トモダチコレクティビズム
| 概念の領域 | 社会思想・福祉政策・教育制度 |
|---|---|
| 中心的な主張 | 友人関係は共同体管理の対象である |
| 起源とされる時期 | 明治末期から大正初期 |
| 主要な実装先 | 自治体の相談窓口、学校の相互扶助プログラム |
| 象徴的な用語 | 友情拠出・連帯点検・縁故監査 |
| 議論の焦点 | 自発性と強制の境界 |
| 関係分野 | 相互扶助、地域通貨、行動経済学 |
トモダチコレクティビズム(ともだち これくてぃびずむ)は、友人関係を共同体のインフラとして制度化しようとする思想である。特に「つながりの責任」を重視する点で、近代以降の社会政策・教育実務に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
トモダチコレクティビズムは、友人関係(とりわけ「気にかける関係」)を共同体運営の基盤として設計する考え方である。個人の自由を尊重しつつも、放置すれば孤立が増えるという前提の下で、関係を「維持する義務」を社会的に組み込もうとしたとされる[1]。
この思想の特徴は、友情を感情ではなく手続きとして扱う点にある。具体的にはや学校現場で、友人同士の連絡頻度を「見守り指標」として集計し、一定の達成を促す仕組みが考案されたと説明される。ただし後年には、指標が監視に転じたのではないかという批判も生じた[2]。
語源は英語圏で広まったとされるが、日本語圏では「友だち」を「隣人」よりも狭く、なおかつ濃く運用するための概念として定着したとされる。ここではの前身部局の資料が「友情拠出」という項目名で引用されることもあったが、実際の文書の系統は複数に揺れており、要出典とされる場合もある[3]。
歴史[編集]
成立:『連帯ではなく“友情”で回せ』という発想[編集]
トモダチコレクティビズムは、明治末期の周辺で進んだ「夜間見回り」の発展系として語られることが多い。とくにの管轄下で、犯罪統計だけでは救済対象が取りこぼされるという問題が浮上し、「家族より先に連絡がつく友人」を情報の入口として活用しようとする議論があったとされる[4]。
この時期、の試案では、友人関係の維持を「月次点検」の対象に含める案が提出された。案の中心は、友人同士で行うはずの見守りを、行政が配布する冊子(様式A-17)に記入させることで、未連絡の発生を早期に把握するというものであったと記録される[5]。なお、点検は毎月1回とされた一方で、災害週は例外的に週2回まで増やす運用が提案され、現場では「友情の稼働率」を巡って小競り合いが起きたとされる[6]。
また、最初の“トモダチ”という語の固定化には、内務官僚のが関与したとする説がある。彼は会議録に「連帯は硬い。友情は柔らかい。硬いままでは拒否される」と書いたと引用されるが、この会議録の出典は系譜が複雑で、学界では「引用の由来が疑わしい」と指摘される[7]。
制度化:学校と自治体の“相互扶助の儀式化”[編集]
大正期に入ると、トモダチコレクティビズムは学校制度に入り込んだとされる。特にではなく当時の教育行政の部局が、欠席の多い生徒に対して「友人による短文連絡」を割り当てるプログラム(名称は複数あるが、通称は“縁故連絡班”)を運用したと語られている[8]。
ある府県の報告書では、連絡班の参加者を「クラスあたり平均14.8人」とし、達成基準を「学期内で未送信0〜2件」へ設定したとされる[9]。さらに、友人役の生徒には鉛筆一本と手帳(様式B-4)が配られ、記録の提出率が90%を下回ると「友情拠出点検」の対象になると書かれていた[10]。
この運用が注目されたのは、行政が“感情”を直接扱わずに“事務の負担”として友情を整備できる、という合理性が強調されたためである。しかし一方で、連絡が形式化し、関係が本来の気遣いから離れるという現場の違和感も早くから記録されている[11]。
変質:地域通貨・データ管理との結婚[編集]
昭和期には、トモダチコレクティビズムが地域通貨や簡易データ管理と結びついたとされる。たとえばの一部自治体では、見守り記録に紐づいた「友情ポイント」を導入し、一定の連絡数で商店街の割引券が配られる仕組みが試行されたと記述される[12]。
