トマトと解体新書理論
| 名称 | トマトと解体新書理論 |
|---|---|
| 提唱時期 | 1770年代後半 |
| 提唱者 | 杉本蘭坡、M. H. van der Velde ほか |
| 分野 | 蘭学、食物象徴論、初期比較解剖学 |
| 主題 | トマトの断面と人体内部図の類比 |
| 中心文献 | 『赤実解剖考』 |
| 関連運動 | 紅潮派、切断主義 |
| 影響地域 | 江戸、大坂、長崎 |
| 現在の位置づけ | 疑似学説として再評価されることがある |
トマトと解体新書理論(トマトと かいたいしんしょ りろん)は、後期の圏で成立したとされる、赤色果実の熟成観察と人体解剖図の対応関係を体系化した仮説である。中期の食文化史と初期近代医学の交差点に位置づけられている[1]。
概要[編集]
トマトと解体新書理論は、を切断した際に現れる種子室の配置、果肉の層構造、汁液の流動を、の器官配置や血流の模式図と対応づける理論である。とくにの図版を参照しつつ、赤色の果実内部に「可視化された生命秩序」があるとする点で特異であった[2]。
この理論は、経由で入ったオランダ語の博物誌断片と、江戸の料理本に記された切り方の経験則を接合するかたちで成立したとされる。後世の研究者は半ば戯画として扱う一方、からへの移行期における思考実験としては妙に精密であるとの指摘もある[3]。
成立史[編集]
杉本蘭坡の「赤実観察帳」[編集]
理論の萌芽は、ごろの町医者・杉本蘭坡がまとめたとされる『赤実観察帳』に見られる。彼はの青物問屋で手に入れたトマトを、6個ずつ、半割・輪切り・乱切りの3種にして記録し、断面の形がとの図に似ると書き残した[4]。なお、蘭坡は「果実の内部に秩序あり、これを知らずして臓腑を論ずるは、箸を持たずに飯を測るがごとし」と述べたとされるが、原本は未発見である。
この記述は当時としては珍しく、果実を食材ではなく「開示される構造物」として読む視点を含んでいたため、後に紅潮派の基本文献とされた。もっとも、同帳にはトマトの糖度を「鯛の背びれの気配」と記す項目もあり、すでに比喩が過剰であったことがうかがえる。
解体新書図版との接続[編集]
、の版木職人・伊勢屋庄兵衛が、系統の解剖図譜を模写する際、偶然にもトマトの断面図を紙片の裏に試し刷りしたことが理論の決定的転機になったという。両者の図を並べると、血管に見立てた筋が果肉の放射状の線と一致し、これを見た蘭学者たちは「赤の内部は赤で説明されるべきである」と結論づけた[5]。
この発想は、単なる見立てにとどまらず、器官の説明は器官に似た可食物から学ぶべきだという方法論に発展した。とくにの周辺では、牛蒡・蕪・鰯の内臓までも比較対象に含める動きがあり、記録上は「四季の台所で人体を読む」学派として整理されている。
長崎会議と理論の定式化[編集]
、出島近くの会所で開かれたとされる非公式討議「赤実会議」において、理論は初めて定式化された。参加者は医師、通詞、料理人、砂糖問屋の計14名で、うち9名が「トマトの種子数は臓器の節理を示す」と主張したという[6]。
ここで作成された『赤実解剖考』では、トマトのヘタを「頭蓋の留め具」、果肉の壁を「胸郭の柔構造」と呼ぶなど、今日から見れば奇妙な命名が行われた。ただし当時の会合記録には、議論の半分以上がトマトの保存法と塩漬けの是非に費やされたとあり、理論そのものよりも試食が中心であった可能性もある。
理論の内容[編集]
理論の中核は、トマトを「赤い人体模型」とみなし、切断位置によって観察される内部構造の変化を、診断上の手がかりに転用する点にある。たとえば、横半分に切った際に種子室が八分割に見えるものは「循環の良好な体質」、不規則に崩れるものは「湿気の過多」と判定された[7]。
また、熟しすぎて皮が裂けたトマトは「外皮の緩み」、未熟な青トマトは「若年の気血停滞」とされ、の概念と医学の語彙が奇妙に混交していた。実験では、同一品種のトマトをの温室との市場でそれぞれ観察し、熟度差によって「脈の強さ」が異なると結論づけた記録があるが、再現実験は一度も成功していない。
社会的影響[編集]
料理書への波及[編集]
18世紀末から19世紀初頭にかけて、江戸の料理書には「解体切り」「臓腑盛り」と呼ばれる盛り付け法が現れた。これはトマトを薄く輪切りにし、中央に大葉を置くことで心臓図のように見せる手法で、町人層の宴席で流行したとされる[8]。
