トリノウス・サンマリーナ条約
| 正式名称 | トリノウス・サンマリーナ条約 |
|---|---|
| 通称 | 三湾条約 |
| 署名日 | 1498年6月17日 |
| 署名地 | トリノウス宮廷会議室 |
| 当事者 | トリノウス都市参事会、サンマリーナ港務院 |
| 主な内容 | 関税率の固定、航路標識の共同維持、塩蔵品の検査権分担 |
| 言語 | ラテン語、商業用古ヴェネト語 |
| 現状 | 原本は散逸、写本群が複数確認されている |
トリノウス・サンマリーナ条約(とりのうす・さんまりーなじょうやく、英: Trinous Sanmarina Treaty)は、に沿岸の交易都市と、内陸港湾共同体のあいだで締結されたとされる外交文書である[1]。沿岸通商の再編と「塩・硝石・青銅」の三品目取引をめぐる規範を定めたものとして知られる[1]。
概要[編集]
トリノウス・サンマリーナ条約は、の北部で活発化した中継交易を背景に成立したとされる条約である。条約名はとの2都市に由来するが、実際には両都市の周辺に存在した塩田共同体、船舶修繕ギルド、検印官のあいだで合意された多層的取り決めを後世に一括して呼ぶ名称であるとする説が有力である[2]。
本条約の特徴は、領土の割譲や軍事同盟ではなく、貨物の秤量方法、夜間航行灯の色規定、そして「湾曲税」と呼ばれる半ば象徴的な通行料の上限を定めた点にある。また、の同年に起きたを受けて急遽まとめられたとする研究もあり、条文の一部には後から書き足された痕跡が見られる[3]。
背景[編集]
後半の交易圏では、系の商人、圏の運搬人、さらにから回航するギリシア系船主が交錯し、塩と硝石の価格が季節ごとに急変していた。とりわけからにかけて、冬季の濃霧による座礁事故が31件確認されたとする港務記録が残り、これが航路標準化の機運を高めたとされる。
一方で、の旧市参事会は、港湾税をめぐる内紛を収拾するため、側に「共同監察権」を提案した。これに対し、サンマリーナ港務院の書記官マッテオ・ダンブロージオは、のちに『海塩と印章の均衡論』と呼ばれる覚書を提出し、関税よりも検査印の統一が重要であると主張した。この覚書が条約草案の土台になったという見方がある[4]。
締結の経緯[編集]
条約交渉は、トリノウスのに設置された臨時会議室で開始された。交渉には都市参事会員9名、港務院代表6名、証人として修道院長1名が参加し、最終日のみ香辛料商会の同席が認められた。議事録によれば、最も長く争われたのは「塩袋1袋あたりの標準湿度」をどの温度計で測るかであり、最終的に式と式を折衷した木製湿度枠が採用された。
署名はの午後、干潮時刻に合わせて行われた。これは、港の石段が露出して印章箱を運びやすくなるためであると説明されるが、実際には参事会議長ロレンツォ・フィオレンティーニが「潮の引いた時刻にのみ条文は乾く」と発言したことが象徴的に記録されたためでもある[5]。条約本文には全14条と補則3項があり、うち第9条の「青銅秤の定期交換」は後年まで頻繁に参照された。
内容[編集]
通商規定[編集]
第1条から第5条は主として通商規定であり、塩、硝石、青銅器、燻製魚の4品目に共通関税を設定した。とくに塩については、雨季に結晶が崩れやすいことを理由に、重量ではなく「層厚」によって申告する制度が導入された。これにより、袋の底に石灰を忍ばせる旧来の不正が大幅に減少したとされる。
また、サンマリーナ側の船舶には、トリノウス港入港時に白灯を一度、出港時に青灯を二度掲げる義務が課された。この灯火規則は航路上の識別を目的としたが、漁師の間では「白は従属、青は自由」を意味する符牒として流用されたという。
検査と衡量[編集]
第6条から第10条は検査制度に関する規定で、共同衡量台を毎月第2木曜に点検すること、検査官は両都市から交互に選出することが定められた。ここで初めて「二重封印方式」が採用され、荷札の結節部に2つの蝋印を押すことで抜き取り改竄を抑制したとされる。
なお、条文草稿には「検査官は犬を同伴してはならない」とあるが、これはサンマリーナ側の書記が誤って商船の積荷表にあった「犬用飼料」を転記した結果であるとする説がある。ただし、後代の写本でもこの文言がほぼ維持されているため、単なる誤記以上の政治的意図があった可能性も指摘されている[6]。
航路と安全保障[編集]
第11条から第14条は航路の安全確保を扱い、からに至る区間で共同灯台を維持すること、難破船の所有権は24時間以内に申告することが定められた。特筆すべきは、武装船の通行を全面的に禁じるのではなく、甲板上の投石器を「布で覆う限り」認める緩和条項である。
この条項は一見奇妙であるが、実際には当時の海賊対策として合理的だったと考えられている。布で覆った投石器は即応性が落ちるため、威嚇以上の意味を持ちにくかったからである。もっとも、の記録には、覆布の下にさらに小型投石器を仕込んだ船が摘発されたとあり、抜け道の多さもまた条約の特徴であった。
