トレノ
| 名称 | トレノ |
|---|---|
| 種類 | 遊技場兼天文観測ドーム |
| 所在地 | 架空県トレノ市南星町3-11 |
| 設立 | (明治) |
| 高さ | 78.4 m |
| 構造 | リブ付き鉄骨ドーム+回転式観測室 |
| 設計者 | 渡辺精守(わたなべ せいもり) |
トレノ(とれの、英: Treno)は、にある[1]。
概要[編集]
トレノは、遊技場としての娯楽性と、天体観測施設としての学術性を同一建築にまとめた建造物である。現在では「夜の余暇を科学に変える装置」として語られている。
トレノが知られるようになったのは、ドーム内部に備えられた「星運び機構」が、当時の流行であった観測会と遊技会を同時に成立させたからである。来訪者が投げた小型の金属球が、指定角度で観測台を微調整する仕組みがあったとされる。
名称[編集]
「トレノ」という名称は、開設準備委員会が用いた仮称「軌道(トロッコ)式回転ドーム」から転訛したものとされる。なお、施設案内ではイタリア語由来と説明されていたが、言語学者の田森律三は「少なくとも語源文書の所在が示されていない」と指摘した[2]。
一方で、トレノ市の公式記録ではが「星(トレ)を運ぶ(ノ)」という民間語を採用したとされ、名称の意味が後付けされた可能性もあるとされる[3]。
施設周辺では通称として「南星ドーム」「回転観測亭」なども併用され、観光パンフレットでは毎年見出し語が変えられた。これにより、同じ建物が複数の呼称で記憶され、検索上の混乱が恒常化したという逸話が残る。
沿革/歴史[編集]
建設の背景[編集]
トレノの計画はに、造船資材の余剰を転用して「都市の夜空を管理する文化」を作る構想として立ち上がった。具体的には、当時の海軍関連鋼材倉庫の鉄材寸法が規格化されており、転用が容易だったことが大きいとされる[4]。
企画は渡辺精守(設計者)が主導し、の技師であった大門縫之助が「回転機構は軌道工学の延長である」と助言したとされる。こうした産業技術の転用が、学会よりも先に市民の工学好奇心を刺激した点が特徴である。
星運び機構の導入[編集]
トレノには、観測室を目的方位へ微調整するための「星運び機構」が搭載されたとされる。説明書では、金属球が通過するスリット数が「108」「調整レバーの段数が9」と細かく記され、合計角速度が毎分0.73度に達するとされた[5]。
ただし、当時の新聞記事には「実測では毎分0.71度だった」という注記もあり、機構の個体差を前提に調整する運用が行われていたと推定されている[6]。このズレが、のちに「当たる観測会」の評判を作ったとも言われる。
戦災と復元[編集]
の空襲で、ドームの東側リブが損傷し観測室が停止したとされる。市の記録では復旧を急ぐあまり、補修材の配合が規格から外れた結果、積雪時に軋み音が増えたと記されている[7]。
その後に復元工事が行われ、観測室の回転軸には旧鉄道橋の部材が再利用されたとされる。ここから「トレノは鉄道の記憶を観ている」という比喩が生まれ、観光の語り口として定着した。
施設[編集]
トレノの核となるのは、直径41.6 mのリブ付きドームである。ドームには放射状の補強材が配置され、夜間の冷却収縮を均すために外周に「脈動換気孔」が設けられているとされる[8]。
内部は、遊技区画と観測区画が同一床面で分岐するよう設計されている。観測区画では、回転式観測室が天頂付近に向けて「毎回17秒で位置決め」される運用があったと説明される[9]。
また、来訪者が参加できる簡易儀式として「入場前の星合わせ」が用意され、受付で配布される時刻カードには、星座ごとに投影角が印字されていた。角度の誤差は最大で0.2度とされ、当時としては精密な体験設計であるとされた。
交通アクセス[編集]
トレノは中心部から南星町方面に所在し、最寄りは「南星線」南星町駅である。徒歩では12分、坂道のため下りは速いが上りは15分程度を要すると案内されている。
アクセス上の特徴として、施設敷地の北側に「第3回転門」と呼ばれる小規模アーチが存在する。そこを通ると施設の天井反射が最も弱く感じられるため、初訪問者向けの導線として採用されたという[10]。
自動車利用の場合は、駐車場が2層構造で収容台数が合計で317台とされる。満車時には入口で整理係が案内板を反転させ、次の案内時間を「4分」単位で提示する運用があったとされるが、現在は簡略化されている。
文化財[編集]
トレノは、の建築意匠を一部残している点が評価され、「回転式観測機構を備えた都市型娯楽建築」として登録されている。詳細には、ドーム外周のリブ形状と、観測室の基礎部材に関する構造資料が保存対象として指定されているとされる[11]。
なお、指定名称は「トレノ南星ドーム(建築部材群)」であり、観測機材そのものの完全保全ではないとする見解もある。一方で、地元の博物語り部会は「星運び機構の作動痕跡が残る」と主張している[12]。
また、施設周辺の景観として、敷地の植栽帯に由来する「五線譜の街路」が説明されることがある。これは、観測時に方位誤差を体感的に補正できるように、植栽が一直線ではなく緩やかな折れ曲がりを持つというものである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田森律三「トレノ名称の語源再検討」『架空言語学研究紀要』第12巻第4号, 1978, pp.45-63.
- ^ 渡辺精守『回転ドーム設計要項と星合わせ運用』星図印刷所, 1896, pp.1-210.
- ^ 大門縫之助「軌道工学から観測機構へ」『鉄道技術往復書簡』Vol.3 No.2, 1901, pp.12-29.
- ^ 【史料】架空県立公文書館編『南星町夜間施設整備報告(1891-1894年)』架空県立公文書館, 1932, pp.77-98.
- ^ 『トレノ施設案内(改訂第7版)』トレノ市観光局, 1912, pp.9-14.
- ^ 岡端ユウ「星運び機構の角速度ばらつき」『天文観測と機械』第5巻第1号, 1920, pp.101-119.
- ^ 『南星ドーム復元工事報告書』架空県建設局, 1953, pp.3-26.
- ^ S. K. Whitmore『Structures for Public Astronomy』Imperial Dome Press, 1939, pp.212-230.
- ^ M. Keller「Revolving Chambers and Urban Leisure」『Journal of Fabricated Heritage』Vol.18 No.6, 1984, pp.77-92.
- ^ 森田一貴「娯楽建築としてのドーム」『建築史の周縁』第21巻第2号, 2006, pp.55-70.
外部リンク
- トレノ観光案内(公式)
- 南星線時刻表アーカイブ
- 回転ドーム研究会サイト
- 架空県立公文書館デジタル資料室
- 星運び機構の復元記録