『ネコのひげ』
| タイトル | ネコのひげ |
|---|---|
| ジャンル | 幻想冒険、日常、擬態SF |
| 作者 | 波多野朔夜 |
| 出版社 | 星雲出版 |
| 掲載誌 | 月刊エコー・スプラッシュ |
| レーベル | エコー・コミックス |
| 連載期間 | 2008年4月 - 2015年11月 |
| 巻数 | 全18巻 |
| 話数 | 全142話 |
『ネコのひげ』(ねこのひげ)は、によるの。『』()において連載された[1]。
概要[編集]
『ネコのひげ』は、の下町にある古い長屋を舞台に、猫のひげを集めると「未来の気配」が読めるようになるという奇妙な能力をめぐって展開する作品である。いわゆる擬態SFに分類されるが、実際にはの路地裏文化と末期の商店街活劇を混ぜたような独特の空気感で知られている[2]。
連載開始当初は深夜の短編連作として扱われていたが、読者アンケートで異様に強い支持を集めたため、途中からの再開発問題や、猫にまつわる都市伝承を絡めた長編へと拡張された。累計発行部数は2016年時点で412万部を突破したとされ、後にテレビアニメ化、舞台化、実写映画化までも行われたことで、いわゆる「ひげブーム」を生んだとされる[3]。
作品名の由来については、作者が取材先の古道具店で拾った一本の猫毛が、製作中の原稿に貼り付いたまま離れなかったことに由来するという説が有力である。ただし、初期構想書には「ネコのひげは通信線として機能する」との記述があり、当初からかなり本気で設定されていた可能性がある。
制作背景[編集]
作者のは、もともとの地方紙で風景ルポ漫画を描いていた人物であり、取材先で見た高齢者の飼い猫に強く影響を受けたとされている。特に、猫がひげを震わせながら人の会話の切れ目にだけ鳴く現象を「情報の受信」と捉えたことが、作品の骨格になったとされる[4]。
編集部側は当初、商業的には厳しいと判断していたが、2007年秋の企画会議で、当時の編集長・が「猫のひげは線であり、線は物語になる」と発言したことで連載化が決まったという。なお、この会議録は社内文書としては確認されているが、発言の正確な文言には異同がある。
作画面では、ひげの描写に異常なこだわりがあり、1ページあたり平均7.4本の「意味を持つひげ」が配置されたとされる。また、背景美術はの旧商店街やの倉庫街をモデルにしつつ、意図的に地理をずらして描かれており、読者からは「どこにもありそうでどこにもない街」と評された。
あらすじ[編集]
長屋編[編集]
物語は、配達屋の少年・が、祖母の遺した古い木箱から「ひげ札」と呼ばれる金属片を発見するところから始まる。ひげ札を猫のひげに当てると、数時間先の出来事が断片的に見えるようになり、サクは商店街の人々の小さな危機を先回りして解決していく。
この編では、の長屋に住む住民たちの噂話が重要な情報源となり、ひげの角度によって雨の降り方まで変わるという設定が初めて提示された。第11話「ひげの張力で豆腐は割れる」[要出典]は、単行本化の際にもっとも話題になった回である。
再開発編[編集]
中盤では、長屋の一帯が「猫感応地区」として民間デベロッパーに買収されそうになり、物語は急速に社会派の色を帯びる。の再開発計画を模した巨大複合施設「シアン・スクエア」が登場し、そこでは猫の動きが監視システムに転用されていた。
サクは、ひげ札を量産する地下工房の職人・と協力し、ひげが都市の記憶を保存しているという真相に近づく。なお、この編で猫のひげを保存した標本帳が年間2,100冊も発行されるという描写があるが、実際にどこへ流通していたのかは不明である。
終局の海風編[編集]
終盤では、の海沿いにある廃観測所を舞台に、ひげ札の起源が「潮位を読むための古代計測器」であったと判明する。サクは、世界中の猫のひげが一斉に震える「共鳴潮」の到来を止めるため、ひげを持たない黒猫・とともに観測塔へ向かう。
最終局面では、ひげ札が実は未来を読む道具ではなく、人間が勝手に忘れた約束を拾い集める装置であったことが明かされる。ラストは非常に静かで、ひげ一本が風に揺れるだけの見開きで終わるが、連載終了後にこの場面だけを模したポスターがで大量配布された。
登場人物[編集]
は本作の主人公で、配達屋として街を走り回る少年である。極端に耳がよく、猫のひげが空気を切る微音を聞き分けることができるが、自分の進路だけは最後まで見えないという設定であった。
は、ひげ札を鍛造する地下工房の職人である。口数は少ないが、実は商店街のほぼ全員の誕生日を覚えており、作中で最も多くの小さな恩を返す人物として人気が高かった。
は、ひげを持たない黒猫である。劇中では珍しく言葉を発さないが、なぜか重要な場面では必ず電線の上に現れ、視聴者投票では「実質的な共同主人公」とされたこともある。ほかに、商店街の豆腐屋、再開発推進室の係長、猫保護ボランティアのなどが物語を支えた。
用語・世界観[編集]
作中における「ひげ札」とは、猫のひげを一時的に通電性の高い状態にするための薄い金属板である。原理は不明だが、作中では銅・紙・塩分の三層構造が重要とされ、1枚あたり約0.8グラムの重さが最適と説明されている[5]。
「猫感応地区」は、猫の通過頻度が一定値を超えると、街路の配置や住民の会話内容に微細な変化が起こるという架空の区域である。作中では内に6地区、に3地区が確認されているが、いずれも行政上の正式名称ではなく、主に不動産広告と都市伝説の間に存在する概念として扱われている。