一方で、ある料亭では理論を過信した板前が、トマト3箱をすべて「肺の教材」として使ってしまい、当日の膳がほぼ酸味だけで構成されたため、奉公人が辞めたという逸話が残る。
医学教育との摩擦[編集]
では、学生がトマト断面で臓器名を覚えるという補助教材法が試みられたが、実物が食べられてしまうため定着しなかった。教授陣の中には「赤実は記憶に残るが、試験答案に汁がつく」と反対した者もいたという[9]。
ただし、地方の蘭方医のあいだでは、図版よりも実物の方が理解しやすいとして限定的に支持された。とりわけの寒冷地では、温室栽培された小型トマトを使った「一人一臓器」の授業が行われたという記録があり、教育史上の珍事として知られている。
紅潮派と反対運動[編集]
理論の支持者は自らを「紅潮派」と称し、赤色こそ生命把握の鍵であると主張した。これに対し、の流れを汲む保守派は「赤はただの色彩であり、解剖の根拠にはならない」と反論し、の寺子屋では双方の子弟がトマトの皮をめぐって小競り合いを起こしたとされる[10]。
なお、紅潮派の集会では、参加者が全員トマトを持参する慣習があり、夏場には会場の畳に果汁が染み込みすぎて「会議後に床を乾かす時間の方が長い」と記された日誌もある。
代表的文献[編集]
理論を伝える文献として最重要とされるのは、杉本蘭坡の『赤実解剖考』と、通詞の田島信左衛門による『唐紅図解備忘』である。前者は断面図の比較が中心で、後者はトマトと心臓の類似点を14項目に整理した点で知られる[11]。
さらに、代には船の漂着を受けて英語・蘭語・和語を混ぜた『Solanum Anatomicae 江戸訳』が作られ、国際的な可読性を得たとされる。ただし、本文の半分が「塩を振ると理解が深まる」という注記で占められており、学術書というより調理指針に近い。
批判と論争[編集]
19世紀に入ると、の発達によってトマトの内部構造は分類学上の問題として扱われるようになり、人体との対応を前提とする議論は急速に退潮した。とくに初期の医学校では、理論を採用した学生が試験で「肝臓に似るのは赤茄子の方である」と答え、減点された事例が伝えられている[12]。
一方で、近年は食文化史やメディア論の文脈から再評価も進んでいる。断面を見せること自体が知識の演出であり、近代的な可視化の萌芽であったという見方である。ただし、2018年にの研究会で「トマトの縦割りと脾臓の面積比は統計的に有意」とする報告が出され、会場が妙に静まり返ったことがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 杉本蘭坡『赤実解剖考』江戸紅潮堂, 1782年.
- ^ 田島信左衛門『唐紅図解備忘』長崎通詞館叢書, 1784年.
- ^ M. H. van der Velde, "On the Visceral Geometry of Solanaceous Fruits," Journal of Edo Comparative Medicine, Vol. 3, No. 2, 1791, pp. 41-68.
- ^ 小松原玄澄『果実内部図と臓器比喩の成立』日本蘭学史研究会, 1968年.
- ^ Eleanor B. Whitcombe, "Red Structures and the Anatomy of Taste," Transactions of the East Asian Medical Antiquarian Society, Vol. 11, No. 1, 1987, pp. 9-27.
- ^ 今井志乃『料理書にみる切断表現の文化史』青木書店, 2004年.
- ^ H. J. van Rijn, "The Tomato as a Portable Body," Archives of Culinary Anatomy, Vol. 8, No. 4, 1999, pp. 201-233.
- ^ 佐々木龍介『江戸医学館の副読本事情』筑摩偽書選, 2011年.
- ^ 高瀬みどり『赤色と権威の近世思想』岩波赤表現研究, 2016年.
- ^ Nathalie C. Berenson, "Solanum, Blood, and Misread Diagrams," Leiden Review of Historical Botany, Vol. 19, No. 3, 2020, pp. 77-102.
外部リンク
- 江戸蘭学資料アーカイブ
- 紅潮派文献館
- 長崎出島比較図版室
- 近世食文化虚構研究所
- 赤実解剖考デジタル翻刻プロジェクト