影響[編集]
条約締結後、のの貨物滞留日数は平均17.4日から11.2日に短縮されたとする港務帳簿があり、商人たちの評価はおおむね高かったとされる。とりわけ青銅製計量器の標準化は、後の沿岸の都市国家にも波及し、「三湾式衡量」と呼ばれる簡易規格を生んだ。
一方で、関税収入の固定化は都市財政に硬直性をもたらし、に入ると両都市の若手貴族層から「条約は秩序を保ったが、商いの想像力を奪った」との批判も生じた。とはいえ、この批判文書の大半はの写字生が誇張したものとする見解もあり、評価は分かれている。
研究史と評価[編集]
近代以降、トリノウス・サンマリーナ条約は長らく地方史料として扱われていたが、にのエウジェニオ・ランベルトが断片写本6点を比較し、本文の再構成を試みたことで注目された。ランベルトは、条約が単なる通商規定ではなく、港湾都市が「測る権利」を共同で管理した希少な例であると評価した。
その後、にはで補足写本が見つかり、条約成立以前に「湾曲税」をめぐる試験運用が3か月実施されていた可能性が浮上した。ただし、この写本はインクに魚油が混入しており、第4条の一部が読めないため、現在も議論が続いている[7]。この不確実性こそが、本条約の魅力であるとする研究者も少なくない。
脚注[編集]
1. ^ 『アドリア海都市同盟年代記』巻12、1499年写本。 2. ^ M. Santori, "Metric Peace and Salt Roads", Journal of Imaginary Maritime History, Vol. 18, No. 2, pp. 44-71. 3. ^ ロベルト・チェーザレ『塩価騒擾と都市憲章』イオニア出版、1987年、pp. 113-119。 4. ^ Archivio Civico di Trinous, Fondo Portuale, busta 41, fasc. 7. 5. ^ G. Bellini, "At Low Tide: Treaty Rhetoric in Late Quattrocento Ports", Annals of Adriatic Studies, Vol. 9, No. 1, pp. 5-29. 6. ^ ただし、犬の同伴禁止条項は後世の検閲であるとの異説もある。 7. ^ フランソワ・デュヴァル『魚油インクと港湾法』港湾史研究会、1974年、pp. 201-208。 8. ^ N. A. Kershaw, The Two-Seal Protocols of the Eastern Littoral, Cambridge Maritime Papers, Vol. 3, pp. 77-102. 9. ^ ミケーレ・アッティーリオ『条約が乾くまで』サンマリーナ歴史叢書、2004年、pp. 9-35.
関連項目[編集]
脚注
- ^ エウジェニオ・ランベルト『トリノウス条約写本群の比較研究』ボローニャ大学出版局, 1932年.
- ^ ロベルト・チェーザレ『塩価騒擾と都市憲章』イオニア出版, 1987年.
- ^ M. Santori, "Metric Peace and Salt Roads" Journal of Imaginary Maritime History, Vol. 18, No. 2, pp. 44-71.
- ^ G. Bellini, "At Low Tide: Treaty Rhetoric in Late Quattrocento Ports" Annals of Adriatic Studies, Vol. 9, No. 1, pp. 5-29.
- ^ フランソワ・デュヴァル『魚油インクと港湾法』港湾史研究会, 1974年.
- ^ N. A. Kershaw, The Two-Seal Protocols of the Eastern Littoral, Cambridge Maritime Papers, Vol. 3, pp. 77-102.
- ^ ミケーレ・アッティーリオ『条約が乾くまで』サンマリーナ歴史叢書, 2004年.
- ^ A. R. Volpe, "The Curved Tax and Its Discontents" Mediterranean Ledger Review, Vol. 6, No. 4, pp. 118-141.
- ^ ジャンナ・ロッシ『アドリア海の白灯と青灯』リミニ港湾資料館, 1991年.
- ^ H. D. Morgenstern, "On Dogs, Seals, and Salt Measures" International Journal of Port Jurisprudence, Vol. 11, No. 3, pp. 233-250.
外部リンク
- アドリア海文書デジタルアーカイブ
- トリノウス市立歴史研究所
- サンマリーナ港務院史料室
- 海塩と印章の会
- 東地中海条約碑文コレクション