この試行の妙な点は、友情ポイントの換算が“感情の濃さ”ではなく“返信の速度”に寄せられたことである。報告書では「返信までの中央値が3.2分以内であること」を目標に置いたとされ、達成しない場合は友人同士の“再合意”が要求される運用があったとされる[13]。さらに、再合意の回数が学期で5回を超えると、の福祉担当が「縁故監査」へ回すと書かれていたが、監査の実施条件が曖昧だったために混乱を招いたとされる[14]。
そして終盤には、友情が共同体の統治装置に変わり、トモダチコレクティビズムは「善意の監督」と揶揄されるようになった。とはいえ、離職や孤立の減少に寄与したという評価も存在し、単純な失敗と断じることは難しいとされる[15]。
社会への影響[編集]
トモダチコレクティビズムがもたらした最大の影響は、対人関係が“私的領域”に留まらないという認識の普及であった。学校・福祉・地域活動が連携し、「誰が誰をどの程度気にかけているか」を可視化する発想が広まったと説明される[16]。
また、行政文書の書式にも波及したとされる。たとえば系の様式では、相談窓口への到達経路を「家族」「友人」「その他」で分類し、友人経路の割合が年間で約7.3%から9.1%へ増えたと報告されたことがある[17]。この増加は、トモダチコレクティビズムが“相談の入口”として友情を整備した成果だと解釈された。
一方で、社会的に“友人でいること”が義務化される感覚が生まれたとも指摘される。ある調査では、受け手側の負担感が「軽い」「普通」「重い」の3段階で、重いが12.0%に達したとされるが[18]、調査設計の都合で高めに見積もられた可能性もあるとされる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、自発性と強制の境界が曖昧になりやすい点である。点検や記録が増えるほど、友情は“義務の履行”へ変質し、結局は関係の質が落ちるのではないかという議論が展開された[19]。
また、制度が機能する地域ほど、友人関係の格付けが起きるという指摘もある。自治体の会議では、返信速度が速い者を「優先連絡者」に指定し、逆に遅い者を“関係弱者”として扱う運用が提案されたとされるが、当該議事録には「優先連絡者」という語が突然登場するとされ、後の編集で付け足された可能性があるとして注目された[20]。
さらに、監査の正当性を巡って司法レベルの争点化が図られた例もある。実際には訴訟まで至らなかったとされるが、法律雑誌上では「友情拠出の法的性質」が争点になり得ると論じられたと報告されている[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中島和宏「トモダチコレクティビズムと“友情拠出”の制度設計」『社会政策年報』第12巻第3号, pp. 41-63, 2008.
- ^ 渡辺精一郎『連絡の統計化に関する覚書(様式A-17)』内務省調査課, 1919.
- ^ Margaret A. Thornton「Friendship as Infrastructure: A Historical Typology」『Journal of Civic Behaviors』Vol. 34 No. 2, pp. 211-239, 2013.
- ^ 高橋由紀「学校における相互扶助儀式の効果測定」『教育行政研究』第28巻第1号, pp. 9-27, 1976.
- ^ 鈴木春人「返信速度指標の倫理的含意——友情ポイントの評価」『行動経済学レビュー』第6巻第4号, pp. 88-109, 1999.
- ^ 佐伯信介『自治体相談導線の分類体系』総務省統計局, 1932.
- ^ 田中正人「縁故監査と行政裁量」『公共法学論集』Vol. 22 No. 1, pp. 1-29, 2011.
- ^ 山本里沙「“優先連絡者”概念の系譜と議事録編集の偏り」『文書史学研究』第19巻第2号, pp. 152-179, 2020.
- ^ Evelyn R. Morgan「Soft Governance and the Quantification of Care」『Contemporary Governance Studies』Vol. 11 No. 3, pp. 300-321, 2016.
- ^ (書名微妙)田村健太『警視庁管内の夜間見回りと友人連絡』警視庁広報部, 1924.
外部リンク
- 友情拠出資料館
- 縁故監査アーカイブ
- 友情ポイント検証所
- 連帯点検様式集
- 相互扶助儀式フィールドノート