ニチダイ(お笑いコンビ)
| 結成年 | 1978年 |
|---|---|
| 解散年 | 1994年 |
| 出身 | 日本大学演芸研究会 |
| 活動拠点 | 東京都文京区・新宿区 |
| 旧名 | 日大二人会 |
| 芸風 | 講義型漫才、資料読み上げ、統計ボケ |
| 代表番組 | 深夜実験バラエティ『夜間演習』 |
| 受賞歴 | 第3回全国学生漫才祭 優勝 |
ニチダイは、を拠点に活動したとされる日本のである。もともとは演芸研究会の「日大漫才同好会」から派生したとされ、学園祭の仮設ステージで確立した“講義型ボケ”で知られる[1]。
概要[編集]
ニチダイは、からにかけて活動したとされる漫才コンビである。名称はの略称から来ているとされるが、実際には「日誌に毎日書かれること」を意味する学内隠語が由来であったという説もある[2]。
彼らの特徴は、ネタの途中で必ずの公表値や学内アンケートを読み上げ、そこから急に脱線して観客を混乱させる点にあった。とくにの貸しホールで行われた公演では、客席にいた編集者がネタ帳を勝手に注釈し、以後の原稿がやけに学術的になったといわれている[3]。
結成の経緯[編集]
学園祭の控室から生まれた即席ユニット[編集]
ニチダイの原型は、の文京区にあった白山キャンパス近くの喫茶店で、当時芸術学部の学生だった渡瀬精二と中島代一が、学園祭の余興で余ったスライド投影機をどう使うか相談したことに始まるとされる。二人は、スライドに写した統計表を見ながら笑いを取る「数字漫才」を試みたが、初回は観客の8割が資料配布だと思い込み退出したという[4]。
名称の由来[編集]
コンビ名の「ニチダイ」は、当初は単にの略称として使われたが、学内の一部では「日々の題材を拾う者たち」の意味で説明されていた。なお、二人が所属していた演劇サークルの名簿には、本人たちの欄の横に「要注意:演説に近い」と手書きで追記があり、これが後年の芸風を予言していたとする記述が残る[5]。
芸風[編集]
講義型ボケ[編集]
ニチダイの基本は、片方が教授風に解説し、もう片方が板書を消し続けるだけで崩壊する形式である。彼らは黒板、模造紙、ホチキス留めのレジュメを必ず使用し、最後に「では次に、笑いの定義に移る」と言って拍手を強要する構成を好んだ[6]。
統計と空白の間[編集]
特に有名なのは、観客アンケートの自由記述欄をそのまま漫才に取り入れる手法である。1986年の公演では、自由記述欄にあった「よく分からないが勢いがある」という1行がそのままオチとなり、後に放送作家が「空白こそが最大のボケ」と総評した。もっとも、この理論はニチダイ側が勝手に採用したもので、実際には当日その記述を書いたのは受付係の姪であったとされる[7]。
小道具への異常なこだわり[編集]
小道具はの文具店との事務用品卸から仕入れていたが、見えないところまで番号を振る癖があり、マイクスタンドは常に「第4番」と呼ばれた。これは、初代マネージャーが「物にも出席番号が必要である」と主張したためで、会場の係員が混乱したという逸話が多い。
活動史[編集]
学生寄席から深夜番組へ[編集]
代前半、ニチダイはの小劇場やの学生寄席に進出し、口コミで評判を広げた。その後、深夜の実験番組『夜間演習』に起用され、毎回最後に「本日の講義は以上で終了です」と締めてから、なぜか未提出レポートの代筆を始める映像が話題となった[8]。
全国学生漫才祭での優勝[編集]
の第3回全国学生漫才祭では、ニチダイが3分制限を守らず、審査員の前でに及ぶ前置きと資料説明を行ったにもかかわらず、逆に満場一致で優勝したとされる。審査員長は「漫才ではなく、もはや履修登録の説明会である」とコメントしたが、会場アンケートでは87%が「理解しやすい」と回答したという[9]。
解散とその後[編集]
、二人は芸風の違いから活動を停止した。渡瀬は専門学校の広報講師となり、中島はの制作会社で台本監修を務めたが、年に一度だけ合同で「卒業試験」と題する無観客漫才を録音していたという。なお、解散時の公式コメントはA4用紙12枚に及び、うち11枚が謝辞、残り1枚が「今後の漫才は各自で判断してください」であった[10]。
社会的影響[編集]
ニチダイの活動は、学生芸人の文化に大きな影響を与えたとされる。とくに後半の大学祭では、司会者が観客を「聴講者」と呼ぶ慣例が広まり、出し物の紹介文に脚注が付くようになった。
また、彼らの影響で一部の放送作家は台本の横に必ず「参考文献」を書くようになり、バラエティ番組の打ち合わせでの話題が出ることが増えた。なお、この流行は一時期の会議資料にも波及し、資料の冗長化が問題になったとされるが、因果関係は必ずしも明らかではない。
批判と論争[編集]
一方で、ニチダイには「漫才の形式を逸脱している」との批判もあった。特に1987年の公開収録では、ボケ担当が白衣で登場したため、観客の一部が本気の講演だと誤認し、笑いどころを逃したまま終演したという[要出典]。
また、彼らが使っていた「統計に従えば人は笑う」という理論は、後年の研究者から“再現性が低い”と指摘された。もっとも、ニチダイ側は最後まで「再現性の低さこそライブ芸の本質である」と主張し、結果的に議論を煙に巻いたとされている。
評価[編集]
ニチダイは、笑いを「情報の伝達失敗」として定義し直した点で評価されることがある。演芸評論家の小島克彦は、彼らについて「笑わせるのでなく、理解させすぎて笑わせる」という逆説的な手法を完成させたと述べた[11]。
ただし、その評価は現在でも割れている。演芸史では先駆的存在とみなされる一方、事務処理能力に優れたコンビだっただけではないかという指摘もある。実際、活動末期の楽屋ノートには、ネタの感想よりも領収書の貼付位置に関する記述が多かった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『学園祭漫才の成立と変質』演芸評論社, 1998, pp. 44-71.
- ^ 小島克彦『講義型ボケの研究』白水社, 2001, pp. 13-29.
- ^ 中村芳雄「深夜実験バラエティにおける資料提示の演出効果」『放送文化研究』Vol. 12, No. 3, 1990, pp. 101-118.
- ^ 田所みどり『学生芸人と都市空間』みすず書房, 2006, pp. 88-109.
- ^ Margaret A. Thornton,
- ^ The Comedy of Numbers in Postwar Japan
- ^ Journal of Performance Studies
- ^ 1994
- ^ Vol. 7, No. 2, pp. 55-79.
- ^ 佐伯隆志「『夜間演習』の視聴者層分析」『テレビジョン学会誌』第18巻第4号, 1992, pp. 233-248.
- ^ Ryoji Kambara, “Archival Jokes and Their Footnotes,” Yokohama Review of Media, 1997, Vol. 5, No. 1, pp. 3-26.
- ^ 小林由紀『漫才台本における注釈の機能』青弓社, 2010, pp. 150-177.
- ^ 今泉守『演芸と官僚制のあいだ』東京大学出版会, 2014, pp. 21-47.
- ^ H. Sato, “The White-Coat Laugh: A Case Study of Nichidai,” Comedy Quarterly, 1988, Vol. 2, No. 4, pp. 9-18.
外部リンク
- 日本演芸アーカイブ
- 学生漫才史研究会
- 深夜放送資料室
- ニチダイ研究ノート
- 演芸注釈学会