ノルデンハーフェン
| 名称 | ノルデンハーフェン |
|---|---|
| 別名 | 北灯港方式 |
| 発祥 | 19世紀末・北海沿岸 |
| 主導機関 | 帝国港湾測潮局 |
| 対象 | 商船・漁船・沿岸貨物船 |
| 運用要素 | 潮位、灯台色、汽笛回数、係留札 |
| 最盛期 | 1908年 - 1934年 |
| 現在の扱い | 一部港湾史研究で参照される |
| 関連法令 | 港湾順列令 |
| 通称 | ハーフェン・ローテーション |
ノルデンハーフェン(独: Nordenhafen)は、沿岸に発達したとされる、潮位と灯火の差分を用いて船舶の寄港順を決めるである[1]。19世紀末の周辺で制度化されたと伝えられ、のちにの沿岸行政に広く採用されたとされる[2]。
概要[編集]
ノルデンハーフェンは、港に入る船舶の順序を単純な先着順ではなく、潮位、灯火の見え方、前週の寄港実績を加味して調整する制度である。一般にはの倉庫行政から生まれたと説明されることが多いが、制度の原型はの小規模漁港で、霧の日に誤って三隻が同じ係留柱を使用した事件にあるとされる[1]。
この方式は、港湾労働の偏りを抑え、積荷の腐敗を減らし、さらには船員同士の口論を減らす目的で設計されたとされる。一方で、規則が複雑すぎたため、港務官が独自の「解釈札」を発行しはじめ、結果として制度の公平性が逆に疑われるようになったともいわれる[2]。
歴史[編集]
起源と伝承[編集]
起源として最も有名なのは、に近くの港で起きた「三重入港事件」である。この日、三隻の木造貨物船が同時に入港し、港湾監督官のがとっさに灯台の赤・白・緑の三色を順番に見せて停泊位置を決めたことが、後の制度化の端緒になったとされる。もっとも、この逸話は後年の市史編纂で整えられた可能性が高いとも指摘されている[3]。
にはの技師が、潮位表と汽笛の周期を組み合わせた「寄港算定盤」を考案した。これにより、各船は到着時刻だけでなく、甲板上の積荷の湿り具合まで申告させられたという。湿度が高い日は、缶詰よりも樽材を積んだ船が優先されたとされるが、この運用基準には異論も多い。
制度化と拡大[編集]
、の倉庫連盟がノルデンハーフェンを正式採用し、これを「北灯港式配船規程」として文書化した。規程は全47条から成り、うち第12条には「係留前に船員は港の風下側で三回深呼吸すること」といった、実務と儀礼の境界が曖昧な条文が含まれていた。港湾労働組合は当初これに反発したが、配船待機中の賃金が1時間単位で保障されることから、次第に支持へ回ったとされる[4]。
期には軍需輸送の増加により、ノルデンハーフェンは貨物船の優先順位を決める準軍事的制度として再編された。この時期に導入された「黒い札」は、危険物を積んだ船を夜間にのみ入港させる仕組みであり、結果として港の街灯だけが異様に忙しく点滅する現象が各地で報告されたという。なお、記録上はので最初の黒札運用が確認されているが、実際には前月から試験運用されていたとの説がある[要出典]。
衰退と残存[編集]
に入ると、自動潮位計と無線連絡の普及によって、複雑な差分計算を必要とするノルデンハーフェンは徐々に廃れた。さらに、期の中央集権的な港湾再編により、多くの地方港で簡略化された「即時係留制」が導入され、制度の中核は失われたとされる[5]。
しかし完全に消えたわけではなく、北部やの一部漁港では、現在も祭礼時に「北灯札」を用いる慣習が残っている。とくにの周辺では、毎年の収穫祭に合わせて、かつての係留順を再現する「静かな再入港」が行われる。もっとも、実際にはほとんどの住民が観光イベントとして理解している。
仕組み[編集]
ノルデンハーフェンの運用は、、の色調、船齢、積荷の匂い、前回の寄港からの経過日数という五つの要素から算出される。計算は港務所に設置された木製の盤面で行われ、係員は真鍮の針を回しながら「北風補正」を加えることになっていた。
最も特徴的なのは、船ごとに配られる「係留札」である。赤札は即時入港、青札は翌朝入港、黄札は桟橋ではなく沖待ち、黒札は港外の浮標で待機を意味した。ところが、のでは印刷ミスにより黄札が全体の3割ほど緑がかっていたため、係員の間で「緑は魚の多い日」と誤解され、半日で運用が混乱したという。
制度の支持者は、ノルデンハーフェンによって港湾の滞留時間が平均で18.4%短縮されたと主張した。一方、反対派は、待機中の船員が港酒場で散財する額が増えたため、地域経済への効果はむしろ相殺されたと批判した。両説とも、後年の商工会議所資料に依拠しているが、算定方法が一定でないため比較は難しい。
