バスコダガマ
| 種類 | 航海用暗号(転用運用型) |
|---|---|
| 提唱・整理 | セラミア委員会(架空) |
| 主な利用対象 | 積荷目録、風向予測、港湾許可 |
| 成立時期(推定) | 前後 |
| 記法の媒質 | 羊皮紙の墨点と、潮汐番号 |
| 伝播経路 | リスボン→沿岸詩人組合→北海商会 |
| 関連概念 | 「黒楕円」「塩差し」「門番表」 |
バスコダガマ(ばすこだがま)は、ポルトガル沿岸の地名伝承を起源とする架空の航海用暗号体系であり、後に「香辛料航路」の運用に転用されたとされる[1]。17世紀の交易記録にしばしば痕跡が見られるが、体系の確定版が存在したかは議論が続いている[2]。
概要[編集]
バスコダガマは、航海日誌の読み書き能力に乏しい船員でも、見た目で誤解なく共有できるよう設計された「運用型暗号」とされる。特徴は、文字の置換よりも、潮の満ち引きに対応した「墨点の配置」と、港の運用ルール(停泊許可の出る時間帯)を一体化させた点にあるとされる[1]。
成立経緯は、ポルトガル沿岸の漁師が「霧の夜でも仲間に場所を伝える」ために歌と手振りを結びつけたことに由来すると説明されることが多い。ただし同時に、航海者の間で香辛料取引の秘密を守る必要が高まり、詩の韻律が記号化されたという説も有力である[2]。このため、暗号体系というより「港の制度と結びついた手順書」として理解される場合もある。
研究史の観点では、がに「船舶同報規程」へ組み込むことで標準化されたとされる一方、同委員会の議事録の写しが異なる書誌に複数現れたため、標準版が単一であったかについて疑義が残っている[3]。結果として、資料に現れるバスコダガマは、港ごとに微妙に変奏された“現場方言”として扱われることがある。
概要[編集]
選定・範囲(どの資料が「バスコダガマ」扱いになるか)[編集]
一般に「バスコダガマ」として分類されるのは、(1)潮汐番号が明記され、(2)港湾許可の時刻帯が短い記号で示され、(3)積荷目録が「重量」ではなく「門番が覚えやすい単位」に変換されている資料であるとされる。特に“門番が覚えやすい単位”の換算が、同系統暗号の識別根拠として用いられることがある[4]。
一方で、文字の置換だけで構成された断片は、同名の別体系である可能性が指摘され、原資料の判読状況に応じて扱いが揺れる。たとえばの写本では、潮汐番号の桁数がからへ変化しており、編者の都合による改変か、別伝播系統かが分かれている[5]。
記法の骨格(「黒楕円」など)[編集]
記法の核は「黒楕円」と呼ばれる小さな墨点の連結形であるとされ、楕円の回転方向が風向、楕円同士の距離が距離帯を表すと説明されることが多い。さらに「塩差し」として、塩の乾き具合(測定ではなく手触りの段階)を段階記号へ写す手順が付随したという[6]。
なお一部の資料では、暗号の成立理由が“香辛料の匂いで誤読されないため”とされ、読者の嗅覚まで運用に含めたような記述が登場する。この点は誇張とも思われがちだが、船室に香草を置く習慣があった地域では現実味があるため、検証対象として扱われている[7]。
歴史[編集]
起源伝承:霧の夜の「詩と湊」[編集]
起源としてしばしば語られるのは、リスボンの外縁にある架空の湊「」で、霧の夜に漁師が互いを見失った出来事である。伝承では、漁師見習いの青年が「歌の韻で方向を固定する」ことを思いついたが、次第に港の門番が歌を覚えきれず、代わりに“墨点の形”へ変換したのがバスコダガマだとされる[8]。
ここでやや細かい数字が語られるのが特徴で、霧の夜の記録として「波の高さがを超えたら、黒楕円の間隔を“半歩”ではなく“指二本分”にする」といった運用が書き残されたとされる。エルの換算値は複数報告があり、同記述の真偽自体が揺れるが、運用の具体性が“それっぽさ”を支えている[9]。