また、「共鳴潮」は毎年旧暦の十六夜前後に起こるとされる現象で、海辺の猫が一斉に南を向くことで気圧が下がるという。作者インタビューでは「猫のひげが都市の神経なら、共鳴潮はその夢である」と語られたとされるが、同インタビューは掲載号ごとに引用文が微妙に違うため、編集部内でも真偽が揺れている。
書誌情報[編集]
単行本はのレーベルより刊行された。第1巻から第6巻までは短編寄せ集めの構成で、第7巻以降は章立てが明確になり、帯には「ひげで読む都市史」と書かれていた。
初版のうち第3巻と第9巻は発行後3日で重版がかかり、2011年には特装版として「ひげ拾いカード」42枚セットが同梱された版も発売された。なお、このカードは湿気に弱く、梅雨時に封入すると絵柄がわずかにずれるという欠点があり、逆にコレクター需要を呼んだ。
なお、文庫版は全10冊に再編集され、巻末に作者手書きの「猫のひげは切っても伸びるが、物語のひげは切ると増える」という謎のコメントが収録された。
メディア展開[編集]
2013年には制作によるテレビアニメ化が行われ、全24話が放送された。主題歌はによる「線のない地図」で、サビの最後に入る猫の鳴き声がCD版より放送版のほうが0.3秒長いことで話題になった。
2015年には舞台版『ネコのひげ THE STAGE』がの小劇場で上演され、実際の猫ではなく可動式の毛束オブジェが使われた。さらに2017年には実写映画版が公開され、商店街のセットとしての旧市場跡が丸ごと改装されたという。
このほか、スマートフォン向けゲーム『ひげ札クロニクル』、朗読CD、猫用首輪とのコラボレーションなど、いわゆるメディアミックス展開が積極的に行われた。とりわけ首輪コラボは「装着すると飼い猫がなぜか本棚の上に上がる」と口コミが広がり、地方のペットショップで品薄となった。
反響・評価[編集]
本作は、連載中から口コミで支持を広げ、都市の孤独と猫の気まぐれを同時に描いた作品として高く評価された。特にの独立書店やの深夜ラジオ番組での紹介をきっかけに、20代後半から40代の読者層を中心に支持が拡大したとされる[6]。
一方で、ひげ札の理屈が巻ごとに少しずつ違うため、理系読者からは「設定の揺れがひげの揺れと同じ」と揶揄されたこともある。ただし、この不整合こそが街の記憶の不確かさを表現しているとして擁護する声も多く、結果的に作品の解釈は大きく分かれた。
2014年に実施された人気投票では、主人公サクよりもルリが1位を獲得し、最終回直後のアンケートでは「ひげ札を実際に探した」という回答が全体の8.6%を占めたと報告されている。もっとも、この数字の算出方法には後年疑義が呈された。
脚注[編集]
[1] 星雲出版『月刊エコー・スプラッシュ』2008年5月号、p.3。
[2] 波多野朔夜『ネコのひげ 第1巻』星雲出版、2008年、pp. 4-11。
[3] 星雲出版宣伝部『エコー・コミックス年間報告書2016』、2017年、p.27。
[4] 榊原泰生「連載会議録と猫の沈黙」『編集室ノート』第12巻第4号、2010年、pp. 88-91。
[5] 片桐由紀「擬態SFにおける導電素材の表象」『現代漫画研究』Vol.18, No.2, 2016, pp. 55-70。
[6] 関口真一『深夜ラジオと都市伝承漫画の受容』風紋社、2018年、pp. 102-109。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 波多野朔夜『ネコのひげ 第1巻』星雲出版、2008年。
- ^ 波多野朔夜『ネコのひげ 第7巻』星雲出版、2011年。
- ^ 榊原泰生『編集会議の都市神話』星雲出版、2012年。
- ^ 片桐由紀「擬態SFにおける導電素材の表象」『現代漫画研究』Vol.18, No.2, 2016, pp. 55-70.
- ^ M. Thornton, “Whiskers as Civic Antennas in Post-Reconstruction Manga,” Journal of Imaginary Media Studies, Vol. 9, No. 1, 2017, pp. 14-39.
- ^ 関口真一『深夜ラジオと都市伝承漫画の受容』風紋社、2018年。
- ^ 白井和人「猫感応地区の空間設計」『都市文化論集』第24巻第3号、2019年、pp. 201-219.
- ^ A. R. Bell, “The Semiotics of Cat Hair in Serialized Fiction,” Contemporary Fiction Review, Vol. 12, No. 4, 2020, pp. 88-104.
- ^ 星雲出版宣伝部『エコー・コミックス年間報告書2016』、2017年。
- ^ 三好静香『ひげ札と記憶の保存技術』風景社、2021年。
- ^ 北条千尋「『ネコのひげ』における喪失の演出」『漫画批評』第31巻第1号、2022年、pp. 33-48.
- ^ L. V. Mercer, “The Politics of Whisker Distribution,” East Asian Comics Quarterly, Vol. 6, No. 2, 2023, pp. 77-93.
外部リンク
- 星雲出版公式作品ページ
- 月刊エコー・スプラッシュ アーカイブ
- 白磁アニメーション制作記録室
- ネコのひげ 作品研究会
- ひげ札資料館