社会的影響[編集]
ノルデンハーフェンは単なる港湾ルールにとどまらず、北ドイツの労働倫理に独特の影響を与えたとされる。とくに「順番を待つこと自体が港への忠誠である」という価値観が広まり、やでは、行列の最後尾を意味する俗語として「ハーフェンの尻尾」が使われるようになったという。
また、の貨物ダイヤにも影響し、港に着いた列車がその日の港務札の色に合わせて待避線へ誘導されることがあった。これにより、鉄道員の間では「今日は何札か」が天候より重要な情報になったと伝えられている。さらに、港湾税の算定に係留順が影響するため、商人がわざわざ軽い荷を積んだ小船を先行させる「札取り船団」が各地で編成され、半ば制度の抜け道として利用された。
文化面では、ノルデンハーフェンを題材にしたやが多数制作された。とくににの新聞『港湾週報』に掲載された漫画「三枚の札と一人の監督官」は、制度の複雑さを象徴する作品として知られている。
批判と論争[編集]
制度に対する最大の批判は、その公平性が外形上は高く見える一方で、最終判断を下す港務官の裁量が大きかった点にある。実際、のでは、同一条件の二隻が異なる札を受けた事例が7件報告され、これが贈答品の受け渡しと結びついていたのではないかとの疑惑が生じた[6]。
また、船員のあいだでは、ノルデンハーフェンが「科学的なふりをした習慣にすぎない」との皮肉も多かった。もっとも、制度擁護派は「完全な科学ではないが、完全な混乱よりはましである」と反論し、この言い回しは後にの行政史講義で引用される常套句になった。
さらに奇妙な論争として、の港で、ノルデンハーフェン式の札を着けたまま入港した貨物船が、実際の港湾規則よりも先に市民投票へ回された事件がある。これは港務所の誤読によるものとされるが、当時の新聞は「港が自治を開始した」と大々的に報じた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Johann P. Keller『Die Ordnung der Häfen: Nordenhafen und die Küstenverwaltung』Nordsee Verlag, 1938.
- ^ エリーゼ・ハルトマン「潮位差分と係留順列の相関」『帝国港湾測潮局紀要』第12巻第3号, 1902年, pp. 114-139.
- ^ Karl F. Müller『Ein Hafen ohne Reihenfolge ist ein Hafen ohne Seele』Bremenische Druckerei, 1911.
- ^ 田所 恒一「北灯港方式の形成と漁港共同体」『海港史研究』第7巻第2号, 1974年, pp. 55-82.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Signal Colors and Mooring Discipline in the North Sea Ports', Journal of Maritime Protocols, Vol. 9, No. 1, 1966, pp. 21-47.
- ^ ヘルマン・ヴァイス「係留札の印刷色ずれに関する一考察」『港湾技術月報』第4巻第11号, 1923年, pp. 3-18.
- ^ Friedrich L. Bender, 'The Social Life of Waiting Ships', North Atlantic Review, Vol. 14, No. 4, 1981, pp. 201-230.
- ^ 宮城田 進『港と順番: 近代北海圏の儀礼と実務』港湾文化出版, 1992年.
- ^ 『港湾順列令注解 第2版』帝国港湾測潮局監修, 1910年.
- ^ Sophie van der Meer『The Quiet Re-Arrival Ceremony』Harbor Studies Press, 2008.
- ^ Paul R. Eckhardt『Nordenhafen and the Green Ticket Problem』University of Kiel Press, 1959.
- ^ 「北灯港式と自治幻想」『オスロ港報』第18巻第6号, 1928年, pp. 1-9.
外部リンク
- 帝国港湾史アーカイブ
- 北海沿岸制度研究会
- ブレーマーハーフェン市史資料室
- 港湾順列令デジタル版
- ノルデンハーフェン口承史収集プロジェクト