ただし、後世の学者の中には、この湊伝承を「実務の都合で後から物語化した」可能性があるとしており、起源はむしろ交易船団の書記補助にあるという説も根強い。いずれにせよ、物語が成立する場所は同じ“霧”であるため、暗号の意味が「見える/見えないの管理」にあったとまとめられることが多い。
標準化:セラミア委員会と「1612年規程」[編集]
は、に「船舶同報規程」を起草したとされる組織であり、参加者には港の会計官、羊皮紙職人、さらには詩作の請負人が含まれたと記される[10]。委員会の議事は“香辛料の匂いが残る墨の選別”から始まったとする記述もあり、暗号と衛生の話が同じ章に並ぶため、後の研究者は「滑稽だが実務感がある」と評価した[11]。
標準化の手順としては、各港で使う潮汐番号の桁数を統一し、「門番表」に基づく停泊許可の時間帯をへ整えたとされる。さらに、積荷目録を「重量」ではなく「門番が数えやすい袋数(乾燥豆の袋換算)」へ変換し、情報漏えい時に読み手の推定を困難にしたと説明される[4]。
一方で、の“写し”には、北海商会側の版が存在し、そちらでは黒楕円の回転方向が反転しているという。これが事務ミスなのか、意図的に罠を仕込んだ“逆運用”なのかで論争が起き、後の「バスコダガマ諸方言」概念へつながったとされる[5]。
一覧(バスコダガマに紐づく主要運用・概念)[編集]
バスコダガマは、暗号“だけ”ではなく、運用の周辺概念とセットで語られることが多い。ここでは、資料に頻出し、かつ「なぜそれが必要だったか」が微妙に物語化されている要素を列挙する。
(以下は一覧記事形式であり、分類の厳密性は文献により異なる。)
一覧[編集]
(1612年頃)- 墨点を楕円で連結した記号であり、風向を“回転”として表すとされる。ある港では回転方向を覚え違え、翌月だけ入港許可が遅れたという逸話が残っている[1]。
(1610年頃)- 塩の乾き具合を段階記号化する手順で、詩人が「味」ではなく「触感」を韻に変えたことから普及したと説明される。触感の段階はとされるが、記録によってはの版があり、職人の指の太さまで論点になったとされる[6]。
(1612年)- 港の許可窓(停泊できる時間帯)を短い符号で示す表で、書記が計算を省くために導入されたとされる。門番が“表の前で寝落ちする”事故があり、補助記号として小さな星印が追加されたという記述がある[4]。
(1608年頃)- 潮汐を示す番号の桁数と区切り位置を規格化した要素で、統一されなかった地域では誤読が連鎖するとされた。北海商会版では区切りがになっており、「数学者の気分で変わった」と批判された[5]。
(1612年)- 積荷目録を重量から“袋数換算”へ変換する枠組みで、裏返して読めば帳簿盗難の被害が減ると考えられたとされる。換算係数はのように雑な形で伝わり、なぜ豆だったのかが後年の座談会でネタにされた[4]。
(1609年頃)- 旋律の拍数を記号へ写す方法で、船員が歌えば思い出せるようにしたとされる。ある書簡では、歌うと暗号が“ほぼ復元”されるため敵船に聞かれたら終わりだが、それでも共有速度が勝ったと結論されている[7]。
(1613年)- 地方版の混乱を利用し、わざと黒楕円の回転方向を反転して罠にしたとされる。実際に運用したと主張する記録は少なく、だからこそ信憑性が議論されている。とはいえ、反転により救われた船があるとする不思議な統計が残る[5]。
(1614年頃)- 墨が乾くまで香草や油脂を置かないという衛生運用で、暗号の視認性を保つためと説明される。規則制定により、船室の模様替えが増えた結果、乗組員の揉め事が減ったという“やけに具体的”な数が報告されている[11]。
(1608年頃)- 潮汐番号の読み上げを三拍子に統一する口唱法で、読み手の個人差を潰す狙いがあったとされる。三拍子を崩すと、同報が届くまでの時間がずれた例が残る[9]。
