ 中村礼子『駅と便所の距離感』青灯社, 1996.
- ^ 東京都生活文化局『都市不安と身体反応』1999.
- ^ Laura S. Ingram "Color Temperature and Restroom Anticipation" Applied Civic Design Review, Vol. 6, No. 2, 2002, pp. 77-89.
- ^ 『深夜掲示板アーカイブ 1999-2003』ネット文化資料室, 2005.
外部リンク
- 日本公衆便所学会年報アーカイブ
- 都営衛生史資料館デジタル展示
- 都市動線研究センター
- 生活感覚辞典オンライン
- 首都圏準備反応研究会