(伝承)- 起源湊「サン・ド・パロ」に紐づく運用で、霧の濃度で記号間隔を変える。濃度基準が“ランタンの灯りが指先に届くか”と表現されるため、後世の研究者が汗をかいたと伝わる[8]。
(1612年頃)- 柑橘の皮をこすって羊皮紙の汚れを減らす“校正”手順で、暗号の擦れを減らすために導入されたとされる。校正手順が有名になりすぎた結果、敵国の商人が“同じ皮”を輸入し真似しようとしたという笑い話がある[5]。
(1612年以降)- 委員会の規程に対する“追補”として後から書き足されたとされる章で、追補書の存在がなければ運用が収束しなかったと主張される。追補書の写本には行番号がとで割れており、どちらが正しいかが今日でも争われる[3]。
批判と論争[編集]
バスコダガマは、暗号解読のロマンと、実務的な運用の具体性が同居しているため、評価が分かれやすい。一方の見方では、潮汐番号や門番表といった“制度”を暗号に組み込んだ点で、情報が単なる隠匿ではなく運用改善に寄与したとされる[4]。また、詩韻索引のように記憶補助を含めたことで、船員教育のコストが下がったとする研究もある[10]。
他方で、資料の変奏が多すぎるため、実在の統一体系を想定しすぎると誤読が増えるという批判がある。特に、黒楕円の反転や潮汐番号帯の桁増減が、意図的な逆運用なのか、単なる伝達誤差なのかを判別する手段が乏しいとされる[5]。加えて、数値が具体的であるほど後世の物語化が疑われるという“逆説的”な指摘もある。
さらに、のような衛生規則が、暗号の強度向上とどの程度直結するかについても議論がある。実際には、乾燥時間や油脂の量が記号の視認性に影響した可能性はあるが、減のような集計の根拠が示されていないとして、注釈の付け方まで批判されたとされる[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Rui de Almeida『海霧の同報規程:バスコダガマ研究入門』パルメイラ書房, 1964.
- ^ Margaret A. Thornton『Ports, Permits, and Cipher-Lore in Early Modern Europe』Oxford Archive Press, Vol.3, 1998.
- ^ 田中硯太『羊皮紙に刻む制度:門番表の成立条件』海事文庫, 第1巻第2号, 2007.
- ^ 安藤律子『潮の三拍子と記憶装置としての韻』日本港湾史学会誌, 第24巻第4号, 2012.
- ^ Hendrik van Waal『North Sea Variants of Bascodagama』Dunwich Maritime Review, pp.112-139, Vol.11, 1979.
- ^ Sofia M. Correia「塩差しの段階論:触感を記号化する試み」『記号化技術年報』第6巻第1号, pp.33-58, 1620.
- ^ セラミア委員会 編『1612年規程の諸写本校訂(第七版)』王立手順監修局, 第7巻, 1701.
- ^ 松本雁次『船室余韻規則と視認性:墨点配置の再現実験』海事実験研究所報, pp.5-22, 1991.
- ^ Nikolai Belyaev『The Inversion Hypothesis of Reverse Ellipses』St. Petersburg Cryptic Studies, Vol.2, pp.201-227, 2003.
- ^ (書名が微妙におかしい)Luzia Ferraz『Black Ellipses and Friendly Lies: A Folklore Atlas of the Azores』Routledge, 2011.
外部リンク
- 潮汐番号帯アーカイブ
- 門番表プロジェクト
- セラミア委員会資料室
- 黒楕円講座(写本対応)
- 詩韻索引の音声復元リンク集